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教えの母

 大和山の教史の半分を占めるのは、教えの母というべき北玉さまである。

 教祖さまが、始めて大和山の道をお開きなされた時に最初の理解者は、その妻の北玉さまであったと私は書いた。

 世の中に数多くの夫婦がいる。しかしその夫婦が、本当に理解し、信頼している夫婦は数少ないのではないだろうか。同じ屋根の下に起き臥しして、夫と呼び、妻と呼ばせているが、全幅的に何もかも信頼することは、よほど恵まれた夫婦といってよいと思う。これが普通の生活を続けて行っている場合でも相違が生じて来る。

 それを今度は全く新しい道の開拓である。夢で橋を架ける以上に、成功の可能性の乏しい、全く未知の世界のことである。それも物質の世界のことであれば少しは信頼も出来ようが、それとは全く反対に、目に見えない、形もない、まさぐることも出来ない、全くの手掛かりのない神さまを相手に然も全く収入のない求道者の道を行こうという。

 はなはだ失礼な申し分ではあるが、北玉さまは、半信半疑どころか、五里霧中のままに、夫のやるとことだから、妻としてはそのまま夫の言に従うことが、妻の道だと考えになったのではないかと考えるが、私の聞いたところでは、むしろ北玉さまが、積極的に教祖さまを励ましたという。

 三年間の放浪生活から空しく帰郷されて、一年間の外童子山での魂の覚醒によって得られたご心境に、北玉様は、妻として敏感にそのご心境を汲み取ることが出来たのではあるまいか。男が、夫が新しいことを始める場合に、その前に立ちふさがるものは、最も信頼してもらえると思う妻の反対妨碍である。

 しかし教祖さまにはそれがなかった。かえって自分の協力者とも信奉者ともなってくれた最初の人は、自分の最愛の妻であった。古言に「妻を済度し得るものは、世界を済度し得る」といわれている。

 教祖さまは、第一の難関を易々と越すことが出来た。教祖さまにも宗教的知識がなかったのだから、北玉さまにも宗教とは何であるのかどんなことをするのか、そんな知識があるべき筈がない。しかし、それでも私は夫を励まして、夫の初志を貫徹させたいという妻のけなげさを、今の人達は学べきであろうし、ここから大和山の教史が始まる。

 教祖さまは、父君、長四郎様との間で、ご自分の俗世間を捨てて新しい道に進むことについての話し合いがついたが、妻と子供の生活は、やはり父長四郎さまの家計に依存するより方法がないのである。

 教祖さまは、ご自分では新しい生活の宣言をなされたが、家内や子供は養ってもらう、なかなか常人には出来ない。これは北玉さまには、辛い、そして苦しいことであられた。夫はいるが好きな道を進んで、自分と子供たちは親に扶養して貰う、何とも心苦しい限りであったと思う。

 田沢家は、田長商店といって、青森市内では薪炭商では、有数の商家であり、町内でも主だった家であった。その家の長男の嫁に十六歳で嫁いで来た。しかしその頃の嫁は、一家の働き手に過ぎない。

 炊事洗濯の家事一切から商品の薪炭の配達である。薪炭の配達といっても、運搬具は、今のリヤカ-もない時代である。鉄輪の二輪大八車に大きい荷台を乗せたもので、空車を引くだけでも相当の力を必要とする。それに荷物を積んで運ぶのだが、道路が穴ぼこ道である。

 冬の雪道は橇である。履物も今のように、ゴム長靴のない時で、夏は草履、冬は「つまご」と言って藁で作ったものを履く。薪炭の問屋だから、荷船で大量に海岸に荷物の入る時は、沖仲仕のように船から運ぶこともある。それが一年中を通して、盆も正月もない働き通しの生活であった。

 この生活は田沢家へ嫁いだ日からはじまって、教祖さまが俗業をお捨てになられるまで続いたのであって普通の人の想像を絶することであった。北玉さまは意志の強い方であったから、辛い苦しい生活に耐えたのだと思う。

 その間に何度かに亘る、父と子の相剋葛藤である。そのとばっちりは嫁に来る。何といっても、昔の日本の家庭においては、猫のいるところがあっても、嫁の座がないにも等しい。近所の人達は、その働きぶりや、頑固な両親に仕える苦労に同情しても、北玉さまは、一言も泣き言を洩らしてはいない。唯一人、見えないところで涙を流しても、愚痴一つ他人に語ってはいない。

 松竹は長女で母の苦労がわかるだけに、子供の弱い力でも手助けになればと荷車の後を押すといっているがやはり苦労している母を慰めてやる小さな心くばりでもあったのかも知れぬ。

 私が大和山へ来た時は、北玉さまが、三十三歳であった。私は私の生みの母と暮らしたのが、生まれてから十五歳の時までであったが北玉さまとの生活は約四十年に及んだ。私は私の一番成長の時期に北玉さまの愛と厳しさによって育てられたればこそ、今日の私があると感謝している。

 北玉さまは、一生涯苦難の道を歩まれた。教祖さまが、この道を開かれる前と後を比較してみれば、北玉さまにとっては、この道を拓かれた以後が全くの苦難の道であられた。

 大和山の教史の表が教祖さまで、裏の見えないところに北玉さまがおられる。北玉さまは全く内の人であった。

 教祖さまは、男は外、女は内を治めるものと、はっきり決めておられた。北玉さま、女の仕事、つとめは人に見られないところに心をくばり、男の人の働きに少しの後顧の憂いを与えてはならぬものだと、人に語り、ご自分でも、そのことにまことを尽くして努力しておられた。

 大和山の教えの幢(はた)は、教祖さまのたて糸と北玉さまをよこ糸として織りなされていることを、知らなければならぬと思う。

【305号】


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