閉じる


五 氷の世界

 

寒い。外は凍りつくような冷たさだ。ここ何日間か、吹雪のせいで、外に出ることも出来ない。こうして毎日、外に出られずに、部屋の中だけにずっといると嫌になってくる。スマホやテレビで映画やドラマなどを観ることにも飽きた。ラジオは外の吹雪のように意味もなく鳴っている。子守歌にもならない。本を読むのも眼が疲れた。部屋の中で、腕立せ伏せや腹筋など、体を鍛えることも面白くない。それに、狭い部屋の中で体を動かすと、酸素不足なのか、息苦しくなり、頭がぼおっとしてくる。

 

あまりにも長い間、家の中に閉じこもっていたため、家の中の天井や壁、床が迫ってきて、押しつぶされるのではないかと感じる。思わず、玄関から逃げ出してしまいそうになる。だが、扉を開けた瞬間、生きたまま凍り付くのだ。街の中には、そうした氷の人柱になった人々が通りの街路樹の代わりに街路人になっていると報道していた。

 

テレビのニュースでは、屋外カメラから樹氷のような街路人になった人々を映し出している。さすがに、仕事一筋のアナウンサーや記者たちも命を懸けてまでは現地取材には行けない。いや、多くの街路人の中に、マイクらしき物を握り締めている人がいるではないか。しかも、その街路人は下半身が傘を開いたように広がっている。

 

そうだ。雪女のような人氷は、女性アナウンサーだったんだ。可哀そうに。多分、居並ぶ先輩や後輩のアナウンサーを押し退けて、ゴールデンプライムのメインキャスターに昇格するために、それこそ命を丁半で賭けて、現場からの実況中継を申し出たのだろう。そして、予想通り、その願いも寒さに押し退けられて、結果として、掛けに負けてしまったのだ。

 

その時、誰かがその凍った女性アナウンサーの街路人を抱きかえた。男性だ。まだ、若い。きっと、彼女の恋人だったんだろう。恋人が凍りついてしまったのをテレビで見て、助けに来たのかもしれない。その様子さえも、テレビは淡々と何の感情もなく実況していた。今まで暇を持て余していた人も、急に瞳孔が開き、今は、テレビの前に釘づけになったり、齧り付いていたりする。

 

「それ、助けろ」「今なら、大丈夫だ」「愛の炎で氷を溶かしてやれ」

 

人々は、汗が垂れて洪水になるほどにガンガンと室温を上げた部屋で暑い、暑い、と文句を垂れている。そして、服装はTシャツと短パン姿で、中には、上半身は裸で、下半身は下着一枚の姿の者もおり、しかも、昔を懐かしむように団扇で顔を仰ぐとともに、扇風機も出してこいと言いながら、とテレビの画面に魅入っている。

 

若者は恋人を慎重に抱きかかえ、地面から離そうとした。強引にやってしまうと、凍った体や足を途中で折ってしまうからだ。だが、凍りついた足は道路から離れようとしない。

 

「時間がない」若者の生々しい呟きが画面から聞こえてくる。

 

だが、その間にも、吹雪は容赦なく、若者や凍りついた恋人の体に吹き付ける。若者はサブザックからのこぎりを取り出すと、恋人の足と地面の間の氷を切り始めた。ようやく恋人の足が地面から切り離され、若者が体を抱きかかえ立ち去ろうとした時、若者は動かなくなった。そのまま凍ってしまったのだ。

 

「ああ、残念だったなあ」「惜しかったなあ」「もう一度チャンスをやれよ」「これは、録画だろ」と、まるでゲーム感覚のようにテレビの画面に言葉を投げつける。

 

「もうおしまいか」「つまんないの」と、別のテレビ番組にチャンネルを変える人々もいる。

 

その頃、テレビ局では。

 

「急激に視聴率が下がっているぞ。何とかしろ」プロデューサーが叫んだ。

 

「そんなこと言っても無理ですよ。偶然、女性アナウンサーが恋人を助けに行ったのを放映できただけですから」ディレクターが切り返す。

 

「偶然を必然に変えるのが俺たちテレビ屋の仕事だろ。なあ、カメラマン」

 

そう言われて、カメラマンは汗が噴き出るほどの部屋にいながら、背筋が凍る思いがした。このプロデユーサーは、泣く子も更に泣きだすと恐れられた敏腕プロデューサーだった。業界でも、歩く視聴率と恐れられていた。

 

目を付けた、ごく普通の出来事も自分なりに拡大解釈して、誇大妄想に陥り、有ることは有り過ぎることことに、ないことは有ることに作り上げてしまうのだった。別名、顕微鏡を望遠鏡に変えた男とも呼ばれていた。そして、有ろうことか、プロデユーサーとして、ノーベル賞を貰うことを夢見ていたのだ。どこがどう引っ付いて、プロヂューサーとノーベル賞が結びつくのかは、他人にはわからなかったが、それを口にしようものなら、「だから、お前は、いつまでたってもメダカなんだ。メダカに俺のようなクジラの夢はわからないんだ」と、十倍以上の大きな声で怒鳴り返されたのだった、

 

その望遠鏡がスピーカーを手に入れたかのように吠えた。

 

「そうだ。リンゴ売りだ」

 

当初、ディレクターを始め、スタッフたちは、夢見るクジラが、何のことを言っているのか、さっぱりわからなかった。だが、そんなことはお構いなしに、プロデユーサーは、スタッフ全員を見渡す。そして、ある男に目を止めた。

 

「君、君」と手招きをする。呼ばれたのは、カメラマンの下でコードを捌いている男子大学生だった。彼は、将来、テレビ局に入社したくて、アルバイトとして働いていた。

 

だが、アルバイト先はテレビ局だが、実際に雇われているのは、テレビ局の下請けの、下請けの下請けの会社だった。ゲゲゲだ。ここから、いくら努力して下克上しても、テレビ局に入社することはありえない話だった。

 

だから、プロデューサーに呼ばれたときは驚いた。彼とプロデューサーとは、城下町のはずれの古びた長屋の一室と天守閣の見晴らし台ほどの差があったからだ。これまで、直接話す機会なんてなかった。そこのケーブル邪魔だ、出演者が転ぶだろ、と間接の間接の間接に指示を受けるぐらいの隔たりがあった。

 

地球一周分ぐらいに遠いところから指示を受けると、彼は関節をぽきぽき鳴らしながら、急いで、ケーブルを自分の腹の方に力まかせに手繰り寄せるのだった。そのため、番組が終わると、いつも、筋肉が、関節が痛みで悲鳴を上げた。そんな神のような存在のプロデューサーが、末端の石ころに過ぎない彼に声を掛けたのだった。

 

だが、当初、彼は自分が呼ばれたとは思っていなかった。プロデューサーから見れば、自分のような存在は、それこそケーブル程度でしかないと思っていたからだ。無視したわけでは決してなかった。プロデューサーは、そんな彼に対して、もう一度、君、君、と手招きをした。

 

それにまず反応したのは彼ではなく、ディレクターだった。プロデューサーの意図を瞬時に理解し、まずは、自分のADに指示した。ADは下請けのスタッフに指示し、下請けのスタッフは更に下請けの現場監督に指示し、現場監督はすぐさま彼の腕を掴むと、貢物を捧げるように、結果としては、生贄になったのだが、プロデューサーの前に連れて行った。

 

プロデューサーの前で頭を下げる現場監督。まだ、状況がわからない彼は、ポカンと口を開けたまま、プロデューサーの顔を始めてまともに見た。髪の毛は薄いものの、眉毛には白い毛があり、眼は細く、その細い目を無理やりに目尻を下げ、鼻は自己主張の塊のように顔の真ん中にでんと座り、唇は冷酷無比のように薄く笑いを浮かべていた。

 

でも、眼や耳などの、形や色が異なっていても、種類や数は一緒だった。何だ。同じ人間じゃないか。彼がプロデューサーに対する第一印象はそうだった。

 

「馬鹿。頭を下げろ」現場監督は彼の頭を油で汚れて真っ黒になった手で押さえた。

 

「いいんだよ。それより少し話がしたいんだ」プロデューサーは彼の顔をじっと見つめる。

 

「君はテレビ局で働きたいんだろ」

 

プロデューサーの態度はタヌキかキツネが化けた様にも関わらず、猫撫で声で話し掛けてきた。

 

「ええ。そうです」彼は、つい、いつもの仲間内のタメ口調で答えた。

 

「ええ、じゃないだろ。はい、だろ」またしても、現場監督が彼の頭を抑えつけた。

 

「いいんだよ。全く気にしていないから」と、言いながら、プロデューサーは、聞こえるように、チェッと舌打ちした。その舌打ちに、相変わらず、だらんとふやけたような彼とは異なり、現場監督は背筋が凍るように直立不動となった。

 

「それじゃあ、君にチャンスをあげよう」

 

「チャンスですか?」

 

「そうだ。チャンスだ。この仕事見事に成し遂げてくれたら、テレビ局の正社員にしてあげるよ」

 

「ほんとですか?」彼は一瞬、喜んだものの、でもいいです。と断った。隣の現場監督の顔がひきった。そして、般若の面に変わりつつあった。

 

「どうして?テレビ局に入りたいんじゃないのかなあ」

 

プロデューサーの口調はやさしいものの、怒りで満杯に溜まったダムの水はいつでも決壊寸前だった。

 

「テレビ局で働きたいだけであって、社員になりたいわけではないんです。現場が大好きなんです」彼は本音を口にした。その口が現場監督の黒い手で無造作に覆われた。

 

「すいません。プロデューサー。こいつは、今、プロデューサーと話ができたことに舞い上がっちまって、何をしゃべっているかはわかっていないんです。もちろん、こいつの夢はテレビ局の正社員になることです。そのためだったたら、どんなミッションでも引き受けますし、やり遂げることができます」

 

口を両手で覆われて、口をもごもごさせている彼に変わって、現場監督が汚れた立て板をホースで洗うように代弁した。

 

「そうかい。それなら決定だ。彼にはリンゴ売りをやってもらう。今から屋外に出て、りんごを街で売ってくれ」

 

「今からですか」

 

突然のプロデューサーの言葉に、何でもOKの現場監督も、さすがに次の言葉が出て来ない。何しろ、外は氷の世界。一歩踏み出しただけで、間違いなく樹氷ならぬ人氷になってしまうからだ。

 

「そう、今からだ。下手に演出するのではなく、生の表情が欲しいんだ。さあ、ためらうことはない。明日からは、テレビ局の正社員だ」

 

もちろん、生きて帰って来られたらの話だが、はプロデューサーの心の中でとどまっていた。目の前に巨大な人参をぶら下げられたアルバイト君は思考停止の状況だ。やるべきか、やらざるべきか。それが、走馬燈のように、右脳から左脳、右目から左目へと移っていく。いつまでたっても答えはでない。いや、出そうとはしない。

 

しかし、本人の意思とは関係なく、氷の世界への旅立ちは周囲の力によって準備万端で整えられていく。知らない間にアルバイト君はテレビ局の玄関前に立っていた。相変わらず、他人事のように、ポカンと口を開けて立っている。すぐ隣には、現場監督が「よかったな。チャンスを与えてくれたんだ。このチャンスをしっかりと掴めよ」と他人事のように耳元で呟いた。

 

もちろん、現場監督は、こんなふうにしてまではチャンスは掴みたくない。だから、アルバイト君の生贄のようなチャンスに対して、他人事のように喜んだ。

 

「今だ」プロデューサーのキューの合図がした。ただし、プロデューサーは玄関先にはいない。ぬくぬくとした安全地帯のスタジオで、指示をするだけだった。

 

「幸運を祈る」口先だけで、現場監督はアルバイト君の背中を思い切り突き飛ばした。現場監督はアルバイト君を傷つけたいわけではない。自分が傷つきたくないだけのことであった。背中を押され、前にのけぞると、意図的に玄関のドアが開いた。

 

「あっ」猛烈な寒気が建物の中に龍のように襲ってきた。このままでは、寒気でこのビル全体が覆いつくされてしまいそうだ。だが、心配いらない。スタッフが、この時ばかりと、巨大な扇風機を回し始めた。寒気を扇風機の風で換気しようという作戦だった。そして、ビルの中に入ってきた寒気と一緒にアルバイト君も、人間ドローン出発、という歓喜に満ちた声とともに、氷の世界へと旅立った。

 

その様子は、テレビ局のカメラがずっと追っていた。一時期の、強風のおかげで、寒ささえも吹き飛ばすことができたために、アルバイト君は無事に、中央通りにまで到達することができた。その一挙手一投足までもカメラがテレビの画面に映す。

 

アルバイト君の背中にはサブザックが背負わされていた。その中身は、もちろん、りんごだ。アルバイト君のイヤホンから、現場監督の声がする。

 

「りんごだ。りんごを売るんだ」

 

もう既に、テレビ局のプロデューサーからディレクター、下請けの制作スタッフ、その下請けの現場監督に、高いところから低いところへ水が流れるがごとく、責任の所在も末端にまで到達していた。ただし、成功した場合は、反対に、鯉の滝登りのごとく、プロデューサーの功績になるのだった。

 

「すごいぞ。屋外でリンゴ売りだ」「この寒いのに、誰がりんごを買うんだ」と、様々なコメントがSNSで拡散されるとともに、今度は、滝の水が海に流れ注いだのか、テレビの視聴率のもウナギを乗り超え、鯉登りのようにビルの屋上まで上昇していった。そして、視聴率は屋根よりも高くなった。

 

アルバイト君は、寒さで凍えながらも、現場監督の指示に従い、背中のサブザックからリンゴを取り出すと、「りんごはいりませんか、りんごはいりませんか」と、凍りつく唇を震わせながら声を出した。

 

当初は、ひょっとしたらテレビ局の職員に採用されるのではないかという甘い夢を見ていたが、今は、そんな気持ちは消え、ただ、ひたすら、「りんごはいりませんか、りんごはいりませんか」りんごを売りの声を出していた。声を出さないと、凍死してしまいそうだったからだ。

 

その様子をドキュメンタリータッチでカメラが映し出している。それは、生そのものだった。生きるということを如実に示していた。氷河期に入ったこの地域では、生きるという精神さえも凍りつつあったのだ。

 

だが、アルバイト君の、売れることも期待しない、それなのに、何故、この寒空にりんごを売れもしないのに売っているかという哲学的な命題に、画面を見ている人は心を打たれた。ただし、誰も、外に出て行って、アルバイト君のりんごは買おうとはしなかった。

 

それでも、アルバイト君は、一歩、一歩とどこへ行く宛もなく街を彷徨った。ただし、帰り道も戻り道もない。その一歩、一歩を目で追い掛けていく視聴者たち。アルバイト君の足取りが次第に重くなっていく。ゼンマイが切れたかのように、緩慢になっていく動作。もう、いつ、止まってもおかしくない。

 

「りんごは、りんごは、いり・・・」

 

それがアルバイト君の最後の言葉となった。樹氷と化したアルバイト君の体には、何故だか知らないけれど、リンゴの形をした氷の実がなっていた。そして、この瞬間、視聴率は最高のピークに達した。

 


この本の内容は以上です。


読者登録

阿門 遊さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について