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第2章 宗教書?聖書の正確さ

第2章 宗教書?聖書の正確さ

  私が高校生だったとき、歴史の先生が聖書の記述の確かさについて、興味深いことを説明していました。(ちなみにその先生はクリスチャンではありません)。その話によると、現在は「ヒッタイト」という国家があったことは歴史上の事実ですが、しかしかつては聖書にのみ記述のある、幻の国とか言い伝えだけの国、と思われていたというのです。

  

  聖書にはヒッタイト人のことを「ヘテ人」と記しています。この聖書の記述がしっかりとした歴史であると証明されたのは、発掘されたオリエントの文献の中にヒッタイトについての記述があったからでした。

  

  また聖書に記載されているエドム人の国の首都ペトラも、現在観光地となっている遺跡が発見されるまでは、聖書の中のおとぎ話と考えられていました。

  

  

 

  この章ではそのような、聖書の記述の正しさが証明された実際の事例を、いくつか挙げてみたいと思います。

  

  

  聖書が科学に先んじていた実例

  

  宇宙はかつて「始まりも終わりもなく、いまある状態がずっと保たれてきた」と考えられてきました。そして科学者たちには「真空」という概念がなく、宇宙はエーテル体という物質が満ちた空間である、と考えられていました。しかし現在はビックバン理論が主流で、宇宙空間は何もない空間であると分っています。

  

  ビックバン理論にも紆余曲折があり議論があるようですが、何もない無から全てが広がったとする考えや、地球が真空の宇宙空間に浮いているということは、聖書にも記述されていることです(ヨブ記26章7節 新改訳聖書):

  

  

神は北を虚空に張り、地を何もない上に掛けられる。

  

  

  旧約聖書の原文のヘブライ語では、「張る」という言葉に「ナーター」という単語がつかわれています。この単語には「張る」のほかに「かたむける」という意味もあります。つまり聖書は昔から地が真空に浮かんでいることと、地球の軸が傾いていることを伝えていたのです。(地軸が23.5度かたむいていることは周知のことです。)

  

  もちろんそれを読む人間がそのことを理解したのはずっとのちのことですが、聖書は科学よりも先んじて正確な事実を伝えていたのです。

  

  またドイツのウェーゲナーが1912年にはじめて大陸移動説を発表したとき、学会は彼を嘲笑しました。しかしいまでは大陸が移動したことは常識です。そして現在ではウェーゲナーが想定した、たったひとつの「パンゲア大陸」から、すべての大陸が分かれていったと学会でも考えられています。

  

  実は最初の大陸がひとつであったことも、聖書にはしっかりと記されています。

  

  創世記1章9節には神の天地創造の一場面として、つぎのような記述があります:

  

  

神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。

  

  

  この「地」は海に現れた大陸のことです。そしてその「地」は単数形で書かれています。聖書は創造の初めに、大陸がひとつであったことを伝えているのです。

  

  また人の知識がまだ、水の循環システムについて理解していないとき、聖書はすでにそれをつぎのように語っています:

  

  

伝道者の書1章7節

 

川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。

 

 

ヨブ記36章27節から29節

 

:27 彼(神)は水のしたたりを引きあげ、/その霧をしたたらせて雨とされる。

:28 空はこれを降らせて、人の上に豊かに注ぐ。

:29 だれか雲の広がるわけと、/その幕屋のとどろくわけとを/悟ることができようか。

  

  

  科学者たちが水の循環について説明するずっとまえに、聖書はそのことをすでに述べていたのです。

  

  聖書が科学に先んじている例はさらにあります。

  

  「新・科学の説明が聖書に近づいた」の著者である久保有政(くぼありまさ)氏によると、日本人が発見した大型船舶の安定性と強度に関する黄金比率は、旧約聖書に登場するノアの箱舟の寸法の比率とまったく同じだったそうです(同書192頁-193頁)。

  その比率は長さ・幅・高さが30・5・3で、研究したチームの責任者の名前をとり、「真藤(しんとう)比」とか「黄金比」などと呼ばれています。しかし創世記6章15節に記されているノアの箱舟の比率は、日本人が研究するずっと前から30・5・3でした。

  ノアの箱舟はメートル法になおすと、長さ132メートル・幅22メートル・高さ13メートルの巨大な浮かぶ箱でした。(現在の船の形ではなく、文字通り箱形です。)

  

  

 

  ノアは神に言われたとおりに箱舟を作りましたが、そこには安全性と強度を保つための最高の知恵が初めから存在していたのです。聖書は昔からそれを伝えていました。

  

  

  聖書の記述をもとに科学を進歩させた人たち

  

  聖書の正しさを初めから確信して、科学を進歩させた人々もいます。カール・リンネとマシュー・モーリーはその代表でしょう。

  

  カール・リンネは18世紀スウェーデンの博物学者で、「分類学の父」とも呼ばれています。

  彼は創世記1章にある天地創造の話のなかで、神が「その種類にしたがって」動植物を生じさせたという記述に啓発されました。そして必ず動植物には系統だった種類があるはずだと信じ、分類をはじめました。

  進化論的な考え方がすすんでしまった現代では、この分類を進化論的に分類したものと思いがちですが、分類学は聖書に啓発されて発達したのでした。

  

  マシュー・モーリーは「海洋学の父」と呼ばれ、19世紀に活躍し海流を発見した人物です。

  彼はアメリカ海軍の士官でしたが、詩篇8篇8節に「海路」という言葉があることで海の道の存在を確信します。そして潮の流れや海上風のデータを集め、海流についてまとめました。

  モーリーは海に生きる者として、聖書の以下の聖句から特に励ましを受け取っていたと伝えられています:

  

  

詩篇107篇23節24節

 

舟で海にくだり、大海で商売をする者は、

主のみわざを見、また深い所でそのくすしきみわざを見た。

  

  

  マシュー・モーリーは軍人でしたが、神を信じ聖書の正しさを確信したことで海流を発見し、創造主のくすしきみわざを見ることができました。

  

  聖書の正しさを信じて科学を進歩させた人々がいるいっぽうで、教会が聖書の正しさに気付かずに、天動説のような誤った教理を確立した時代もありました。

  

  しかしこのような時代にあっても、コペルニクスやガリレオ、またケプラーといった熱心なクリスチャンによって地動説が唱えられました。

  宇佐神氏によるとガリレオは「自分は聖書に反したことは、何一つ言っていない。教会がまちがった科学と結託してその考えを教理にしてしまった」と主張したと伝えられています(「崩壊する進化論」212頁)。

  

  残念ながら進化論的な科学者の宣伝によって、聖書は地動説を唱える前近代的な書物というようなイメージが広まっているようです。しかしすでに述べたように、聖書は地球が何もない宇宙空間に浮かんでいることや、北と南をつらぬく地軸に傾きがあることなど、人の理解を超越したことを昔から述べていました。

  

  ガリレオの時代のように、人の理解がようやく追いついて聖書の正しさが後から分るようなことは、歴史上しばしば起こったことです。そしてそれはいまも起こっています。

  

  

  近代科学が聖書の正しさを追認?

  

  創造論学者のヘンリー・モリス氏によると、18世紀のプロテスタントによる大覚醒運動は地質学にもおよび、「洪水地質学」が主流になるほどの影響を与えたそうです。この学説は化石が含まれるすべての岩石層が、ノアの時代の洪水によって造られたとするものです。

  現在は、19世紀後半以降の進化論的斉一説(せいいつせつ)が主流となっています。モリス氏によればこれは科学の進歩ではなく、異教的な考え方に「逆戻り」する理論です(「科学は聖書を否定するか」114頁)。

  

  進化論的斉一説とは、「万物は悠久(ゆうきゅう)の昔から、進化によって徐々に現れてきた」とする説です。

  この考え方によるとすべての地層は、気の遠くなるほどの昔から、徐々に積み重ねられてきたことになります。そしてこの考え方に従って、悠久の昔から降り積もった地層を計算すれば、地球の堆積(たいせき)層はおよそ160kmの厚さにならなければおかしいのです。しかし実際はその百分の一の1.6kmしかありません。

  

  またこの考え方では死んでしまった動植物がまったく腐敗もせずに原型をとどめ、化石として現在に発掘されることの説明がつきませんでした。

  

  そしてダーウィンが頭を悩ませた、「カンブリア爆発」とよばれる現象の説明がありませんでした。「カンブリア爆発」とは、先(せん)カンブリア紀とよばれる地層にはほとんど化石がなく、その次のカンブリア紀の地層になると一気に化石が現れることにより名付けられた現象のことです。

  進化論学者たちは、カンブリア紀に入るとなにかの理由で突然進化が大爆発したと考え、それを「カンブリア爆発」と呼ぶのです。その「なにかの理由」についてはダーウィンの時代から謎でした。

  

  しかし最近、化石の生成メカニズムが解明されてきました。

  それによると化石とは、動植物が一瞬にして泥土に埋められ、空気から完全に遮断されることからつくられます。

  このことが解明されてくると、創造論の説明がさらに正確になります。

  

  その説明をまとめるとこうなります。

  

  堆積層はすべてノアの時代の全世界を完全に覆った洪水によってつくられました。そして、地層の下に植物や昆虫の化石があり、上にいくにしたがって爬虫類、ほ乳類などが発見される理由は、進化の過程をしめす順序ではなくて、洪水から逃げ続けた行動力の順です。つまり全世界を40日40夜の雨が降り、低い地域から水没していくとき、植物や昆虫がまず泥の中に埋まります2。そして逃げた順に高い所へ避難しますが、それでも最後は水におおわれて流されて行き、ついには泥に埋められてしまいます。こうして地層は一気に形成され、下の方には行動力の少ない生き物が、上の方には行動力の多い生き物が堆積し、化石となったのです。

  

  この説明にしたがえば堆積層がどうして世界中に1.6kmほどしかないのか、また堆積層の下のいわゆる「先カンブリア紀」の地層が、他の地層と違いなぜギザギザなのか、またそこからはなぜほとんど化石が出土しないのかも説明がつきます。

  

  

 

  先カンブリア紀の地層とはノアの時代の地層であり、そしてカンブリア爆発は進化の大爆発ではなく、全世界的な大洪水の発生の証明となる、植物や小さい生き物の生き埋めによる化石なのです。

  そしてノアが歩いた地層の上に泥水が堆積すれば、先カンブリア紀の地層がギザギザで、それ以外の地層が自然に堆積した沈殿物による、均衡な線であることの説明がつきます。

  

  近年シベリアの凍土からつぎつぎと発見されている冷凍マンモスの研究も、聖書の記述を無視すれば理解できないことで満ちています。

  

  ベレゾフカ河畔のマンモスとして有名な冷凍マンモスは、胃の中に消化もされずに腐敗もしていない、原型をとどめた食物が残っていたばかりか、口の中にはキンポウゲの食べかけを残したまま冷凍されていました。このことはマンモスが瞬時に冷凍状態におちいったことを物語っており、氷河期が徐々に訪れたとする従来の説では説明がつきません。

  加えることにマンモスが皮脂腺(ひしせん)のない動物であること、つまり温帯性の動物であることもわかってきました。

  

  温帯性の動物であったマンモスが、現在では極寒の地とされるシベリアで生活をし、しかも瞬時に凍らせられる何かが起こったのです。

  

  とても不思議なことですが、しかしこのことも聖書の記述を考慮すれば見えてくることがあります。

  

  聖書には神が天地を創造されたとき、大空が上の水と下の水の間にあるようにされたと書かれています3。そしてノアの洪水が起きる際には、「大いなる淵(ふち)の源(みなもと)は、ことごとく破れ、天の窓が開けて」雨が降り、洪水となったと記されています4。

  これらの記述から創造論に立つ科学者たちは、ノアの洪水の前には地上は宇宙空間の水(あるいは水蒸気層)に守られて、全地球的に温帯であったと考えています。

  

  

 

  その「上の水」の守りが突然亡くなったのがノアの洪水です。そして地上は短期間に水で覆われたばかりではなく、場所によってはシベリアのマンモスのように、洪水の水よりも先に、熱帯植物園の天蓋が一瞬に取り払われたように突然冷え、一挙に冷凍されるほどのシベリアの寒波に見舞われたと解釈しています。

  

  また洪水以前の世界が全地球的な温帯であるなら、北極や南極にサンゴの化石や石炭層が発見されていることも説明できます。

  

  創造論者のそのような解釈を裏づける証拠はほかにもあります。

  

  琥珀(こはく)は装身具としても人気ですが、実は太古の樹木のヤニが化石となった物です。それゆえに琥珀に閉じ込められた空気を分析すれば、太古の地球について知ることが可能となります。

  

  

 

  アメリカの地質学者のランディスは、琥珀にとじ込められた気泡を分析た結果、酸素濃度が約30%もあったことが分りました。現在の地球の空気の酸素濃度は約21%です。この結果から前出の久保有政氏は、創造論に立った見解としてつぎのように述べています:

  

 

(ノアの洪水が起こる前の)当時は全世界が暖かく、どこにおいても植物が繁茂(はんも)していたので、大気中の酸素濃度がこのように高かったのである。これらの事実は、上空の水蒸気層という考えによってよく説明されるのである。水蒸気層は、実によく「知的にデザイン」されたものだったのだ。(「天地創造の謎とサムシンググレート」179-180頁)

  

  

  温暖で酸素濃度も高く、いまよりも有害な宇宙線が少なければ、トンボなどの古生代の生物が巨大であったこともうなずけます。

  

  ちなみに古生代のトンボは全長1メートルにも及ぶものがあったと分っていますが、進化論的な科学では理解できない不思議な点があります。

  それは古生代の巨大なトンボは、現在の気圧下では空を飛べないと結論づけられてしまうことです。同じように空を飛ぶ恐竜とされるプテラノドンも、その体の構造からは現在の気圧では飛べないことになってしまいます。

  しかし気圧がいまの2倍もあるのなら話は別で、創造論者は洪水前の気圧は「上の水」の影響で、いまの2倍以上あったものと解釈しています。

  しかしながら進化論ではこのような不可解な点には説明がなく、まるで触れないようにしている感さえあります。

  

  

 

  脱線ついでに巨人についても触れてみます。

  

  あまり表立って報道されたりはしませんが、巨人の骨や足跡の化石は、実は世界各地で発見されています。(ネットで検索すれば確認できます。)ときどきメディアで取り扱われても宇宙人あつかいされ、面白おかしいキワモノ的な内容にされてしまっています。

  しかしこれらの巨人も洪水前の人類か、あるいは洪水後に環境が変わって行くしばらくの間の人類であると解釈できます。また同時に、ノアの洪水以前には堕落した天使と人間の間にできたネフィリムと呼ばれる巨人が存在しました5。

  

  聖書の登場人物たちの寿命も、洪水の前後で長さが激変しています。トンボが現在のサイズになったことと同じで、人類にも環境の激変による影響があったものと想像できます。すなわち守られていた環境がなくなったための寿命の短縮と、その環境に適応するための体の大きさの変化です。

  

  これは筆者である私の想像ですが、進化論者はひょっとしたらこれら不可解な点に目を向けないのではなく、わかっていてわざと触れないのかも知れません。

  あるいは進化論者の中には確信犯的な反聖書主義者がいるのかも知れません。つまり少しでも聖書や神の存在を認めるようなものは排除するという、ある種の狂信性から進化論を推し進めているのかも知れません。

  

  そのことを裏づけられるかも知れない出来事として、本章の最後に以下のことを取り上げますが、読者の皆さんはどのようにお感じになりますでしょうか。

  

  進化論的斉一説が地層を、悠久の時間をかけて徐々に堆積してできたものと説明していることは、すでにふれたことですが、その説をくつがえす出来事が1980年5月18日にアメリカで起こりました。それはセントヘレンズ山の噴火です。

  

  セントヘレンズ山の噴火の予兆はすでに、噴火の数か月まえから観測されていました。それゆえに行政は住民の避難をあらかじめ勧告し、学者らは噴火の記録をとる準備をしていました。

  衆人環視の中で噴火したセントヘレンズ山は、山頂から北斜面に向かって400メートルほどが崩壊し、周囲590平方キロメートルに噴石を積もらせました。その堆積物の高さは平均45メートル、最大180メートルにもなりました。

  土砂の流入により形が変わってしまったスピリット湖の湖底には、この災害で形成された泥炭が見つかりました。このことにより泥炭の蓄積と石炭の形成が、進化論的地質学者の意見に反し長時間もかからず、たった一度の大激変でじゅうぶんだったと分りました。

  

  

 

  またこの噴火によって形作られた渓谷は、現在は国立火山記念公園となっており、「小グランドキャニオン」とも呼ばれるほどの見事な渓谷で観光客を呼んでいるそうです。

  創造論に立つ宣教団体の「アンサーズ・イン・ジェネシス」の日本語サイトは、このセントヘレンズ山噴火を紹介してつぎのように解説しています(http://bit.ly/2wii2px):

  

  

セントヘレンズ山の噴火は、数ヶ月のうちに地域一帯の景観を大きく変貌させただけでなく、地層、峡谷、石炭の形成には「何千万年」もの年月が必要だという考えにも大きな風穴を開けました。セントヘレンズ山の噴火によって、それらの形成には長い時間を要しないことが証明されたからです。

  

  

  地層や石炭の形成がいままで信じられていたような悠久の時間を必要としなかったことも驚きですが、この災害から40年近くたったいまも、このとき観測されたデータがほとんどの人々に伝えられていないことも不思議です。

  

  読者の皆さんは意図的な情報隠蔽を感じませんか?6

  

  たとえ私が感じたように意図的に事実を伏せて進化論を熱狂的に推進するような人々がいなかったとしても、「神はいない」という視点からは見えてこない事実もあると思います。

  

  そういう意味から言えば、この世の中に「中立的な立場」などはあり得ません。つまり、この世はふたつの側に分かれます。すなわち神を信じない側か信じる側かの、ふたつです。

  

  第1章の冒頭で述べたように進化論は科学というよりも宗教です。そして、キリスト者として私はこう指摘されることは好みませんが、進化論者が言うようにキリスト教も宗教です7。もしそうなら、「神はいない」という宗教と、「神はいる」という宗教が混ざり合うことはあり得ません。

  

  そして読者の皆さんも、そのどちらかを選びつつあるのです。いやむしろ、知らない間に“選ばされている”といった方が良いかもしれません。

  

  つぎの章では、このふたつの選択肢の影響について、見ていきたいと思います。そして本書の最も大切なテーマである、救い主である神、イエス・キリストについてご説明いたします。