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風 狂(第58号)目 次

  

【詩】

セイウチと北極熊        長尾雅樹

齧る              富永たか子

5月の便り           高 裕香

躑躅の道            原詩夏至

メロンパン           なべくらますみ

ドック オブ ベイ       さとうのりお

もが詩人になろう       高村昌憲

まつうら鉄道          出雲筑三

 

【風狂ギャラリー】

三浦逸雄の世界(四十二)    三浦逸雄

 

【エッセイ】

老人妄語(一)         北岡善寿

略奪された名画の行方      神宮清志 

昭和は遠くなりにけり?(2)   高島りみこ

 

【翻訳】

アラン『大戦の思い出』(二十四) 高村昌憲

 

執筆者のプロフィール(五十音順)

 


セイウチと北極熊    長尾雅樹

 

北極の夏の或る日

土肌を(さら)している

小さな細長い地表に

セイウチが

何百頭と

まさに芋を洗う

という状態で

その地に集まってくる

何ともうさんくさそうな

少しもかわいくないセイウチ

その集団を

一頭の白熊が発見して

凝っと覗いている

それからやおら

大きな図体(ずうたい)

白い体が

セイウチの方へ移動する

セイウチは気付かない

かなり近くまでくると

白熊はいきなり大きく吠えた

二回 三回と

セイウチは熊の存在に気付き

一目散に氷の海へ

我れ先にとあわてて逃げていく

騒ぎが収まって

その細長い大地に

何十頭かのセイウチの死体

彼らは彼らの仲間によって

踏み殺されてしまったのだ

白熊はやおら近づいて()いつくすのだ


齧る   富永たか子

 

明るい昼さがり

あまりにも生の時間が重すぎて

ころがる林檎を齧る

冷たく沁みて

香よく匂って…

 

ささやかな親を齧った

うなだれる友を齧った

玉響に呼びかける産土の

なんと歯ざわりの悪さよ

 

風が音もたてずに通る

あまりにも近くを通るので

撫でてやりたい

しるべもなくて来た道

 

林檎を齧る

空にも

雲にも

移ろう花にも

こころは誘われなくて

 

からりと晴れっきりの

春の終りを

なにもかも飽きてしまった


5月の便り    高 裕香

 

5月の風 爽やか

そんな風を全身に感じ

心の芽にも 風が吹く

 

5月14日 帰宅して玄関を開けると

花の香りが広がっていた

花籠にピンクの薔薇とカーネーションの束

 

先生! 明日「先生の日」です。

私は元気です。大学受験 頑張ります。

いつもありがとうございます。とメッセージ

 

6年前 初等部を卒業した ジヒョンさん

3年生から6年生まで 日本語を教えた子

毎年、先生の日カードと年賀状を下さる子

 

三十数年の教員生活が来年3月で終わる。

私の最後の「先生の日」を知っていた。

5月の風と花の香りと言葉が心にしみる。


躑躅の道     原 詩夏至

 

世界が二人だけのものであれば

と願うのは別段

若い恋人たちだけはない

例えば昨日

食道の精密検査を受けた方がいいですよ

と助言された

今年還暦の中国出身の女と

その五歳年下の日本人亭主の

朝の散歩

いるんだ邪魔者が

喉のあたりに

と女はぎこちない日本語で訴え

それから少し黙る

亭主も黙っている

山手通りは躑躅が満開で

鮮烈なピンクがひたすら目に痛い

妊娠だよ

ともかく一緒にいるしかないんだ

女は再び言う

うまいことを

〈身籠るとは生と共に死を孕むこと〉

そう言ったのは確かリルケだったか

恐らく悪気はなかったのだろうが……

 

そうかそれなら共に俺たちはこれから

共に見守り育むのか

〈死〉を

そいつがいつか元気な産声と共に

体内から生まれ出るその日まで

これまでも知らずにそうして来たように……

 

了解だよ

亭主は頷く

空を見上げたまま

だが声には出せない

いるのだ邪魔者が

やはり彼にも

喉のあたりに

躑躅は行けども行けども満開で

二人はもうそろそろ疲れている

それでも立ち止まり引き返すのが何だか

負けるみたいで不安で

言い出せない

口火を切るのはでもやはり俺だな

亭主は思う

妻の痩せた背と白髪を見ながら

さあ そろそろ帰ろう

そうして夕方もう一度来ようよ

薄明りの中

瞬き始めた星々に照らされた躑躅は

きっともっと優しく綺麗だよ



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