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大立替三つの山

さて教祖さまは大立替三つの山について、このご教話の中で述べている。私も松風高校時代舎監からこの大立替三つの山について聞いたことがある。本部員は当時、この話をよく話題にしていた。教祖さまの話ではという説明だったが、今がこの三つの山に入っているという内容だった。

 だがその根拠がこのご教話の中にあったとは知らなかった。

 さて、このご話話を根拠として大立替三つの山について触れたい。

 手掛かりは昭和二十年終戦を一つ目の山の終わりと述べている点にある。大立替は三十三年を一区切りとする。そしてその真中、十六年六カ月を山の頂点ピークとする。

 すると昭和二十年は西暦では一九四五年であり、三十三年前を始まりとすると一九一二年が一つ目の山の始まりと解る。この年が大正元年であり、恐らく教祖さまは大正元年を一つ目の山の始まりと捉えたのは、改元に基づいてであろう。関東大震災は一九二三年であり、大立替の山の頂点に向かう途中である。第一次世界大戦は一九一四年であり、一つ目の山が入って間もない頃である。さてピークの一九二八年以後に目を向けると、この年昭和天皇の大嘗祭が行われている。

 大和山の神典では天皇は、現人神として現界を治める神と定めている。天皇の即位は霊的な体制の変動でもある。即位の礼により、天皇は霊的な輝きを増す。この年は変動を物語るように、激動の昭和史の幕開けと言ってもいい。翌年最大のピークに達すると、世界大恐慌が起こる。

 関東軍が満州を拠点に暴走を始めるのも、即位の礼の年からである。そして、一九三九年の第二次世界大戦勃発と共に日本も戦火に巻き込まれ、終戦の年に一つ目の山は終焉を迎える。

 二つ目の山の突入は何時かだが、昭和三十二年が二つ目の山の頂点近くと述べている事から、終戦の翌年一九四六年を始めとみてもほぼ間違いない。

 すると昭和三十一年は二つ目の山に入って、十年を過ぎたばかりとなる。教祖さまがこの時期を二つ目の山と捉えているとすれば、以後何が起こったかになる。日本近辺で注目すべきなのは、昭和三十三年の中国、台湾による戦争であろうか。人民軍が奪われた金門島の取り返すため国民軍に戦闘を行った事だろうか。そして大局的に見ると、二つ目の山が終わる昭和五十四年(一九七九)頃までに注目するべき紛争は昭和四十五年(一九七〇)の中東戦争であろうか。

 第二次世界大戦のような大規模な戦争はない。すると体制の変動とすれば、世界各地の植民地が続々と独立したこと以外注目すべきものはない。

 教祖さまは二つ目の山が最大の大立替と考え、信徒にその覚悟をこの教話では促している。この大立替を乗り切るため、自分の祈願した茶碗を信徒に配っていると考えた方がいい。教祖さまはこの二つ目の山が第二次世界大戦以上の大立替と考えていた。

 そのため一人でも多くの信徒を助けたいとの願いから、茶碗を配布した。その有効期限を三年間としたのも、この期間が一番ひどい時期と判断したためであろう。教祖さまは大立替に備えて準備していた。昭和三十三年(一九五八)の支部長会議では神柱の出現を話された。

 神柱とは神から使命を与えられた身魂が夫婦一組となり、奇跡を行う。その使命を持った人間が大和山に来て、教祖の指導の下身魂を磨き、全国各地、そして世界各地に散らばり、神の実在を衆人の前で再現する。そして神の実在を納得させ、人々に善の道を説く。

 何も教祖さまは思いつきでこんな話をしたのではない。教祖さまはこの神業はやり直しがきかないと慎重であられた。神柱の出現の証明がなければ話をする訳はない。

天峰閣落慶後のある日、教祖さまは受付の係に、今日来る参山者は受付を通さず、部屋に通すようにと指示された。そしてこの日参山した人たちは竜宮の間に通された。

その参山者が皆共通していたのは、夢、霊示で米を持参の上参山するようにとの指示だった。

中にはその指示を受け、参山しようと弘前駅に向かったが教師のため、農家のように自由に米が手に入らなかった。ところが駅で出くわした信徒の人が同じ夢を見て、その人の参山用の米の分まで持参していた。こうして訳も解らず集まった信徒の報告に、教祖さまは自分が神柱出現の証明を神に願った結果と受け止めた。

教祖さまは大立替で多くの人が絶望の淵に立たされた時、神の実在を見せ、希望を与えるのが神柱の使命と考えていた。そのため、神柱出現の前段階の予行演習として、このような霊示で集められた人に神柱出現の前兆としてとらえた。だがその証明にも関わらず、神柱は出現しなかった。

教祖さまは二つ目の山の時こそが自分の活躍の時期と考えていた。自分が百十五歳まで生き通すと言明したのは、この二つ目の山を終え、三つ目の山を迎えるためである。

大立替の二つ目の山が終わる時期は、昭和五十四年以後であり、この時点で教祖さまは九十七歳である。昭和五十五年(一九八〇)以後を三つ目の山に入る時期とすれば、平成二十六年(二〇一三)に終わることになる。

なぜこのような見解を示すかだが、教祖さまが亡くなられた時、書簡を整理していると大きな定型の封筒が見つかり、他見厳禁と書かれていた。中を改めると一枚の図面があり、それに大立替の三つの山が何時入るか、西暦と昭和の年号で記されていた。そのコピーは父から見せられたが、残念ながら何時三つの山が終わるか記憶していなかったが、三つ目の山の図に一九八九年の地点で、これより神代に入ると記されていた。

この年の象徴的な事件は、ベルリンの壁崩壊である。この事件以後、東西ドイツは併合し、一ソビエト連邦は崩壊する。どうも教祖さまのこの大立替の表は、三つの山が連続して続いていたと考えた方がいい。教祖さまは大正十三年教祖天小屋改築の時、この神業達成は六十六年かかると悟られたことにある。何を根拠に六十六年かかると悟られたかは、大立替の一つの山が三十三年かかるとすれば、二つ合わせると、六十六年になりピッタリ合致する。

教祖さまが二つの山を重ねて、六十六年かかると考えたのは、二つ目の山が最大の山との見解をしていることから、二つの山で大体の大立替が終わり、三つ目の山は最終仕上げの段階と考えていたとすればいい。すると、三つ目の山にこれより神代に入ると記されているのも、また世界人口が三分の一になり、松の世の建設段階と考えていたとすれば理解しやすい。

教祖さまは二つ目の山で自分が活躍すると考えていたから、百十五歳まで生き通すとしても、三つ目の山の途中で他界しても、もう大方の立替は終っているから、最後まで生きる必要はない。三つの山を換算すると九十九ヵ年になるのだから、百十五歳まで生きたところで生きられる訳はない。三つの山を合計すると、二〇一一年に大立替は終了する計算になる。今年は二〇一七年でもう既に終わったことになる。

残念ながら世界人口は三分の一に減らなかったことから、まだ三つ目の山は終了していないことになる。

この大立替の表は、何を根拠に教祖さまが作ったか不明だ。だが教祖天小屋の改築から六十六年で神業は完成すると悟られたことから、開教当初からこの見解を持っていのは想像に難くない。

この表は、小松風先生に多大な影響を与えた。小松風先生はこの表に基づき、大立替に備えた。本部で収穫した米は備蓄し、三年前の古米から食べるようにしたのも、大立替で食糧難になるのに備えてのことである。当然保存食の備蓄に欠かさず、乾燥麺のうどんも蓄えた。我々がまずいうどんを食べさせられたのも、古くなったうどんだからである。小松風先生が生き残りの道をと、ソ連が攻めてくると警鐘を鳴らしたのも、この二つ目の大立替の山にある。

幸か不幸か、この二つ目の山は最大級の山ではなかった。期待に反して人口の激減が起こらなかったことにより、小松風先生の大立替の期待は消滅した。悪くいうと父親の予言は外れたことになる。以後の小松風先生は大立替に対する期待を捨て、自分独自の宗教観を模索するようになる。比叡山に傾倒するのも、小松風先生独自の宗教観に基づいてである。

小松風先生を一概に非難する訳にはいかない。小松風先生は二つ目の大立替の山の終了まで真面目に、父親の意志を守り続けた。その意味では立派だったと思う。だが、大立替三つの山は大幅に時期を修正すれば、かなり正確なものになる。

教祖さまは自分の生前に大立替が起こると信じて疑わなかった。しかし、『済度教典』にある通り、大立替が何時起こるかは、天照大神以外は知らないことになっている。配下の神はその指示があるまでは知らない。その機密を教祖さまですら知ることはできない。

巷の預言書が的中しないのも、明かされることのない最高機密だからである。終わった世界情勢を検証して、二つ目の山まで解明した方が賢明である。

まず一つ目の山が何時から何時までかを検証しよう。考えられるのは一つ目の山には当然第一次世界大戦が含まれることにある。第一次世界大戦は一九一四年に勃発している。これを起点に考えると、三十三年を加えると一九四七年になり、第二次世界大戦の終結まで含まれる。

これを一つ目の山と考えると、二つ目の山は何時終るかだ。するとヒントはソビエト連邦の崩壊まで含むとすれば、一九九一年までの三十三年間とするしかない。すると一九五八年が二つ目の山になる。すると昭和三十三年からになり、昭和二十五年朝鮮戦争が含まれない。また震災もまた大立替の警鐘とすれば、一九九五年の阪神淡路大震災も加えないといけなくなる。

三つ目の山をすぐ加えればいいのだろうが、東日本大震災の二〇一一年を三つ目の山とすれば、かなり後にずらす以外三つ目の山には無理がある。考えられる方法は震災がそれぞれの山の印と考えると、一つ目の山は関東大震災。二つ目の山は阪神淡路大震災。三つ目の山は東日本大震災とすればぴったり一致する。関東大震災は一九二三年とすれば、三十三を加えると一九五五年になり、昭和三十年までが一つ目の山になる。すると、第一次世界大戦は無理でも第二次世界大戦、朝鮮戦争まで入る。二つ目の山の終わりを一九九五年から三十三年前までとすると、一九六二年からになる。すると、ソビエト崩壊、ベルリンの壁崩壊もきれいに収まる。

すると三つ目の山が何時からかであるが、これに関しては神さまからご注意があり、特定した時期を提示するのは止めさせてもらう。

 

第三の山がいつから始まるかは、各自の悟りに任せるとして、第三の山が何時になるかは触れないまま、第三の山に起こった現象を列挙させてもらう。ご了承頂きたい。


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