野球をやめたい
「なにー、野球部をやめる、だと~」監督の重光は右手で自分の帽子のツバをあげて、爬虫類のような目で蓑田を睨み付けた。
「は、はい、僕の暴投のせいで甲子園で負けてしまいました。僕がこれ以上野球を続けるのは、先輩達に申し訳ないです」蓑田は帽子を取り直立不動で俯いていた。
『はぁー、こいつ何言い出すんや。そんなことで野球を辞められたら、わしら、魔物が悪者になるんやけどなぁ』
「あれはなぁ、甲子園の魔物のイタズラだ。お前が一人苦しむことじゃない。これくらいのことで野球やめてたら、みんな野球やめないといけなくなるぞ」
『おーっ、監督さん、その通り。よー、わかっとる』
「でも、自信が無くなったんです」
『おい、おい、おい、あれくらいで自信無くすなよ。あんたら野球少年が、わしら魔物のせいで自信なくして野球をやめられると、これから、わしらは出にくくなるやないか。わしらが、たまーに顔出すから野球は面白味を増すんやで』
「たかが、野球だ。怖れず、楽しめばいいんだ。野球にエラーはつきものだし、甲子園の魔物もつきものなんだ。たまたま、お前が魔物に目をつけられただけだ。あの試合、あの時、お前は魔物に選ばれたわけだ。ただそれだけのことだ」重光はそう言ってグラウンドに腰を下ろし胡座をかいだ。
「魔物に選ばれたんですか」直立不動の
まま重光を見下ろした。
「まぁ、座れや」
「はい」
蓑田は腰を下ろし正座しようとしたが重光から足を崩せと言われ、胡座をかいて重光と向かい合った。
「そう、だから、アハハハハと笑い飛ばしておけ」
『そうそう、いーねぇ、監督さん。監督さんのいう通り。野球を楽しんでくれ。わしらはババ抜きのババみたいな存在やと思って楽しんで笑い飛ばしてくれよ。この試合は俺が魔物に選ばれちまった。アハハハハとね』
「監督、少し考えさせてください」
『おいおい、何を考えるんや。そんな必要ないんやから野球を続けろー。これを乗り越えたら、あんた一段と大きくなれるんやでー。あんたを一段と大きく成長させるために、わしはあんたを選んだんやでー』
「よーし、わかった」重光は立ち上がった。
「好きにしろ」重光はそのまま立ち去っていった。
蓑田も立ち上がり重光の背中にむかって頭を下げた。
「監督、有り難うございました」
『監督まで、何言ってんのー。バカかー。考えるまでもないってー、続けろー』
ライバル下山
「蓑田、野球部やめるって本当か」
同学年で同じセカンドのポジション、ライバルの下山が蓑田に声をかけた。
下山は蓑田の暴投で負けたあの試合、アルプススタンドにいた。サヨナラ負けが決まった瞬間、膝から崩れ落ちて立ち上がることの出来ない蓑田を見てニヤニヤと一人笑っていた。
山崎に抱えられ泣きじゃくり、アルプススタンドに向かって挨拶する蓑田に、「ふん、ざまあみろ」と呟いていた。
県大会では蓑田より下山の方が試合に出場していたが、甲子園出場が決まって下山はベンチ入りを外された。
甲子園のベンチ入りメンバーが発表された帰り道「なんで、俺が外されたんだよぉー」橋の上から川の流れだけが聞こえる暗闇に向かって叫んだ。その叫び声が谷間に響いた後、また、おだやかな川の流れだけが聞こえてきた。その音が自分を嘲笑っているように聞こえた。
「やっぱり、野球部やめようかな。どうせ試合に出してもらえないし」
空を見上げると三日月も自分を嘲笑ってるように見えた。
「はぁー」一段と虚しくなってため息をついた。
「あの試合のせいだ」そう呟いた。
「送りバントのサインのせいだー」もう一度、橋の欄干を握りしめ暗闇に向かって叫んだ。
県大会を勝ち進み準々決勝の試合だった。スターティングメンバーに下山は名前を連ねた。あと三つ勝てば甲子園。学校関係者達も、もしかして甲子園初出場の夢が叶うのではないかと、応援に熱が入ってきた試合だった。
下山の先制タイムリーヒットなどで五点をとり、五対二で友野高校がリードしてむかえた七回裏。
ノーアウト一二塁のチャンスに下山に打席が回ってきた。この試合二本のヒットを打っていて打撃は好調だ。試合も三点リードしている。ここで一本打てばダメ押し点がとれる。先制点は自分のタイムリーヒットで叩きだした。ここでダメ押し点を叩き出せば学校中のヒーローになれる。
「よーし、俺が決めてやる」
そう思ってバッターボックスに向かった。バッターボックスの手前まできて、ヘルメットを両手で持ち上げ右腕で汗を拭った。ヘルメットを深くかぶってからベンチに視線をやり、監督のサインを確認した。
絶好調の俺には、ヒッティングのサインだと思っていたが、監督からのサインは送りバントだった。
なんで俺にバントなんだ。ベンチの方を見たまま、呆然と立ち尽くし、バッターボックスに入ろうとしなかった。しばらく監督を睨み付けていた。
「打たせてくれ」目で訴えた。
しかし、監督はもう一度送りバントのサインを出した。
下山はベンチに体を向けたまま動こうとしない。
審判に促されてバッターボックスに入った。足元をならして相手ピッチャーを睨み付けた。いつもより腕を高く上げて、股を広げてスラッガーのように大きく構えた。
「バントなんかしない。デカイのをかっ飛ばす」下山は呟いた。
相手ピッチャーも疲れている。バントでなくここで一気に打ち崩すべきだ。ファーボールの後の初球をとらえてやる。
相手ピッチャーがセットポジションにはいる。少し間をおいてファーストへ牽制球を投げた。
下山は大きく構えたまま微動だにしない。
「しもやまー」
ベンチから声がしたが、振り向きもしなかった。
相手ピッチャーがキャッチャーのサインに頷き、もう一度セットポジションに入る。ファーストランナーを見て、セカンドランナーもみた。足が上がって初球が投げられた。サードとファーストはバントを警戒して少し前にきた。
下山は足を高く上げて豪快にバットを振りぬいた。
「よーし、もらったー」
内角ストライクゾーンから体にくい込んでくるボールに詰まらされたが、ボールは左中間にフラフラと飛んだ。当たりはよくなかったが飛んだコースが良かった。レフトとセンターが懸命に追いかける。
「落ちろー」下山はファーストへ走りながら叫んだ。
ボールはレフトとセンターの間にポトリと落ちた。
サードコーチはグルグルと手を回す。セカンドランナーは一気にホームへと向かってきた。レフトからホームにボールが返ってきたが、そのボールが大きく逸れてファールグラウンドに転がった。
セカンドランナーはホームを踏んでガッツポーズした。友野高校が一点を追加した。下山もセカンドベースまで達した。
セカンドベース上でベンチにむかってガッツポーズをしたがベンチから下山を見ている者はいなかった。ベンチはホームインした選手とタッチして盛り上がっていた。
「チェッ、なんだよ、俺に感謝しろよ」ベンチに向けて舌打ちした。
ベンチの方を睨んでいると、控えだった蓑田が出てきて審判に何かを告げてから下山の方へと全力で走ってきた。
「あいつ、何しに来るんだ」
《友山高校のセカンドランナー下山君に代わり、蓑田君。セカンドランナーは蓑田君》
場内アナウンスが流れた。
「下山、交代だ」蓑田は眉間に皺を寄せていた。
「なんで、俺に代走なんだよ。お前より俺の方が走塁上手いだろ」
「お前がサイン無視するからだろ。みんな怒ってるぞ」
「やかましいわー。クソー」蓑田を睨み付けた。
「お疲れ、早く下がれよ」
「うぁーっ」下山はヘルメットをとって空に向かって声をあげた。
下山はベンチに戻って椅子を蹴とばしヘルメットを地面に叩きつけた。ヘルメットが鈍い音をたてて転がり椅子の下でクルクルと回っていた。
キャプテンの野口が下山のところに来た。
「お前、バントのサイン、無視したよな」野口は下山の胸ぐらを掴んでおでこがぶつかるくらいに顔を近づけた。
「す、すいません。無視したんじゃなくて、見落したんです。さっき蓑田に言われて、はっとしました」
野口は下山の胸ぐらを掴んだ右手に力を入れ、もう一度顔を近づけ、睨み付けた。
「いいや、お前はサインを無視した」
下山は野口の目を避けるように俯いた。
「すいません。見落しです」
「フン」野口はこれ以上言っても無駄な気がした。気持ちを切り替えて試合に集中することにした。下山の胸ぐらを掴んでいた右手を突き飛ばすようにして離した。下山は後ろによろめいて、その勢いのまま椅子にドンと腰を落とした。
「すいませんでした」下山はみんなに向かって大きな声で詫びたが、誰も下山の方を見ないでグラウンドを見ていた。
大きな歓声が聞こえてきた。次のバッターがスクイズを決めて一点追加した後、セカンドランナーの蓑田が好走塁をみせて一気にホームに向かいヘッドスライディングした。審判の右手が横にひらいた。
「セーフ、セーフ、セーフ」
見事にツーランスクイズが決まった。
蓑田が跳ねるようにしてベンチへとかえってきた。
「蓑田、ナイスラン」ベンチのみんなから声が飛んだ。
「下山、明日からは蓑田を使うからな」監督の重光がグラウンドに視線をやったまま下山に告げた。
「な、なんでですか? 俺は今絶好調なんですけど」
下山が椅子から立ち上がり重光の隣に来て抗議するが、重光はグラウンドを見たまま、下山の方を見なかった。
「お前の調子なんて知らん。俺はチーム全体の調子を上げたいんだ。チーム全体の調子を上げることが、どういうことなのか、それをお前が理解するまで、俺はお前を使わん」
それから準決勝、決勝と勝ち上がり友野高校は初優勝したが、下山がその後の試合に出ることはなかった。
アルプススタンドから甲子園のグラウンドに立つ蓑田の姿を見て涙が出るくらい悔しかった。
俺の方が絶対うまいのに、なんでセカンドを守るのは蓑田なんだ。
アルプススタンドからみんなが友野高校に声援を送るなか、一人、友野高校が負けることを願っていた。
それも蓑田がミスして負ける。監督が蓑田を選んだことを後悔してほしいと思っていた。そして、その通りになった。甲子園初勝利目前に蓑田のミスで負けた。下山は思い通りになったとほくそ笑んだ。
「あんな大事なとこでエラーしたから……、俺、なんか野球が怖くなった」蓑田は遠くを見て言った。
「じゃあ、仕方ないな。とめても無駄だろ」下山はニヤリと右の口角を上げた。「さっさとやめろ」と心のなかで呟いた。
これで新チームのセカンドは俺のものだ、と思った。
「俺は守備が下手くそだから、ベンチ入りは、お前の方が良かったかもな」
「守備かぁ」下山がそう呟いた後、顔を歪めていた。
なに偉そうに言ってんだよ。守備だけじゃない、バッティングだって走塁だって俺はお前より上だ。
「この下手くそが」蓑田に聞こえないように呟いた。
「何か言ったか」
「いーや、まっ、野球は守りがしっかりしないとな」目を合わさずに言った。
「今まで、ありがとな。お前のおかげで、ここまで頑張れたよ」蓑田は右手を差し出した。
「お、おう」下山も右手を出し握手をした。
いつもは、ここでお互いに意地をはり喧嘩寸前になるのだが、蓑田の元気ない姿に下山は少し戸惑った。
本当にやめるのか? こいつがいなくなると張り合いがなくなるかもしれないなと、蓑田の後ろ姿を見て思った。
エース間宮先輩
蓑田は、あの試合を投げた先輩のエース間宮に謝りに行くことにした。
試合終了後、謝りはしたが、蓑田は泣いているだけで、しっかりと言葉に出して謝れていなかった。
謝った記憶さえ定かではなかった。自分が何を話したか、間宮に何を言われたかも覚えていなかった。
自分の暴投のせいで試合に負けてしまい、間宮の最後の夏を終わらせてしまった。あの時、自分が暴投せずにアウトにしていれば、最低でももう一試合、間宮は甲子園のマウンドに立つことができたのだ。それを考えると鉛を飲み込んだような気分になる。
普段の間宮は口数も少なく優しくクールな先輩で、蓑田は間宮が怒っている姿を見たことがなかった。
試合中はピッチャーでありながら、みんなに気を配りながらチームを鼓舞していた。
キャプテンの野口は間宮のことを陰のキャプテンだと言っていた。野口は気性が荒く蓑田もよく怒られたが、それを間宮がフォローしてくれていた。
キャッチャーの山崎が間宮のことを「いつも勉強になる」と言っていた。山崎は自分がキャッチャーというポジションで新チームになった時のキャプテンになることを意識しての発言だろうと蓑田は思っていた。
間宮は蓑田がエラーしてマウンドに謝りに行くとお尻をポンポンとグラブで叩いて「ナイスファイト」と言ってニヤリと笑ってくれた。いつもその笑顔に救われた。
どんなピンチの場面でも冷静で顔色ひとつ変えずに投げていた。その姿がかっこよくて憧れの先輩だった。自分も間宮のような先輩になりたいと思っていたがそれは諦めることにした。
「間宮先輩、すいませんでした。僕のエラーのせいで負けてしまって」蓑田は直立不動で深々と頭を下げた。
「今さら何だよ、あの時も謝ってくれたじゃないか」あの時とは試合終了後の泣きじゃくっていた時のことだろう。
「いえ、あの時は泣いてるだけで、しっかりお詫びできていませんでした」また泣きそうになっていた。
「あの涙で充分蓑田の気持ちは伝わったよ」
「いえ、しっかりお詫びしないと、僕の気が済みません」
「そうか、じゃあこれで気が済んだか?」
「えっ、いや、まだ……」これで済ませていいものかと頭の中で色んなものがグルグルと回り言葉が出なくなり俯いてしまった。
「あれはナイスファイトだったなぁ。あの打球によく追いついたよ」間宮はあの場面を思い出すように遠くを見て言った。
「あ、はい、ありがとうございます。けど、その後が……、ダメでした」蓑田は一度顔を上げたがまた俯いてしまった。
「気にすんな。野球にエラーはつきものだ。完璧な人間なんていないんだし」
「でも、あそこは大事な場面でしたから。僕がアウトにしてれば、先輩方はもう一試合甲子園で野球が出来たのにと思うと……」蓑田はぎゅっと両拳を握り下を向いた。
「甲子園のマウンドで投げられたのは、みんなのおかげだ。俺はすごく満足してるし、蓑田やみんなに感謝してる。確かに悔しさはあるけど、それは来年蓑田らが甲子園初勝利してくれればそれでいい」
「あっ、は、はい」蚊の鳴くような声になってしまった。
「なに? 元気ないな。俺に申し訳ないと思うんなら、来年は甲子園初勝利することをここで約束しろよ」
「……」蓑田は俯いていた。
「ハァー」と間宮がため息をついた。
「すいません」蓑田はぎゅっと両拳を握った。
「蓑田、まさか責任感じて辞めるなんて言うなよな」
「いえ、責任とかじゃなくて……、そんなカッコいいことじゃなくて……」
「じゃあ、なに?」
「ただ、野球が怖くなったんです」
「怖い?」間宮の顔がめずらしく険しくなった。
「はい、またエラーしそうでボールが飛んでくるのが怖いんです」
「ハァー、何甘えたこと言ってんだよ」
「甘えてますか」
「そう、甘えだ」
「けど、僕は……」
「みんな怖いんだよ」間宮は蓑田の言葉を遮るように大きな声を出した。いつもクールな間宮らしくない怒声だった。
蓑田はビックリして身を竦めた。
「みんな怖いんですか」身を竦めたまま間宮の顔を覗き込むように訊いた。
「そう、だから、練習するんだよ。それから……」
「あっ、はい」
「それが、楽しいんだよ。今辞めたらもったいない。やっと野球の怖さがわかったところだ。これから本当の楽しさがわかる」間宮が蓑田の肩に手をおいた。間宮はいつもの優しい表情にもどっていた。
「間宮先輩でも、怖いと思うんことがあるんですか」
「当たり前だ。いつも怖いと思ってる。あの場面でもストライクが入らないんじゃないかと腕が振れなくなってた」
「そんな風には見えませんでした。先輩は堂々としてるように見えました」
「全然。あの大河内ってバッターのスイングが速いからホームラン打たれそうで怖かったよ。それに、大河内の顔が怪物みたいでデッドボールでも当てたら殺されるんじゃないかとビビってた」
間宮はニコニコと笑って蓑田の顔を見た。蓑田の表情に少し笑みが浮かんだのを見て続けた。
「けど、勇気を振り絞って山崎を信じてミットめがけて投げたんだ。結果を怖れないで思いきり投げた」
「そんな思いでマウンドに立っていたのに、それを僕のせいで台無しにしてしまいました」蓑田はまた深々と頭を下げた。
「それを言うなって。それが野球だから。怖いけど面白いんだ。だから辞めるなよ」
「え、あ、はい……」
『そう、怖いけど面白いんや。それを演出するんが、わしら魔物や。これを乗り越えないと、あんたは絶対に後悔する』
蓑田は間宮と別れた帰り道、間宮には辞めるなと説得されたが、やっぱり続ける勇気は持てなかった。
「俺は、間宮先輩みたいに強くなれないよ」そう呟いた。
キャッチャー山崎
机の上に放置していた携帯が鳴っていた。蓑田はベッドに横たわったまま一時間動かさなかった体を無理矢理起こし、読んでいた漫画本を枕元にポンと置いて立ち上がった。机の上の携帯を手にとった。メールが届いているようだ。
「ハァー」とため息をついてから、携帯を操作しながらベッドに腰を下ろした。
キャッチャーの山崎からのメールだった。そろそろ来るかなと思っていた。見なくてもメールの内容は見当がつく。メールを開けるか、一瞬悩んだが指は勝手に動いていた。
『野球部辞めるって本当?』件名もなく本文にこれだけが入っていた。
「やっぱりな」蓑田はそう呟いてから机の上に立て掛けてある写真に視線をやった。甲子園出場の時に撮った記念写真だ。前から二番目右端に映る自分の姿とその隣の山崎に視線を集中させた。二人とも日に焼けた顔を凛々しく作っていた。充実感に満ちたいい表情だ。
写真を撮る寸前までは、お互いに脇腹をくすぐりあい笑いを堪えたり吹き出したりと、はしゃいでいた。
「じゃあ、撮りまーす」とカメラを向けられた瞬間に二人ともキリッと凛々しい顔を作った。写真を撮り終えると、また顔をグシャグシャにして堪えていた笑いを吹き出した。一ヶ月程前のことだけど遠い昔に感じた。
野球部を辞めることを山崎に相談してから監督に伝えるつもりだったが、山崎から返ってくる言葉は想像できたので相談するのをやめた。
今、山崎からのメールを見て、相談しなかったことに後ろめたさのようなものを感じ胸に重くのしかかったが、相談していたらもっと重たいものがのしかかっただろう。
今届いたメールにどう返信したらいいのだろうか、と坊主頭をボリボリと掻いた。。
もし相談したら、山崎のことだから親身になって悩んでくれるだろう。野球を続けるように説得してくれるだろう。いっしょに頑張ろうと言ってくれるだろう。けど、今の自分にはそれに応える自信がない。
『あー、そうなんだ。ごめんな』
蓑田は結局、何も思いつかなくて簡単にそっけなくメールを返した。最後に『ごめんな』といろんな思いをこめて付け加えた。
山崎は、蓑田と同じ二年生で、あの試合にキャッチャーで出場していた。二年生で出場していたのは山崎と蓑田の二人だった。
そして新チームのキャプテンは、山崎でほぼ決まっていた。山崎もそのつもりで、自分がキャプテンになったら副キャプテンは蓑田にやってほしいと言っていた。
山崎と蓑田は中学の時からいっしょに野球をやっていた。中学の時の山崎はエースで四番、そしてキャプテンだった。
高校に入ってからもピッチャーとして頑張っていたが、一年前に肩の強さを買われてキャッチャーにコンバートされた。その時、山崎はピッチャー失格だなと言って落ち込んでいた。落ち込む山崎を蓑田は元気づけた。
「ピッチャー失格なんかじゃないと思う。監督はヤマはキャッチャーに向いてると思ったんだよ。俺もヤマはキャッチャーに向いてると思う。だから落ち込まないで頑張れよ」そんなことを偉そうに言っていた。
真面目で練習熱心な山崎は、すぐにキャッチャーとして上達しレギュラーになった。体は大きく肩の強い、そして周りを見て冷静に状況判断できる繊細な性格はキャッチャーに向いていたのだろう。
野球センスのある山崎ならどのポジションでもレギュラーになれる。下手くそでミスを怖れながら必死で食らいついてる自分とは違う。だから今の自分の気持ちは山崎にはわかってもらえないだろう。このまま野球部を続けても自分はチームの足を引っ張るだけだ。
携帯が鳴って、また山崎からのメールが届いた。
『絶対辞めるな。新チームで一緒に甲子園目指そうぜ』メールの最後に笑った絵文字がついていた。山崎が絵文字をつけたメールを自分に送るのは多分はじめてだろう。
蓑田は肩を落とし、しばらくぼんやりと宙を見あげた。返す言葉が浮かばない。
すぐにまた、携帯が鳴った。
『絶対辞めるな。暴投したくらいで責任を感じて辞める必要はない。それよりこれから頑張ってる姿を見せる方が先輩たちへの恩返しになるんだ』また絵文字付きだった。『がんばろー』みたいな絵文字だった。
「そんなのわかってるよ」蓑田は携帯をベッドに放り投げた。
「その自信が持てないんだよ」机の上の写真に向けて叫んだ。
責任を感じて辞めるんじゃない。野球が怖くて嫌になったんだ。だから、そっとしておいてくれ。お前に俺の気持ちはわかんねぇんだよ。そのままベッドに寝そべって組んだ両手を枕にし天井をぼんやりと眺めていた。
携帯がまた鳴り出した。今度は電話のようだ。
「ハァー、何なんだよ」
体を起こしベッドの隅で叫んでいる携帯を見た。出るべきか悩んだが、いつかは話さないといけないと思い携帯を手にした。
「もしもし」タイヤから空気が漏れるような声になった。
「ミノか?」山崎の声は澄んだ明るい声だった。
「あー、俺に電話してんのに、当たり前だろ」
「いやー、メールの返信ないからさぁ」
「ごめん、ちょっと母ちゃんに用事頼まれてて見てなかった」嘘をついたが多分ばれている。
「そうか、そうか。忙しいのに悪いな。今は大丈夫か」
「あー」
「ミノ、元気出せよ。あれくらいのエラー気にすんなよ」
いきなり本題に入ってきて、「あれくらいのエラー」という言葉にイラついた。 俺にとってはそんな軽いもんじゃない。
「そう思いたいよ」少し刺のある声になった。
「なに、イライラしてんだよ。これからいっしょに新チームで頑張ろうぜ」
「いーや、やめとく」
「なに言ってんだよ。そんなの俺が認めない」
「俺が認めない」という言葉にイライラが爆発した。
「お前に俺の気持ちなんてわかんないんだよ。野球が上手くて監督や先輩からチヤホヤされてるお前と下手くそな俺とは住む世界が違うんだ。だから、もう放っといてくれ」
そう言って電話を切った。携帯をベッドに投げつけた。ベッドで跳ねて床に落ちた。
「蓑田は足が速いから羨ましい。守備範囲も広いし華麗でかっこいいよ。俺は足が遅いからみんなに迷惑かける」
電話を切った後、一年前、山崎にそんなことを言われたことを思い出した。
「そんなやけになるなよ……」話している途中に電話が切れていることに気づいた。携帯を耳からゆっくりと離して通話終了のボタンを押した。山崎は肩を落とした。
「何でだよ」携帯に向かってそう呟いた。その後、ベッドに横たわって枕元に置いてあるスクラップブックを開いた。
《友野高校優勝。甲子園初出場決める》
一ヶ月前の新聞記事だ。記事に載ってある写真には山崎と間宮が抱き合い、その横で嬉しそうに走ってくる蓑田の姿が写っている。
あいつは足が速いし守備も上手い。バッティングだって速球でも変化球でも上手く打つのに、もったいないよ。俺なんて足は遅いしどんくさいし変化球は全く打てないのに。
山崎は野球部に入部当時はピッチャーを希望していたが、ひとつ上には間宮先輩という絶対的なエースがいて、同じ歳には坂本、宮田というすごいピッチャーがいた。自分の出番はないのかなと悩んだが他のポジションを守れる自信がなかった。
一年前、監督からキャッチャーをやれと言われたが、本当は嫌だった。ピッチャー失格だと言われたような気がしていた。足も遅いし守備も下手くそだから守れるポジションがなかったので、とりあえずキャッチャーをやらされるんだなと思った。
その時、蓑田が励ましてくれた。すごく嬉しかった。キャッチャーとして頑張ってみようと必死で練習した。キャッチャーが楽しくなって、今はキャッチャーで良かったと思っている。
そう思えるようになったのは蓑田のおかげだ。
蓑田は中学の頃はショートを守っていた。蓑田の守備は華麗でかっこよかった。今はセカンドを守っているがセカンドでもかっこいい。新チームになったらショートの野口先輩が引退するので、もしかしたらまた蓑田のショートの華麗な守備が見れると思っていたのに。
蓑田には辞めてほしくない。自分がキャプテンになって蓑田が副キャプテンで、もう一度甲子園の土を踏みたい。
このスクラップブックに新しい新聞記事を追加したい。そこには蓑田の姿があってほしい。
副キャプテン
山崎は職員室と書いてある色褪せたプレートを一瞥してから弱々しくノックしゆっくりとドアをあけ覗き込むようにして中に入った。夏休み中で先生の姿もまばらだった。左側半分だけ蛍光灯が点いている。
「失礼します」グラウンドで出す声の十分の一位の声の大きさだ。
五台の事務机を連ねた島が六つ並ぶ。その奥正面には教頭の机があり、その後ろにホワイトボードがあった。
『祝 野球部甲子園初出場』太く力強い文字でホワイトボードに書いてあった。それを見て少し誇らしくなった。
その下に一回戦八月十日応援者とあり、その横に先生方の名前がずらりと書いてあった。二回戦と書かれた横は空白だった。少しだけさびしくなったが、職員室で誇らしく居心地のよさを感じたのははじめてかもしれない。
左奥の机の島の方を見て呼び出された野球部監督の重光の姿を見つけた。重光は何やら書き物をしているようで大きな背中が丸く小さくなっていた。書き物に夢中なようで山崎が入ってきたことに気づいていない様子だ。山崎は重光の方へゆっくりと歩を進めた。
重光の向かえの机にもう一人先生が座っている。音楽の山中先生だ。山中先生はブラスバンド部の顧問で甲子園ではアルプススタンドからのブラスバンドの応援を仕切ってくれた。若い女の先生で男子生徒から人気がある。山崎もお気に入りの先生だ。黒目の大きな瞳とぶつかって少し胸が跳ねた。
山崎の存在に先に気づいてくれた山中が山崎に微笑みかけてから、目の前の本立ての上に首を伸ばし重光に声をかけてくれた。
「重光先生、野球部の生徒が来てますよ」透き通るきれいな声だった。
重光は、その声でふっと顔をあげて山中に視線を向けた。山中が重光と目を合わせてから、視線を山崎の方に向けた。
「あっ、あーそうか」重光はそう言ってから山崎の方に振り向いた。
「もうそんな時間か」そう言ってから胸を張り両手をグッーと伸ばし「フゥーッ」と息を吐いた。
「監督、おはようございます」
「おっ、忙しいのにすまんな。まぁまぁ、座れや」声がつぶれて少し掠れた声だった。重光は自分の座る隣の机の椅子を引っ張り出して山崎の前につきだした。
「あっ、はい。失礼します」山崎も掠れた声を出して、重光が出してくれた椅子を引き寄せてどしっと腰を下ろした。椅子が山崎の体重に悲鳴をあげるようにキュッと鳴った。
「甲子園はやっぱりいいところだったな」机の上を片付けながら懐かしむように重光が言った。
「はい、最高の舞台でした。負けてしまいましたけどすごくいい経験になりました」山崎の頭にはホームベースから見渡す黒土とそこに浮かぶ白線、白いベース、緑の芝、そして黒くそびえ立つバックスクリーンが浮かんだ。
「もう一回、あの球場で野球がやりたいな」
「はい、絶対に」口元をキュッと引き締めた。
「みんなすごくかっこよかったわよ。また来年も頑張ってね」山中が立ち上がってきれいな透き通る声をかけてくれた。黒い瞳がキラキラと輝いて吸い込まれそうになった。
「はい、ありがとうございます。ブラスバンドの応援に勇気をもらいました」山崎は鼻の下を伸ばしていた。
「山中先生、来年もまたブラスバンドの応援お願いしますね」重光も目尻を下げて鼻の下が伸びていた。
「はい、ぜひ、喜んで」山中はそう言って、二人に笑みを送った。
重光も山崎もグラウンドでは決して見せないような間の抜けた顔になっていた。
「それでは、わたしはお先に失礼しますね」山中は鞄に荷物を片付けながら言った。
「えっ、もう帰っちゃうんですか」重光が残念そうに言う。
「はい、今日はこれで。野球部頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます。失礼します」山崎が立ち上がって頭を下げた。
「お疲れさまでした」重光も腰を上げて両手を腰に当て首をベコリと下げた。
「それじゃあ、また」山中はそう言ってドアへ向かった。ドアの前で一度振り返り微笑んで右手をヒラヒラと振ってから職員室を出ていった。
二人は山中の後ろ姿に見とれて目で追っていた。山中が振り向いた時に笑みを返しドアから出ていくのを名残惜しそうに見ていた。
「ハァー」重光が閉まったドアを見てため息をついた。
職員室の空気が色褪せたような気がした。二人はドアから視線を剥がして顔を合わせた。
「よーし、はじめるか」重光が腰を下ろし気持ちを切り替えるように両膝を叩いた。
「はい」山崎も椅子に腰を下ろし重光と向き合った。
二人の表情はグラウンドに立つ時の表情に変わった。
「山崎、新チームも明日から始動だ。キャプテン、よろしく頼むな」
「はい、精一杯頑張ります」山崎は椅子に座ったまま背筋をキュッと伸ばした。
「あとな、山崎は生真面目だから、抱え込みすぎてパンクするんじゃないかと心配しているんだ」重光は眉の上あたりを掻きながら心配そうな表情を浮かべた。
「いえ、大丈夫です」
「そうか、まぁ、大丈夫だとは思うんだが、キャッチャーというポジションはいろいろと負担も大きいからな、困ったときは一人で抱え込まないで俺でもいいし、他の部員でもいいから相談しろよ」
「監督」両手を膝において少し前のめりになった。
「なんだ?」
「副キャプテンはどうするんですか」
山崎がそう言うと重光はニヤリと笑みを浮かべ人指し指を立てて山崎に向けた。
「それなんだ。今日はそのことで来てもらったんだ。新チームは副キャプテンが決まらないままのスタートになってしまったから早く決めないといけないんだ」
「やっぱり、そうでしたか」
山崎は重光から新チームのキャプテンの話を持ちかけられた時に副キャプテンは蓑田にしてほしいとお願いしていた。その蓑田が野球部を辞めると言ってきたと重光から聞いた。辞めるなと説得しようと思ったが自分ではうまくいかなかった。
監督から蓑田に辞めずに副キャプテンとして頑張るように説得してほしかった。たぶん監督も同じ気持ちで今日呼び出したのだろう。これから蓑田をどう説得して副キャプテンにするのかを話し合うためのミーティングだ。山崎はそう思っていた。
「副キャプテンは蓑田になってほしいんです」
「そうか、そうか、気持ちはわかるがな、うーん、……」重光はそう言って困ったように宙に視線をやった。しばらく言葉が出てこなかった。
山崎は嫌な予感がした。
「監督、蓑田は……」蓑田が辞めることが決まってしまったのか訊こうと思ったが怖くて訊けなかった。
「蓑田なぁ」重光はずっと宙に視線をやったまま山崎の方を見ようとしなかった。
山崎は重光の困ったような表情をじっと見ていた。蓑田の辞めることが決まってしまったんだろうか。監督はとめる気はないんだろうか。
「蓑田に絶対野球部を続けてほしいんです。ですから、監督からも説得して下さい。蓑田を副キャプテンにして下さい」山崎は椅子から立ち上がって深々と頭を下げた。拳に力が入った。
「山崎、落ち着け。今はまず副キャプテンの話だ。蓑田の話はその後だ」重光の眉がハの字になっていた。
「副キャプテンは蓑田しかいません。ですから、あいつに野球部を続けさせることが先決です」
「心配しなくても蓑田は野球部に残るはずだ」
「えっ、蓑田、残りますか」
「ああ、残る。しかしだ」重光は両手を両ひざについて少し前のめりになって山崎の目を覗き込んだ。山中先生に見せていた目とは違い、爬虫類のような目になっていた。監督がこんな目をする時は逆らえない時だとわかっていた。
「は、はい」山崎は肩をすくめた。
「俺が考えてる副キャプテンは蓑田じゃない」
「えっ、……」山崎は目を丸くして言葉がでない。
「俺が思っている副キャプテンは蓑田じゃないんだ」重光がもう一度繰り返した。
「監督も蓑田を副キャプテンにするつもりだと思ってましたけど」エアコンの音にかき消されそうな声だった。
「ハハハ、そうか、そうか。副キャプテンは蓑田と考えたこともあったがな、やっぱり違う。あいつじゃない」
「僕は副キャプテンは蓑田しかないと思ってます」少し抵抗しようとするが声は小さいままだ。
「気持ちはわかるがな。でもな、違う」
「だ、誰、ですか」
「下山だ」
「えっ、し、下山……、ですか」ビックリして声が裏返った。絶対、下山はない。
「ビックリしたか」重光は笑っていた。
「はい」監督は冗談を言っている。山崎はそう信じたかった。
「冗談じゃないぞ。本気だぞ」
山崎の頭に下山がバントのサインを無視した時のことが頭に浮かんだ。
「下山はチームの輪を乱しそうで心配です。副キャプテンは蓑田にして下さい」背筋を伸ばし両拳を膝に置き力を込めて言った。
「いや、下山だ」重光は腕を組んで、グッと胸を張った。
「本当に下山ですか」少し情けない声になった。
「あー、もう決めた」
「でも、なぜ下山なんですか」
重光は腰を浮かせて座り直し背筋を伸ばした。一度視線をホワイトボードにやってから、視線を山崎に戻して話しはじめた。
「蓑田も山崎も周りからの信頼は厚い。それは俺もよくわかっている。ただな、お前たち二人は少しおとなしいんだ」
「おとなしい……、ですか?」
「そう。少し闘争心が足りないんだ。その点、下山はガッツを前面に出す。それが下山の魅力なんだ。下山みたいなタイプと山崎が組んだ方が面白いチームになると思うんだ」
「そうですか……」山崎は呟くように言ってから自分の足元に視線を落とした。
山崎はそのまま彫刻のように体が固まり黙りこんでしまった。重光も黙って腕を組んで山崎の様子を見ていた。
「……」
「……」
「大丈夫だ」重光が堪えきれず山崎の坊主頭に手を置いた。
「下山、ちゃんとやってくれますか」視線を落としたまま言った。
「ああ、下山が副キャプテンになれば、みんな下山の本当の良さがきっとわかるはずだ。下山は上に立てば、きっと変わる。闘争心を出して、みんなを引っ張ってくれる。山崎とも上手くいくはずだ。そして、きっと新チームは下山に助けられる時がくる」
「バントのサインを無視した時に監督は怒ってたじゃないですか」下を向いたままボソボソとした声だ。
「確かに、あれは腹が立った。だがな、あの場面で思いきりスイングする下山の勇気が魅力なんだ。新チームにはあの勇気が必要なんだ」
「勇気ですか?」顔を上げて重光の方を見た。
「そう、あの勇気だ。もし山崎があの場面でバントのサインじゃなかったらどうした? どんなことを考えた?」
「やはりゲッツーが怖いので一二塁間に転がして最悪でもランナーを進めようとしたと思います。僕の足が速ければセーフティバントも考えますが」
「そうだろうな。蓑田も同じように考えただろう。俺もあの場面はゲッツーが一番怖かった。だからバントのサインにしたんだ。実はあの時、俺も弱気になっていたんだ。だから攻めの気持ちで送りバントのサインを出したわけじゃないんだ。ゲッツーが怖くて出したサインだ。下山を信頼してなかったのかもしれん」
「でも、あそこはバントのサインで正解だったと思います」
「しかし下山は違った。あそこで一気にたたみかけようとしたんだ。結果それで得点できたのも事実だ」
「それは結果論です。もしあそこでゲッツーにでもなっていたら流れが相手に行ってしまったかもしれません」
「そうかもしれん。ただな、下山のああいうのも新チームには必要なんだ。サインを無視することはいかんが、ポジティブな結果を考えて、結果を怖れずプレーする姿勢はきっと新チームを強くしてくれる。俺は下山のいいところをもっと引き出してやろうと思っている」
山崎はまた下を向いて黙ってしまった。頭の中に下山の顔と蓑田の顔が怒ったり笑ったりして交互にあらわれグルグルとまわっていた。
山崎には下山と二人でキャプテンと副キャプテンとしてやっていくことが想像できなかった。蓑田が辞めると聞いた時、蓑田じゃなく下山が辞めてくれればいいのにと思った。
下山は蓑田とよく口論していた。そんな時、山崎はいつも蓑田に加勢した。自分がキャプテンで蓑田が副キャプテンになれば下山は浮いた存在になり孤立して居づらくなり辞めてくれるんじゃないか。そんなことを考えたこともあった。下山はチームの足を引っ張る存在だから辞めてほしいと思った。
しかし、本当は下山の強気でポジティブな性格に嫉妬していただけかもしれない。自分達が下山をあーいう風にしてしまったのかもしれない。監督の言うように下山の良いところが出ればチームは強くなるのかもしれない。
しばらくして覚悟を決めたようにフッと短く息を吐き顔を上げ重光に顔を向けた。
「わかりました。下山といっしょに頑張ります」
それを聞いて重光がニヤリと笑みを浮かべた。
「よーし、ありがとう」重光が頭を下げてから右手を差し出した。山崎も右手を出し、力いっぱい重光の右手を握りしめた。
「これで副キャプテンは決まった。あとは蓑田だな」
「本当に蓑田は野球部続けますか?」
「大丈夫だ。今ごろは続ける気になってるはずだ」
「本当ですか」
「ああ、俺が刺客を送っておいたからな」重光は右の口角を上げて笑った。