閉じる


まえがき

まえがき

まえがき

  

  日本は進化論が世界で一番普及している近代国家です。そして、それには理由があります。

  

  その一方で国民の大多数は進化論に何の疑問も持たず、進化論こそ科学であって他の選択肢は無いとさえ信じ切っています。

  ときどきテレビのバラエティー番組などで、アメリカのクリスチャンが義務教育で進化論だけを教えることに対しての抗議をし、自分の子どもたちをチャーチスクールやホームスクールで教える様子が報道されます。クリスチャンが運営するそれらの、チャーチスクールやホームスクールでは、聖書にのっとった創造論で教育がなされています。

  そんな番組の中で創造論を教えているシーンを見た日本のコメンテーターは、みな同じように驚いて「狂信的だ」とか「危険だ」とかの意見を述べます。

  

  しかし本当に危険なのは、進化論と創造論の戦いが続いている米国ではありません。むしろそれよりも危険なのは「進化論こそ科学である」と信じて疑わない、日本人のほうです。そのことは本書のなかで順次にあらわにしていきたいと思います。

  

  本書は進化論が「神はいない」という大前提で展開されている、キリスト教思想を崩すための"洗脳"であることを指摘し、日本人の読者に創造論と聖書の思想について紹介するものです。

  

  

  本書の構成は以下のようになっています:

  

  第1章 進化論は宗教

  この章では進化論が「神はいない」という前提で展開されていることを述べ、進化論の迷走ぶりをご紹介します。「科学」を信奉していると自称する人々は、創造論を「宗教」だと冷笑し、前近代的だと述べます。本章では彼らの主張もどれほど宗教的で、盲目なのかを指摘します。

  

  第2章 宗教書?聖書の正確さ

  本章では進化論者に非難され冷笑される聖書が、どれほど正確で、時代を超えた新しさに満ちているのかをご紹介いたします。そして「神はいない」という前提に立てば、どうしても説明困難になる様々な事象について、聖書的な観点から説明します。

  

  第3章 どっちを信じる?

  この章では前二章の内容をふまえ、「進化論(無神論)vs創造論(聖書信仰)」という観点から世界を眺めていきます。そして進化論が、やがて来る世の終りの時代の「世界統一宗教」の伏線であることを見ていきます。最後に読者に聖書の神をご紹介し、イエス・キリストを信じ受け入れる祈りについてご説明いたします。本書を読んで納得された方は、その祈りをご自分の祈りとして告白することをお勧めいたします。

  

  付録

  「あとがき」に続いて「付録」を加えました。伝道用のkindle本である「Kindleトラクト」シリーズとして、同じものを付しています。本書を読んで初めてキリストを受け入れた方への、初歩的な信仰指南です。祈りについて、聖書通読について、教会探しについて、などのテーマに沿っての著者の私見です。ご参考にして下さればと思います。

  

  

  まえがきの締めくくりとして、日本にキリスト教信仰が入り込むことを、どれだけ明治政府が防ごうとしていたのかを、お話ししたいと思います。このことだけをふまえても、日本の進化論教育が意図的にまた、計画的に進められたことを納得することができるでしょう。

  

  

  徳川幕府の末期、欧米列強との摩擦を避けるためにいわゆる「踏み絵政策」は廃止され、かつて切支丹(きりしたん)とされた人々の子孫や、旧切支丹村に対する定期的な踏み絵は行われなくなりました。しかし幕府が掲げた切支丹禁制の高札(こうさつ)は明治維新後にも掲げられ続け、キリスト教諸国の批判の的となっていました。

  

  さらに諸外国の非難を浴びた事件には、江戸末期から明治維新直後の混乱の中で4度にわたって行われた、「浦上崩れ」と呼ばれる切支丹への大迫害がありました。この事件はすぐに欧米諸国にも知れ渡り、幕府にも新政府にも抗議の声があがりました。しかし日本は一貫して「これは日本国内の治安問題である」とし、断固とした措置を執り続けていました。

  

  この迫害は江戸期を生き抜いた隠れキリシタンらが、欧米諸国(カトリック・プロテスタントの双方)の訪れにより、自らの存在を表わしたことに対する取り締まりでした。

  

  250年以上も立てられ続けた切支丹禁制の高札が取り外されたのは、1873年(明治6年)2月24日のことで、徳川幕府の瓦解(がかい)より6年もあとのことでした。

  

  新政府による太政官(だじょうかん)布告(ふこく)第68号という法令によって、旧幕府の掲げた高札は取り除かれ、旧切支丹村とその子孫への監視と迫害は終了することになりました。そのいきさつはこうです。

  

  明治新政府は岩倉具視(いわくらともみ)以下約50名、留学生も含めると100名を超す大規模な使節団を欧米に派遣しました。この岩倉使節団の出発は1871年(明治4年)、後に採用される太陽暦の日付で、12月23日に横浜を出航しました。

  

  実はこの6日前の12月17日、この岩倉使節団を行く先々で悩ますことになる伊万里事件が勃発していました。この伊万里事件は現在の佐賀県での切支丹大弾圧で、67名が検挙投獄された事件でした。

  その様子は長崎の外字新聞がいち早く取り上げ、岩倉使節団よりも先に諸外国はこの事件を知ることとなりました。使節団が同事件を知るに至るのは、米国ソルトレークシティーのタウンゼントホテルにおいてでした。しかもホテルのロビーに宿泊客用に置いてあった新聞によって、はじめて知った内容でした。事件勃発から1ヶ月以上も経過した2月4日のことでした。

  

  この岩倉使節団の主な目的は列強諸国への視察でしたが、もうひとつの大きな目的として旧幕府の結んだ不平等条約の改正がありました。しかし時の米国大統領グラントは、岩倉との会見の中で伊万里事件を引き合いに出し、「信教の自由が無い日本とは、いまの条約のままで宗教を保護するほかは無い」と主張しました。

  現代の私たちにとってはこの弁は全くの言いがかりで、不平等条約と伊万里事件は別々に対処されるべき問題だと分ります。岩倉も同じく「切支丹に対する問題は日本の国内問題である」との従来の主張を強く述べました。しかしキリスト教文化圏の中ではその主張は通用せず、新聞は使節団を「キリスト教を弾圧する野蛮な国からの使節」という論調で書き、民衆をあおりました。

  

  続いて訪れたヨーロッパでも、岩倉らを迎える状況は変わることはありませんでした。むしろ悪くなって行ったようです。

  イギリス、フランス、ベルギーの政治家らもまず、キリスト教徒弾圧について話題にします。さらに使節団の馬車がベルギーの首都ブリュッセルに入ると、民衆までもが馬車を取り囲み「クリスチャンを解放せよ」と訴えるほどの状況となっていきました。

  

  ここへ来て岩倉らも、強硬姿勢には無理があると感じ始めたようです。その証拠にベルギーの蔵相との会談において岩倉は「キリスト教徒への待遇は以前よりはだいぶ良くなっているし、これからも善処するつもりである」との趣旨で言い訳をしています。

  使節団に加わっていた伊藤博文(いとうひろふみ)はこの時期、留守政府の大隈(おおくま)重信(しげのぶ)に手紙を書き、「岩倉の強硬な訴えは欧州の現状にあわない」という内容を伝えています。

  

  そしてオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウイーンにおいては、皇帝主催の晩餐会で岩倉のとなりに座っていたエリザベート皇后が、岩倉らを「キリスト教徒の敵」としてほとんど口をきかない態度を取りました。そのとき同席した通訳者が気をつかい、日本の軟化しだした姿勢を皇后に説明し、ふたりの間を取り持つ努力をしなければなりませんでした。

  

  そしてベルリンに来てとうとう岩倉は、約半年後の帰国を待たずに、日本の留守政府に対して切支丹禁制の高札を取り除くように指示を出しました。1873年(明治6年)2月のことでした。

  こうして同年2月24日に太政官布告第68号が発令されました。

  

  しかしその布告の文面には「一般熟知のことにつき取り除く」と述べられていました。つまり、「誰もが知るに至った邪教禁制のゆえに、必要がなくなった高札は取り除く」という意味です。言い換えれば「欧米列強の風当たりが強いことが分ったので高札は取り除くけれども、キリスト教は邪教です」と言うことです。

  

  そしてここからが明治政府の、キリスト教を意識した進化論導入のはじまりです。

  

  そのひとつの象徴的な政策として、当時新進気鋭の米国人進化論学者、エドワード・シルベスター・モースの招聘(しょうへい)があります。

  

  モースはハーバード大学講師やボウディン大学教授を歴任し、日本から帰国した後はアメリカ科学振興協会の代表に就任するなど、動物学者として活躍した人物です。

  

  1877年(明治10年)に、いわゆるお雇い外国人として招かれたモースは、当時設立されたばかりの東京大学理学部生物学科の教授となります。

  大森貝塚の発見者としても有名なモースは、日本の人類学の基礎を固めた人物ともされています。そして日本に進化論を“最新の科学”として導入し、これが根付くための基礎を固めた人物でもあります。

  

  日本では幕末期であった1859年にダーウィンが「種の起源」を出版して以来、欧米では進化論は議論の対象となっていました。しかし日本には議論の余地の無い“事実”として教育されました。日本国民への基礎教育には現在でも、明治政府が注意深く進めた進化論教育が色濃く影響しています。

  

  そしてその進化論は、「神はいない」という大前提により論理展開される、聖書の創造論を強烈に意識した無神論なのです。

  その無神論を信じることは個人の自由ですが日本の場合は、国家がキリスト教思想が入り込むことを防ぐために、進化論を積極的に教育してきた側面があります。それゆえ日本では進化論が選択肢も無く、また議論の余地も無い「科学的事実」としてあつかわれてきました。

  

  前述したアメリカのホームスクールやチャーチスクールでは、子どもたちになぜ自分たちは公共の学校に行かせられていないのかを必ず説明するそうです。すなわち、公共の学校で教えられていることが何か、またどのように聖書の教えと違うのかを、子どもたちにも納得させるそうです。

  

  しかし日本のテレビ番組では、明治以来の教育で進化論を信じ切っているコメンテーターが、その様子を見て「洗脳だ」とか「危険だ」とか口々に述べます。はたして洗脳されているのはアメリカの子どもたちでしょうか、それとも日本の子どもたちでしょうか。

  

  一般的に言って熱心なクリスチャンは「宗教を信じている」と表現されることをいやがります。その理由は、熱心なクリスチャンであればあるほど、神との個人的な関係を意識するようになるからです。しかし進化論者は政治や行政に「宗教」を持ち込むことを徹底的に排除したがるいっぽう、進化論が「宗教」であることに全く気がついていません。

  聖書や創造論を「宗教」として排斥をするのなら、進化論も同様に排斥されるべきでしょう。そのような思いから本書を執筆いたしました。

  

  次章より、日本人が疑うことも無く受け入れさせられてきたその進化論の、非科学的な宗教性についてみていきたいと思います。