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 あたし、けっこう幸せだったのよ。あの子がこの家に来るまでは。

 

 五年前、あたしがこの家の子になったとき、『なつき』というお姉さんのキジトラネコがいたけれど、彼女はマイペースで、あたしのことなんかてんで無視。でもね、おばあさんはバカみたいにやさしくて、ご飯はおいしいし、ベッドもふかふか。気ままにのんびり過ごしていたの。ただ、名前がね、ダサくていやだったわ。ここにやってきたのが、七月、ふみつきだから『ふみ』だって。だけど、『ふーちゃん』って呼ばれてたから、まあがまんしてあげた。

 容姿には自信があったわ。だって、おばあさんが、来る日も来る日も、

「ああ、ふーちゃんはなんてかわいいのかしら、三毛でもこんなに愛らしい子はちょっといないわねえ」

 って言ってたもの。

 ところがどうでしょ。そんな暮らしを、あの子がめちゃくちゃにしたのよ。

 ちょうど一年前の梅雨、激しい雨の降る夕暮れだったわ。普段慌てないおばあさんが、ドタバタ出たり入ったりしてた。しばらくして、タオルにくるんだ何かを抱きかかえて入ってくると、それをそっと段ボール箱に入れたの。のぞきこんだあたしは、びっくり仰天。だって、目も開いていない生まれたばかりの子ネコが震えていたんだもの。きょとんとしているあたしに、おばあさんは、小さな声で言った。

「この子はとても弱ってるの。静かにしててね」

 あたしは、おばあさんの足もとにすり寄ったけれど、

「今はダメよ。ミルク飲ませなきゃね。ちょっと待っててね」

 それだけ言って、いつものようにあたしを撫でてくれなかった。お湯を入れたペットボトルや毛布を入れたりと、その子にかかりきりになったわ。

 そんな日が何日も続いた。なつきさんは、知らない顔して寝ている。そうそう、『なつき』の名は、九月、ながつきにおばあさん拾われたからだそうよ。あたしは、むしゃくしゃを紛らわせようと、きつく柱で爪を研いだ。もうこの家は、壁も家具も傷だらけだから構わないんだけど。

 お日様がかんかん照り出した頃、『じゅん』と名付けられた子は、部屋をちょこまかと動き回るようになった。ここに来た六月が、英語でジュンていうからなんだって。あたしがずっと遊んでいた茶トラのぬいぐるみとうり二つで、よく見まちがえたわ。

「よかったあ、じゅんちゃんが元気になって。ねえ、ふーちゃん、仲良くしてやってね。今日は膝の痛みも楽だしうれしいわあ」   

 おばあさんは食卓の椅子に座り、あたしの背中や喉をなでながら言った。あたしは、おばあさんの手の甲をペロペロ舐めた。こうすると、とても落ち着くの。

 

 じゅんは、、あっという間に大きくなった。あたしよりうんと大きくなってしまったのよ。ものすごい食欲で、なつきさんやあたしのご飯を横取りするから、ゆっくり食べていられなくなった。寝ているとひっかく。よちよち歩いてたのがうそのように、すごい速さで追いかけてくる。

「ぐわーん」

 って言いながら背中に乗ってひっかく。あたしは、しかたなく、ずっとおばあさんのベッドの下で過ごしてた。

 イライラの夏がなんとか過ぎた。じゅんのいるこの家が嫌でたまらなくなっていたわ。

 ある朝、網戸に破れを見つけて、飛び出した。涼しい風が吹き抜ける外は、心地よかったわ。草の上を転がったりして気分爽快。ところが、ふんふん歌いながら歩いていると、急に野良が追いかけてきた。慌てて溝の中に逃げ込んだの。どろんこになって気持ち悪かったけど、しばらくじっとしてた。それから、そっとどこかの家のガレージの隅に隠れた。なんとそこにはお椀に入ったキャットフードがあったの。大喜びで食べようとしたら、急に、後ろで低いうなり声がして追い払われたわ。こわくて夢中で駆け回ったの。

(おなかすいたなあ。おばあさんの家どこだったかしら?いや、でも、あのじゅんがいる)

 なんて思いながら、すっかり暗くなった道をとぼとぼ歩いたわ。

「ママ、あのネコにこのクッキーあげてもいい?」

 あたしと目が合った小さな男の子がそう言った。

「野良にえさやっちゃあいけないのよ。三毛みたいだけどきたないわねえ」

 お母さんに手を引っぱられたその子は、ぽとっとクッキーを一枚落としてくれた。あたしは、それをくわえて草むらに逃げ込んだわ。もうお腹ペコペコだったもの。食べようとしたそのとき、片目がつぶれた真っ黒な野良が、目の前でうなった。あたしは震え上がった。だけど、体中の毛を逆立て、「フー!」って歯をむいた。恐ろしくて気を失いそうだったけど、目を見開いて、もう必死だったわ。そしたらね、、その巨大な野良が、後ずさりして向こうへ行ってしまったのよ。信じられる?あたしは、体中の力がぬけて座り込んでしまった。でもでも、

(あたしだってできる!)

 そんな思いが、体中をかけめぐった。そのとき、

「ふーちゃあーん」

 道の向こうから、おばあさんの声が聞こえてきた。おばあさんに会いたい一心で、夢中で駆けたわ。

(あたしだってできる!あたしだってできる!)

 弾む息に合わせて、そう繰り返しながら。

  次の日、あたしはやったわ!

 じゅんにかみついたの。耳の後ろ。ふいをくらって、じゅんは、悲鳴をあげて二階へ駆けあがった。

「まあじゅんちゃん、どうしたの。ぶるぶる震えて。すごい声がしたけど」

 びっくりしたおばあさんの声が、二階から聞こえてきた。それからずっと、じゅんは下りてこなかった。

「じゅんちゃーん、ごはんよ」

 何度呼んでも下りてこないじゅんに、おばあさんは、

「よっこらしょっ」

 膝に手を当てて、つらそうに二階へお椀を持って行ってやった。トイレも置いてやった。なつきさんは、今までと変わらず二階へも気ままに行き来していたけれど、あたしはまっぴらだった。

「ほんとは気の小さな子だったのね。いい気味」

 あたしは、じゅんに占領されていたキャットタワーのてっぺんで、大あくびをしながら言ったわ。それから、ソファーで毛づくろいしているなつきさんに声をかけた。

「さわやかねえ。じゅんがいないと」

「うふふ、そうね、二階の部屋に引きこもってるわ。ちょっと見に行ってあげれば」

 なつきさんは、るり色の目であたしを見上げて、笑った。

「いやよ、あんな子大嫌い」

「あなただってなかなかのものだったわよ」

「そんなあ、まさか」

「ガリガリでこの家にたどり着いたあなたの世話で、おばあさんはそりゃあもう大変だったのよ。病院で『もう一日遅かったら死んでました』って言われたとか。高栄養の缶詰を少しずつ食べさせてあげてたわ」

「あたしはそんな面倒掛けてないと思うけど」

 キャットタワーのハンモックに乗ったあたしは、寝たふりをした。

「あなた、食い意地がすごくてね、私が半分も食べないうちに横から顔を押し付けて食べてしまうの。だからご飯は別の部屋にしてくれたのよ、おばあさん」

(そ、そんなあ)

「だから、じゅんちゃんもそのうち落ち着くわよ、元気が余ってる男の子だから」

 なつきさんは、前足を上げてお腹をペロペロなめた。

「でもなつきさんにはあまりいじわるしないもの」

 思わず顔をあげて言ってしまった。

「じゅんちゃんは年の近いあなたと遊びたいのよ。それがちょっとあらっぽいの」

 あたしは信じられなかった。そのとき、二階から、おばあさんの声が聞こえた。

「ほらじゅんちゃん、ここまでいらっしゃい」

 階段の一番上にお椀を置いてもらったようだ。

(あんな子ほっておいたらいいのに)

 そう思うけれど。

 じゅんは、食べ終わると、大慌てでまた部屋にかけこんだようだった。

 次の日、おばあさんは一段下にお椀を置いた。じゅんは、また、そうっとやってきて。その次の日は、もう一段下へ。その繰り返しだった。毎日一段ずつ、十三日めに一階の廊下まで下りてきた。

 あたしは知らんふりしてた。もう怖くなんてないわ、あんな子。そうよ、あたしだってできたの。こういうのを『下克上』っていうのよ。

 じゅんは、それからは、今までのようにしたでも過ごすようになってけれど、あまり追いかけてこなくなったわ。まあときどきはあるけどね。ご飯もあたしが残さないかと後ろでじっと待ってる。うっとおしいことはうっとおしいけどね。

 

 今、あたしはおばあさんのベッドの上でお昼寝している。じゅんが、茶色の縞のしっぽをふりながらやってきて、寝そべった。おしりの方だけ近づけて、顔は別の方を向いてるの。

 まあいいわ。あたしは、前足に顔をうずめた。じゃあ、おやすみなさい。


この本の内容は以上です。


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