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             禅

 

 三島は、市営住宅の一室で壁に向かって座禅し、心静かに将来のことを考えていた。モサドになることに不安がないといえば嘘であった。でも、高額報酬のことを思えば、モサド入隊を断る気は全く起きなかった。当然、母親には、モサド入隊のことを伝えることはできなかった。モサドの身分は、家族であっても知らせることができなかった。だから、母親には、カツラAIシステムズに就職が決まり、そして、卒業後、1年間のイスラエル研修があることを伝えることにした。三島としては、嘘をつくことは、後ろめたかったが、今回ばかりは、本当のことは言えなかった。三島は、これでいいんだ、これでいいんだ、と何度も心で繰り返した。

 

 モサドであっても、結婚は許されるが、モサドの身分は伏せなければならなかった。三島は、峰岸と結婚したかった。でも、相手には、一生、嘘を突き通さなければならないことになる。こんな、結婚生活で、うまくやっていけるのだろうか?こんな疑問がわいたが、嘘が嫌なら、結婚はできない。嘘をついて、結婚する以外ない。モサドでは、殉死すれば、家族は一生涯生活が保障される。そのほかにも、生命保険に入っていれば、お金だけでも、償いができる。これで、勘弁してもらうことにした。三島は、恐る恐る、予想していた。”俺たちには、生死にかかわる任務を負わされる、と。”死を覚悟で、モサドになる以外ない。母親にも、峰岸にも、将来産まれてくるだろう子供達にも、嘘をつき通して死ぬことになる。これは、自分の運命として割り切ることにした。

 

 お金にこだわらず警察官の道を歩むこともできる。あえて、危険な道を選んでしまった。それは、やはり、お金だけではない、日本の若者の未来のためだ。今の政治が続けば、若者は犬死していく。優秀な若者だけでも、九州に集め救済すべきだ。もはや、日本という国家は、無きに等しい。若者は、日本にこだわっている場合ではない。ヤコブが言うように、ヤマト・ヘブル国家を建国し、日本の若者は、イスラエル人と協力し合い、生き延びるべきだ。いずれ、本州は廃墟となる。一刻も早く、優秀な若者を九州に移住させなければならない。西日本で原発テロが起きてからでは、手遅れになる。九州がテロに合わないという保証はどこにもないが、今のところ、CIAの情報を信じる以外ない。

 

  

 


 静寂の中に小さな足音が近づいてきた。ドアの開く金属音とともに母の疲れた声が響いた。「帰ったよ」三島は、目を閉じたまま、大きな声で返事した。「おかえり~」耳に入ってくる音から、三島は母親のいつもの動作が想像できた。キッチンテーブルに落とされる荷物のガサガサという音。スリッパのかすれた音。フレッジが閉じるパタンという音。引きずられる椅子の足のズ~~という音。「ナニ、やっととる」母の疲れた声。三島は暗闇から出ることにした。「今行く」と即座に返事して、立ち上がり6 畳の部屋から出た。「今日は、弁当を買ってきた。疲れて、作る気せん」母親は、ここ最近、帰ってくるなり、疲れた、というようになった。三島は、お茶を入れることにした。お茶を差し出し、三島は向かいに腰掛けた。「再来年は、就職できる。もう、内定もらった」

 

 母親の目がピカっと輝いた。「内定?警察官の?」ニッコと笑顔を作り、顔を左右に振った。「違う。外資系のAIベンチャー企業。結構、給料がいい」母親は、外資系といわれ、ふに落ちなかったが、軽くうなずいた。「へ~、こんなに早く。どんなとこね、どこにあるとね」一瞬説明に戸惑ったが、心配をかけないような説明をすることにした。「今は、内定が早いんだ。外資系といっても、支店は、九州にある。でも、卒業後、1年間は、イスラエルで研修がある。頑張るけん」イスラエルと聞いた母親の顔は、一瞬引きつった。「イスラエル?ホ~、剣道しか能がないのに、よう、外資系に入れたもんやね。どんな仕事するん?」三島も具体的なことは知らされていなかった。当たり障りない言葉を並べることにした。「まあ、よく言う営業。新製品の売り込み。そんなとこ」

 

 母親には、ピンとこなかった。でも、就職が決まったことにホッとした。「よくわからんけど、内定もらえて、よかった。人生は、剣の道と同じ。しっかり自分の心に耳を傾けていたら、間違いはない。自分で選んだ仕事だったら、それでよか。仕事に、成功も、失敗もない、自分の気持ちを大切にすればよか。いえることは、それだけ。剣を捨てても、心の剣は、きっと、いざという時、助けてくれる」イスラエルと聞いて、母親はおどおどするのではないかと思っていたが、落ち着いた母親の言葉を聞いて、三島は安心した。「俺が、働くようになったら、仕事を減らして、無理せんでよか。生活費、入れるけん」母親を気遣う言葉を聞いた母親は、ニコッと笑顔を作り、お茶をすすった。

 


 母親は、肩の荷が下りたようで、疲れていた気分が、少しずつ薄れていくのを感じた。気分がよくなったついでに、先日、連れてきたガールフレンドをほめることにした。「この前の、ちびっこい、警察官の彼女、なかなか、気が利いて、いい子やった。結婚するとね」突然、結婚を持ち出され、顔が固まった。「ああ、あの子。まあ、まだ、先のことは、まだ、考えてない。中学からの友達、ってところやから」母親は、話を続けた。「結婚は、気が向いたときにしたらよか~。何も、親のことは心配せんでよか。あの子は、素直で、剣の心を持っとる。見どころがある。あの子だったら、申し分ない」母親は、一目見て峰岸を気に入っていた。

 

 三島も結婚したいとは思っていたが、とりあえず、1年間の研修を終えて、具体的な結婚準備の話をしようと思っていた。今のところ、モサドの過酷な研修を無事に終える自信がなかった。万が一、脱落すれば、どうなるのだろうと不安に駆られていた。「まだ、結婚は、先の先の話。それより、ムリせんように」母親は、自分のことを気遣って給料の安い警察官をあきらめ、剣の道を捨てたのではないかと気がかりだった。ガツンとハッパをかけることにした。「来年こそ、日本一にならんと。まだまだ、心にスキがある。もっと、心に向き合わんと。一瞬のチャンスは、考えてわかるものじゃない。心が教えてくれる。心が体を動かしてくれる。初心に帰って、死ぬ気でけいこせい。九州一ぐらいで、天狗になったら、天国の父さんが悲しむ。死ぬ気で、日本一になれ」

 

 これ以上話をしてると夜中まで説教されると思い、話を切り上げることにした。「わかった。来年は、優勝する。ちょっと、やることがある」三島は、腰をあげた。部屋に戻った三島は、座禅の続きを始めた。確かに、俺は、なぜか、心にスキができる。集中力が、ふと、切れるときがある。俺には、勝つ気持ちが足りないのか?何が、足りない?間合いか?気合か?勇気か?三島は、自問自答した。一つわかっていたことがあった。それは、勇気が足りないことだった。相打ちを恐れるところがあった。一瞬の恐怖を克服できないでいた。無謀に打ち込めば、相手の思うツボだ。相手のメンを待つべきか?メンを打たせて、ドウを切る。来年は、最後。もはや、理屈はいらない。自分のひらめきを信じよう。心が教えてくれるはず。

 

 


 峰岸のヤツ、イスラエルに研修に行くといったら、なんというだろうか?意外にも、ついてくるといったりして。峰岸の気持ちが気にかかった。全九州学生での優勝、就職内定、幸運が転がり込んできたことで、三島は有頂天になっていた。そのノリで峰岸との恋愛も峰岸路線に乗ってしまった。うかつにも、峰岸との結婚を約束したのだった。後になって考えると、早まったことを言ってしまったと後悔したが、峰岸の喜ぶ笑顔を見ると何も言えなくなった。しかも、セックスまでしてしまった。約束を破る気はなかったが、モサドになることを考えると、気が重くなった。最近は、峰岸の笑顔がちらつき、けいこにも身が入らなくなっていた。このままでは、日本一どころか、九州大会でも危うくなりそうだった。決して、峰岸との結婚に不安があるわけではなかった。結婚を望んでいるからこそ、モサドになることが不安になるのだった。

 

 これから、日本はどうなるのだろうか?東日本フクシマ原発テロの次は、西日本原発テロか?其れとも、九州原発テロか?ますます、貧困化が進み、軍隊ができ、若者は軍人になっていくのか?今の政治が続けば、若者は犬死するに違いな。これでいいのか?とにかく、九州だけは守りたい。イスラエルの力を借りてでも、若者が、新しいヤマト・ヘブル国家を作ればいい。きっと、安田先輩も、そう、思ってるに違いない。安田先輩、イスラエルでの過酷な研修に耐えられるだろうか?万が一、研修に耐えられず、脱走したら、モサドに入隊できなくなるのだろうか?

 

 俺はどうか?剣道をやっているからといって、研修に耐えられるとは限らない。英語もろくにできない俺に、ヘブライ語の勉強ができるか?ユダヤ教がわかるのか?イスラエルの歴史を覚えれるのか?AI理論がわかるのか?一週間の絶食に耐えられるのか?50キロのランニングに耐えられるのか?軍事訓練に耐えられるのか?武器の使い方をマスターできるのか?ボクシングの特訓に耐えられるのか?複雑な暗号を覚えられるのか?10キロの遠泳ができるのか?10分間息を止めて素潜りができるのか?俺こそ、1か月間で、脱走するのではないか?俺は、道を誤ったのではないか?剣道バカは、警察官になったほうが良かったんではないか?

 

 


 今からでも、モサドを断るべきではないのか?今だったら、間に合うに違いない。俺が断るといえば、先輩も断るだろうか?でも、今の日本では、若者の犬死は目に見えている。犬死するのであれば、モサドになって、犬死したほうが、まだ、ましのように思える。CIAKGBAI6、彼らは、モサドの計画を知ったら、どう、対応してくるのか?モサドを攻撃してくるのか?俺ら、バカは、捨て駒に使われるだろう。覚悟はしている。先輩も同じに違いない。後には、引けない。ヤマト・ヘブル国家のために、やるしかない。

 

 ふいにパンチを食らわすような着メロが、鼓膜に飛び込んできた。それは、峰岸からのラブコールだった。三島は左横に置いていたスマホを手に取ると返事した。「はい」即座に、峰岸の甲高い声が伝わってきた。「今、何してる?次のデート、どこ行く?」峰岸は、自分のことしか考えていないように思えて、少しムカついたが、返事した。「デートか~?盆前の連休はダメだけど、峰岸が行きたいところがったら、付き合うけど」即、返事が返ってきた。「うれしそうじゃないみたい。私以外にいるってことはないわよね?信じてはいるけど」全く、嫌味なことを言うヤツだと思ったが、軽く返事した。「何度も言うけど、峰岸以外は、だれもつきあっていない。時々声をかけられるのは、俺のファンだといったじゃないか。いい加減にしてくれ」

 

 ちょっと安心した峰岸は、予定を伝えた。「そいじゃ~、七ツ釜に行こう。三島は、行ったことある?」三島は、まだ行ったことがなかった。「いや、どこにあるんだ、七ツ釜って?遠いのか?」笑顔を作った峰岸は返事した。「佐賀。ちょっと遠いけど、日帰りできる距離だから。佐賀方面には、新鮮な魚介類のおいしいレストランがたくさんある。そこで食事しよう。そいじゃ~、18日の日曜日はどう?何時に迎えに行こうか?」早めに出立したほうがいいと思い、いつもより早めにの時間を伝えた。「佐賀だろ~、それじゃ、8時には出発したほうがいいような」即座に、弾んだ声の返事が返ってきた。「OK.そいじゃ、18日の8時。待ってて」峰岸は、チョ~極安の中古の軽自動車が欲しいとリノにお願いしたところ、リノは、峰岸の事情を安田に話した。ちょっと男気を出した安田は、試乗車に使っていたスズキ・ラパンをただ同然で峰岸に譲った。ピンクのラパンを手に入れた峰岸は、浮気防止も兼ねて、度々、愛車でデートに誘っていた。



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