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昭和三十二年歳旦祈願祭ご教話

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大立替について

 日本をみたならば近年のこの変わり方、とにかく大正以来日清事変から大東亜戦と色々起こっていますが、とにかくよくこの世の中の情勢を静かに見なければなりません。

 さて世の中がどうか変わるか。神さまのご神示では世に大立替により悪を滅ぼしてしまって、極楽の様な世を作るのが神の理想です。

それは度々言ってますが、信仰を持つ者は無論信じているでしょうが、実感していない人もありましょう。ただこんな具合に起こるとか、ただ大立替があるなと、漠然と眺めているかもしれませんが、結局は皆大自然の業とみなければならん。

 大立替は大正の初めからズンズンと起こっている。そのことに人は気が付かないんでしょう。これに気付いている人もありましょうが、とにかくここに例えば三つの山がある。真ん中の山が一番高い山です。この次にも山がある。全部で三つの山がある。そこで最初の一つの山は大正初年から始まり終わった訳です。

 また、大正年代、日本だったらどうだったでしょうか。関東大震災では、何万という人が一回に死んでいる。あの大震災につきましても、私は起こる三年前に知っていましたが、場所が関東とは神さまは教えなかった。教祖に悟れとも言わなかった。

その時、大和山では最初の神憑りをした千田きよのにお告げがあり、「三年後の旧七月二十一日より二十三日までは、世に大立替があって、一変に幾万という人が死ぬぞよ」とあった。

私が「それはどこでございましょうか」と尋ねても、結局場所は教えてくれなかった。

 ただ曖昧なことを言うだけで、とうとう場所は分からずに終わった。

それは私自身が丁度この私が山に居り、関東大震災が起こったのは、丁度九月の五日から六日までしょうか。この日は暦では、旧七月二十一日に当たる、旧二十一日から二十三日までが。ところがその一日目から三日間まで東京で関東大震災が始まった。このお告げがあったのが、その三年前です、

 このように神さまはずっと以前に言ってある。しかし、三年も経った後のことですから、解る筈はない。例えば、これから三年後なり、来年なりに起こると予言されても、一慨にとても予測する事はできない。でも、この一つ目の山が大体私らのご神示から見ると、大正年代から入っている。

どうも昭和二十年頃までにこの一つの山を越したのですが、この大正十二年に東京大震災があった。大震災にもなる色々の要因があったのでしょう。だだ、昭和に入って今年で三十二年ですから、この二つ目の大きい波が、この山のまず頂上近く四段以上差し掛かっている。

 正にこれから一年間だけはこの山を越すのですから、困ったことになったと思って覚悟しなければならない。そういう大変な世の中に我々は生きていくので、今後何年、小競り合いが起ころうとも、幾ら黄金を山と重ねても、まる焼けになり、やはり下の人間は迷わなければならない話です。

 しかし、世はこういう具合に変わるからといって生活を投げ遣りにしてはいけません。日々が下座の行なのです。何と言っても生活が第一ですから、だからいい加減な生活は生涯続きません。身を黄金の為に働いても、例え頭の上に一つ大きな弾が飛んできても、作らねばならない田は、最初から作らなければならない。そういう事が起こらない様にするのが日頃からの信仰です。

 今この様に世の中が変わってくるものだ、という事を考えると、また目前の驕る欲には、よほど考えなければいけない。生活のためよく働いても、一方の信仰にも疎くならないようにしなければならない。ここで信徒の方々を見てみますと、一家に不幸がなく、順調に儲かっているとどうも、自然に信仰から遠ざかるようであります。

私は家に居て、ちゃんと拝んでいますよ、と言っても、拝むだけが信仰でないと、前から言う事であります。それで、不幸が来たり、来ないようにするため、神さまの側に遣って来て、「伺う」訳です。

 伺って、今度は本当に願った通りいけば、世の中に困る人はない。

信仰して何かの神さまの行事があって、参山して伺って決めたらいいけれども、伺っても伺った通りにはなかなか思うような結果が出ないものです。

 それでも、結果が十も現れる人もあれば、一、二、三、五、六という様な具合に、その結果の功徳があるのは、その人たちのいわゆる心の在り方しかない。ただ困ることは、信仰した人であっても、一家の人が皆揃って信仰しないのが、一番良くない。

 子どもが信じて親が信じた。親が信じて、子が信じない、嫁が信じない。というのがあるもので、信仰という事をどんな時でも信じられる人が、一番面倒なものです。どう伺っても、何を聞いても、その結果があるですから、普段からの心得というものをよく心得なければならない。

 ただ目前の利に走る。ただ儲けて取る、ただ取るという事を考える。それだけしか考えていないと、必ず次には取られて損をするものです。なるべく悪は作らないようにしなければなりません。

だが、何と言っても、ただ儲ける、取るという考えは悪となり、罪を作る様な世の中になっておるから、どういう風な事をしましても、幾ら神の前で白衣を着ましても、少しも悪がなく、罪がなく世の中を渡るという事ができない。

なおその申し上げますが、大半の人は真の救いに至らない。我が大和山では、大和山の手伝い、神の方に使える本部員であっても、神はこう見ている。そういう人たちの心の底に皆泥、隙があるぞとこう言っております。だからまだまだ一層磨かなければなりません。

皆さんは大和山本部の人は、神さまや仏さまの様に思っています。特に肉体を持っている人間は、教祖先生でも、生まれから霊感によって相当の功徳を持っておる。ところが功徳の強い人と功徳の薄い人もありましょうが、どこの誰でも伺って、これで良いと言われてもなお心を磨かねばなりません。

なお大和山に関わらず大和山でなくても、宗教界にある人は、安閑としているから、心に油断ができています。いずれ皆が目覚める時が、必ず来ると私は見ています。いちいち一人一人に言いませんが、とにかく神の前にある者、本部員ですら、皆功徳が強い者であるのではありません。

まして俗界にある皆さんが、色々な事故もあり、荒波を渡っているのですから、杖一つで渡れという訳には無論行かない。なるべく悪なる心をおこさない様に、罪を作らん様にしなければいけない。

罪を作るのはどういうことか。それは、自分で自分の手で穴をこしらえる様なものだと神さまはおっしゃる。だから、ただ今年の作柄を聞いて、ただ米を採る採るとこう考えないで、一心にこの神さまにどの様に進んだらいいかと言う事を静かに考える事が非常に必要であります。

年頭のご神示は余りにも長く行われているんですから、お知らせはしますが、ただその事、神のご神示にのみにこだわらない様に、よく結果を見れる様にしなければならない。それが第一であります。まだお前はいい、伺ったものがその通りにいくかと言えばいかない。昔から伺わなくても、神さまにご加護してもらう様にしなければなりません。

 今の神さまの信仰のお話は皆さん大体ここに書いてあるからして、お互いに悟ってもらう事です。昨年の熊は、なるほど、立ち上がったのみで、わが日本には危害がなかった。だが、ハンガリー等の情勢は、確かに熊が立ち上がった。私の言った事は、どういう情勢であろうと、当たらなくはないのです。

 一体私の悟りを言う事はよくない。それは当たるかはずれるか分かるからです。それを世界情勢としたならば、日本という国は、ニワトリとしたらどうでしょう。一番先に夜明けには、コケコッコーと鳴くから、どうものこのニワトリは私には日本の匂いがする。そういう点から皆さんこう悟ってみる。

今度は国際連盟で、日本がこのお仲間入りをしたといってワイヤイ騒いでいます。ところが、片一方にはソ連があります。片一方に米国が付いており、この因果のもとに、全て武器を整えたりしている。

また、国連に入って一角の富があるのだという訳で、この鶏、コケコッコーは日本だぞと。これは余り人中に言っても歌えないじゃないか。篭の中に入って黙ってこう見ている日本の柄じゃない。

情勢から考えるというと、どっちもソ連というものは悪い。日本に米国が付いてあるからして、ニワトリも余りしゃべらないでしょう。生きているけれども、その位片づけておかねばいいが、片づくものじゃあないかとこう考える。後のサルの顔の絵について私は申し上げません。悟りが外れると困るからして言いません。

天候状況は春は大表者は誰だろう、鎌は何だろう? 鎌は五、六本もあるんだそうです。それをずっとただ悟っておく訳です。各年ですから、余り皆さんどう思うか悟れないんでしょう。こうなると言えばいいが、それは言えない。神さまは色々と余計な事は言うなよ、と分からない様にする。いよいよ時が来たら分かるけども、確かにこれは外国情勢を教えになったものだろうと思う。それで、今も申します様に世の中が非常にこれからより以上変わるとみねばなりません。

 それで、神の立替の時が、何時頃から始まったかと言えば大正年代に入ってから始まっている。山が三つあると、一つの山を越してしまった。一つの山を越した中で、大きい事は日本としては、何と言っても東京の大震災でしょう。あれは大正十三年ですか。

 最初の一つの山は越したが、どうも真ん中の高い山はまだ越していない。私から見ますと、丁度今は山の中腹からやはり頂上に向かっております。今幾年か経ったならば、この頂上にかかる時、どんな深刻が来るかそれはわからん。この大きな山を一つ越して、又向こうにまた一つの山がある。

 

 世の中の大掃除はそう軽々にはできないものらしい。何と言っても最後の勝利者がこの山々を満足に越してゆく人が幸福者です。ところが平坦な地を行きまして、この三つ山を越えたならば、ああ今年も風はどうだ、水はどうだ、地震がどうの、あらどうのこうのという様な心配がない世の中が確かに来る事になっております。まず一辺から生きた極楽という世の中をつくるのですから、神さまの言う事に決して嘘でないと神さまはおっしゃる。ただ人間がそういう時を迎えるには、まだまだ時が遠いのであります。よく落ち着いて信仰をした方がよろしい。ただ伺う、拝むという簡単な考えばかりもたないことです。その人の信仰、その人の心の如何によって結果が決まるものです。


ご神示

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記念の茶碗

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ある信徒の体験

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