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4月になってしばらくたつ。

公園の桜も散り始めて、若葉の季節が始まろうとしている。ぼくはこの季節が好きだ。なぜか。

ぼくは比較的よく公園に行く。公園は入るのにお金を取られることがない。(ぼくの近所の公園は)。そして、基本的にひとが少ない。それがぼくにとっては一番うれしい。

自分の家の部屋も落ち着くことは落ち着くが、一つの場所にじっとしているとだんだん煮詰まってくる。たとえ自分の部屋でも。だから、公園を歩いたりする。よく。

天気の良い日にそして、あたたかい日に、公園を散歩することは気持ちが良い。鳥のさえずりもここかしこから聞こえる。太陽の光のあたたかさを感じられる。神奈川県のF市に住んでもう四半世紀以上だが、この地域が比較的あたたかいからかもしれない。

札幌はぼくの心の「故郷」だ。生まれてから半年で引っ越しているから、そのときの記憶はもちろんない。祖父母が住んでいたから、子どものころ、会いに行ったり、あるいは、祖母が療養していたときはお見舞いに行ったりした。(それは数年前くらいのこと)。

札幌の地図を持っているし、時間があるとその地図を眺めていたりする。そして、札幌や北海道に関連する書籍(ほとんどは古本)を少しずつ蒐集していたりする。それらの資料は最初から最後まで読むのではなくて、時間のあるとき、ページを開いて、一部分だけ読む。全部を読むことはしない。昔の札幌の生活、あるいは、文化、あるいは今はもう生きていないひとの残した文章。そこにあらわれる、札幌、北海道。そういうものに郷愁をそそられる。それを味わうだけでぼくは満足してしまう。それらをまとめてなにかを世に問おうとは思わない。そういう気になることもあるが、それはだいたい脳の勘違いで、ぼくは基本的にそういうことを欲していない。

人の数だけ札幌がある。人の数だけ時代があり、社会があり、世界がある。ぼくは、ぼくにとっての、札幌や北海道をそれらの書籍を通じて、発見して、味わって、そして、ぼくの一部を確かめる。

実際には札幌にはもう丸二年以上行っていない。ぼく自身の体調もあまりすぐれないし(体力が低下している)、いろいろこの場所でやるべきことも多い(時間がなかなかとれない)。それにいまは祖父が体調を崩していて、ぼくが札幌に観光に行くというタイミングでもない。

ひとにはいろんな生き方があるけど、自分がふだん住んでいる、生きている土地とは違う場所をまるで「故郷」のように思うことは大事なこと、というか、貴重なことだと思う。地域や土地が違えば、習慣やおおげさにいえば、文化も違う。言葉もいくぶん違うだろう。そういう場所を自分の心のなかにひとつでももっていると、きっと人生がちょっと豊かになる。ふとしたとき、そこに住んでいるひと、あるいは、住んでいたひと、あるいは、その町、村、都市そのものに思いをはせたりする。それは素敵なことだ。

大げさにいえば、それはいまのこの自分自身を相対化すること。ある意味、客観視すること。そうすることでひとはきっとすこし自由になれる。たとえ、実際にその地に行くことはなかなか困難でも、かつて行ったことを思い返したり、あるいはその土地の情報をインターネットなどのメディアで知ること。そして、いまここにいる自分と同じように、その(遠く)離れた場所でも、いまここを、生きる人がいること。生きているいのちがあること。ぼくにとって、札幌はそういうことをあらためて発見させてくれる場所だ。


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最終更新日 : 2019-04-09 08:36:07

この本の内容は以上です。


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