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は じ め に

 今回、初公開となるのは、昭和二十二年の教祖さまのご教話である。

 父龍風が入門当時、参山者が泊まると決まって、教祖さまは第五天小屋で夜教話をなされた。

 その時、筆記したノートから復元したのがこの教話である。

 読むと三十年代の教話と違い、体験談も多く、教えも豊富である。

 箇条書きのノートから出来るだけ、復元した。文責は編者にあるが、恐らく全体の七割は復元出来たと思う。その意味では、テープ録音のなかった時代の貴重な教話である。

 教話の内容がその日で数行で終わっているが、あえて掲載した次第である。

 敗戦後の教祖さまのご心境が、時おり教話のなかから窺え、感無量であろう。

 その意味では、父の残してくれたノートに改めて謝意を表したい。


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大和山大神とは

  大和山の神さまは一体どういう神さまであるかというと、新しく生まれ出来た神さまではありません。

大和山大神さまとは名前の新しい神さまですが、まず天照大神を頭にして八百万の神仏を云うのです。

では、仏とはどういうものかと云うと、仏は仏界に居ると如来・観音菩薩と称し、神界に帰ると、何々の命と申し上げるのです。

それで大和山では、神も仏も信じなければならないのです。

 ですから、今まで昔からある沢山の神さまを総称して、大和山大神と唱えてきています。

この大和山を信仰するというと、今まで信仰していた神社の神さまに叱られるのではないか、また家の仏さまに叱られるのではないかと、思う人もありましょうが、その心配はありません。

大和山には、全部の神さまが居らっしゃるのです。

果たして、イタコによっては「貴女の家の神さまは高くてならない」と、大和山を信じている人に、ご託宣した場合もあったものです。高いということは、位が高いという意味です。

 昔軍隊があった時、兵隊が「何々帰国しました」と除隊になって帰ってきたものですが、その人々は皆天皇陛下のために働いていました。

それと同じようにあちこちに神社仏閣があるのは、天照大神のご命令によって全国に散らばっている、神さまの出張所である、と考えていただければよろしいかと存じます。

 大和山の教典によりますと、阿弥陀如来とは、天照大神の弟神となっております。こんな事から、私等の方では仏を供養するのですが、そうではありません。

この点が他の神道と異なるのです。それで、寺の住職でも大和山に救われているのは、当然のことです。

 今までの神棚を調べてみると、石もある、金糞(かなくそ)もあり、心ある人はこれを見て偶像崇拝ではないかと笑うのですが、そもそも神というものは清く正しいもので、天に在します完全なものだという事を知らないのです。

 それでお稲荷さんの口の欠けた物、尻尾の欠けた物を神さまと言って拝んでおるが、終始そんな人は、よく手や足を怪我したりするものです。果たして伺ってみると、足の欠けた狐の像を拝んでいるとのことでした。

これは、こういう欠けた不完全な物を拝んでいるからです。やはり、不完全なものを対象として拝むくらいなら、完全なものを拝むようにしなければなりません。

 大和山大神の数は総数八百万もあるのですから、それをまとめて信仰しなければなりません。そうかと言って、八百万の神はそれぞれ個々別々のものでなく、その頭の天照大神のご命令のままに働いているのです。

 どの人はどの神によって救われたと、個々バラバラに信ずるというのでは統一がとれません。

一元化と言って一つの教えとして、立っていかなければ不便で仕方がない。

当然そうありたいものです。開教以来十七年、私が道に入ってから、二十八・九年経ちますが、どこに行っても人の後ろに従ったことはありません。また、大和山大神は、それだけ力のある神なのであります。

 神も仏も同じものであって、大和山を信じたからと言って今まで信じている神・仏を、捨てるものではありません。だから、今まで信じていた神さまに、決して叱られるものではない、という事をご理解して頂きたいものです。

例えて云うと、尋常小学校から高等科に上がることになるのです。まあ、霊界も新時代になったので、宗教の装いも新たに出現したのが、我が大和山であると思えばいいでしょう。


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先祖の罪

 その証拠に大和山を信じた人は、大往生していくのです。人が死ぬのは定めですから、仕方ありませんが、せめて死の時は苦しまず行きたいものです。

ところが、他の宗教では皆さん方、何を信じてもそういう大往生を遂げる人は、少ないものです。また、どういうご利益でも心次第で叶えて下さる。

現在、五年、十年と信じてもなぜ災難に遭うかと云うと、それもそのような運命の人や、定められた運命にある人はどういうことをしても、なるようにしかならんという事を理解していただきたいものです。

それはその人の罪がある為に、子孫がその責任上苦しまされるのであります。

 まず、あなたの先祖というと、「私は二代目であります」などと申す人もありますが、この世に生まれたのが二代目の筈がない。十五代遡ると、一人で一万六千人の先祖になるのです。ましてや、夫婦では三万人にもなるものです。

 ですから、それだけの数の先祖を持っている我々の罪というものは、どうなるのか。それはやはり地獄と申しますか、その地獄行というもので償うのであります。

そもそも、その人の罪というのも、我々が皆先祖の血を受け継いで来ている事から来るので、「私は次男ですから、関係ありません」と言っても、その罪はあるのです。

それは、我々にはわからないが、一人で地獄の先祖の罪を背負う人と、これを地上の子孫に渡す場合と二つあります。

 北海道に、長男が二十一、二歳になると死ぬという教友の人が、二、三件ありましたが、伺ってみるというと祖先の罪のためでありました。

 いよいよ大和山の信仰をすると決心したら、一晩の中にその人の病気も治ってしまいました。信仰するとなぜ神さまは助けるかと云うと、これから信仰して徳を積んで贖罪(しょくざい)すると、神の方でみなしてくれたからです。

 仏を救うという事も、神の力で出来るものです。皆さんの中には、祟りや障りというものは無いと思っている人もいるかもしれませんが、大和山の教友の中には、畜生の祟りや障り、そして他の人に「覚エテロ、死ンデモ、祟ッテヤルゾ」と、祟り障りを受けた人々が、大和山の慰霊の力によって救われている人々が随分あります。


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慰霊により救われた住職

 先祖の罪によって、住職であっても苦しむという例を一つお話しますが、これは盛岡のある寺の住職の話であります。この寺というのは、盛岡でも古く一千年以上もの歴史がある寺でありますが、その住職は学校の先生もしておりました。

 しかし、二十八歳になる息子が黒目が無くなり、白目ばかりになる病気にかかり、そのため仕事を止めていた。どこでどう聞いたのでしょうか、大和山が霊験あらたかであると聞き、住職がわざわざこの山奥まで訊ねて来た。それで、松蝶に伺わせると十八日に水で死んだ女の仏とあったのですが、それでは附に落ちず、住職は慰霊もせずに、盛岡に帰ってしまいました。

 そして、わざわざ盛岡の神様屋に伺わせると、同じく十八日に水で死んだ女の仏と出たのです。

それで大和山は本物だと、青森の旧大和山本部に電話を掛け、十八日に水で死んだ女の仏の慰霊を、お願いしてきました。    

  それで今度は自分の家は寺ですから、過去帳というものがあり、自分の先祖を調べたが、それらしい仏が出てこない。それで次に、自分の家の墓石をバケツに水を汲んで、一つ一つ汚れを落としてみた処、今度は年号が墓石に刻まれていたのです。やはり、十八日に亡くなった女の名前が出てきました。

 どういう事情で亡くなったかは、分かりませんでした。

 それで、わざわざ参山して、「先生、まだ仏はないでしょうか」と、伺いをしました。それで伺いをしたところ、今度は『猫六匹の供養』とご神示がありました。

「仏はないが、猫の供養があるからこれも祓わなければならない」と言うと、住職が言うには、「実は、私が小僧時代、門前のばあさんが小鳥を飼っていたが、猫が悪さをするもんだから、罠を仕掛けて生け捕りにし、目玉を引き抜いて殺したもんです」するとやはり、猫の霊が出てきました。

 そして、慰霊を出したある時、息子が天井を見ていると、誰かが来て、目玉を押してくれたという。

それ以来、今ではもうすっかり治ってしまった。

 それに感激して、一丈もある長い手紙とわざわざ自分で詠った短冊をよこして、教祖先生は救世主だ、生神さまだと激賞してくれたものです。教祖は住職にほめられても、うれしいと思いませんでしたけれど、まあ寺の関係者でも、こうして救われるのです。

 その住職が、また参山して申す事には、「実は先生、自分の長男が腹膜炎ですが、弟の方も大和山さんで治してもらったので、今度は長男も、よろしくお願いします」とこう頼むのです。

 そこで伺うと、「あなたの祖父の母、祖母の母等々、全部で三十何人の仏を慰霊しなさい」とお示しがありました。

 住職も「自分に力がないならば、仕様がありません」と、子供を助けたい一心で一生懸命になって慰霊をしました。

さて、長男が通っている大学病院に行くと、医者が膿があるから、検査をしなければならないが今日は忙しい、今度検査するから来てほしいと、帰されました。

 そして、また病院へ行き再検査すると、もうその膿も消え、すっかりよくなっていました。

 それで、住職は喜んで参山して、「是非、自分の家に関わる仏は全部慰霊しますから、まだあるようでしたら何百人の仏でも結構です。どうぞ、お伺い下さい」とまで言うように変わってしまいました。

寺の住職ですら、これだけ救われるのです。まして、一般の信徒さんたちは、もっとご神徳が戴けるかと思います。


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死霊の話

 これもある信徒の方の体験ですが、この方は一家揃って信仰しているところです。

さて、その人も二十七歳にもなるというので、嫁を貰ってから登山してきました。

「教祖先生、少しお願いがあるのですが」

その人は、もじもじしながらはっきりしない顔つきで、下を向いたまま言うのです。

何か人に言われぬ相談だなあ、と思って話を聞いてみました。

すると、結婚して夫婦仲は良いのですが、肝心の男の物が役に立たなくなってしまったと云うのです。

 医者で治ったという人もあるからと、その時はお伺いをしないで帰しましたが、それで医者を訊ねても、一向にその原因が解らなかったそうです。それで、二年以上も夫婦であったそうですが、とりあえず嫁さんを実家に返した。

兄嫁さんにお願いして、今一度預かってもらっていたそうです。このまま治らなければ死ぬしかないと、その人も思い詰めていたそうでした。そこで兄嫁が一生懸命神さまにお願いしていた処、ある日兄嫁が、嫁を見てハッと気がついたそうです。

「お前が猫をどうとかこうとかした事が、あったのではないか」と、兄嫁は霊感のようなものがあって、尋ねると嫁もそう言われて思い当たる事がありました。

それは、嫁が昔交尾している猫を二匹共殺した事があった。そのせいではないかと、気がついて早速慰霊を出した処、その夜のうちに良くなったそうです。その後、二人共仲良く生活しています。

 鶴田町に駒井と云う信徒の人が居て、その妻は目の病気が一向によくなりません。

そして、一年間に二千円も、薬代に費やしていたそうです。当時、千円あると、家が一軒建つという程の大金でした。目の病気がそれだけの薬代を使っても治らないので、目の神さまと呼ばれる越後の医者の所で診てもらった処、この目は金を山ほど積んでも、私には治す自信がないと言われた。

 それで、思い余った駒井さん夫婦が参山して、「教祖先生、山に三週間ばかり置いて奉仕させて下さい」と、言って夫婦が揃って、大和山にしばらくいたことがありました。

 そんな時、駒井の奥さんが伺って下さいと、自分の目の病気について伺った処、「この目は蛇七匹死霊」とありました。

 果たして、この奥さんの母親の実家の三代前の人は、若い時に北海道に居り、畑が蛇塚とも言われる処で、いくらでも蛇が居て毎日殺したものでした。ある時、蜘蛛が居たので、蜘蛛は神の使いであるからと云うので、敷居を跨いで外に出そうとしたら、また足元に蛇が居た。それを赤く焼いたコテで、焼き殺してしまったのです。この霊障によって駒井さんの奥さんも目を患っていた事が解り、慰霊修祓したところ医者にかかっても治らない病気も、忽ち全快してしまいました。

 このように神というものは実在するもので、慰霊の体験をみましても、霊魂は不滅のものです。神は火にもおり、水にもおり、海にもおり、山にもおり、長い信仰をしている中に、必ず神さまがいるという事が解るのです。

 森田の村のある寺の嫁さんは心臓を悪くして、八年間寝たっきりだったが、果たしてその人も慰霊供養をしたら見事に治りました。なかには、医者の中にも救われた人が何人もいます。

 しかし、救われたからと大和山では、医者に行くなと言わない。寺へ行くなと言わない、信ずるなと言わない。しかし、そんな人でも長く信じているうちに大和山の慰霊の力が、どのようなものか分かってくるものです。

 稲荷もいい稲荷と悪い稲荷がありますが、殆どの稲荷は悪い稲荷と思った方がよろしいようです。

最初、祀った時には色々とよい事があったのですが、最後にはその稲荷のおかげで、随分苦しむ人がいます。それはまあゴロツキの如き者が、機嫌が良い時には良い事をしてくれるが、機嫌が悪くなるとゴロツクようなものです。

 どういうこともどんなことも神さまはできるが、それにふさわしいだけの心を持った人でなければなりません。怒るのも罪、妬むのも罪です。怒るのが罪というのは、笑って人を殺した人はいないというのをみても分かります。

人を羨む、あの人はいい着物を着てと、人の物を羨むとそれが高じて、最後には盗むようになるのです。そういう心を持たないように、我々は心がけていかなければならないと思います。

 さて、人は一生一代のうちに、審判と言うのがある。それは、例えば「厄年」というのもそうですが、「天の調べ」と言うものがあります。人間苦しんでそういう目に逢うのは、罪のためにそうなるのです。

どっちにまわっても、人の罪というのは調べられるのです。破産もそうだと言いますが、蓄えた財産に罪があるからそうなるのです。

 子供の罪は十五歳までは、親の罪でありますが、それ以後は本人の罪となります。ですから、罪を軽くするためには、善い事をして返さなければなりません。

 地獄・極楽はどうかと云うと、大和山ではあると教えています。生きている中に良い事をすれば、良い所へ行くと申しますが、なかには三日ばかり死んで生き返った人が、「帰ってゆけ」と云われて帰った人もあります。


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