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 私は布団にもぐりこんで、昔ながらのたくましい想像力を、一人夜中の部屋で発揮してみることにした。

 

 暗い天井に黒髪の美しい少女が浮かび上がる。年は16、7といったところか。机に向かい勉強をしている。傍らにたたずんでいる一人の青年は、あれは若かりし頃の小林さんだ。少女の両親から、ぜひうちの家庭教師にと頼まれ通っているのだ。2人は幼なじみだった。

 青年の小林さんはなかなか凛々しく、平成生まれの自分から見てもけっこうなイケメンだ。少女から青年に向けられる熱い眼差し。言葉は少なくとも通じ合っているような、甘酸っぱい雰囲気。はーん。この2人、人には言えない秘密の関係なのね、と布団の中でにやにやする私。妄想は続く。

 ある日、就職の関係で遠方に引っ越すことになった小林青年。彼女には二度と会えないかもしれないと心を痛めていると、少女が突然青年の家に訪ねてくる。何やら小さな包みを持って。

「これは君の家で昔から大切にされている茶碗じゃないか。ご両親に叱られてしまうよ。早く元あった場所に戻すんだ」

「いいんです。受け取ってください。どうかこれを私だと思って……」

「菊乃さん」

「いつかまた、会いに来てください。私、ずっと待ってますから」

 ああ若い2人を引き裂く悲恋。想いをつなぐ小さな茶碗。セピア色に包まれる美しい昭和の風景。しかし2人の再会が叶うことはなかった。なぜなら菊乃は19のときにひどい肺炎を患いこの世から……。


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「そんな、菊乃さん!」

 私は布団からがばりと起き上がった。涙で目の前がかすむ。

「かわいそうな菊乃さん。きっと小林さんは、再会を果たせなかった申し訳なさでいっぱいだったんだ」

 だから初恋の人の名前をわざわざ書いおいたのね、と勝手に納得する。

「きっと何かの拍子に落として割ってしまったんだろうけど……。大事なお茶碗だもの。割れたままにしておきたくないのは分かるわ」

 うんうんとうなずき、私は涙を拭きつつ再び横になった。

 菊乃さんはどんな気持ちで待っていたのだろうか。勝手に思いを巡らせてはまた溢れた涙をぬぐうという滑稽な行動を、私はその後一晩中繰り返すのであった。


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 朝を迎え冷静になると、昨晩の妄想劇場のあまりの稚拙さに顔から火が出そうになった。思わず熱くなった頬を両手で包み込む。

 手元にある情報が少なすぎて陳腐な展開しか思い浮かばなかったとはいえ、さすがにあれはないだろう。

 そうだ、直したのは自分なのだから、菊乃という名前の真相について尋ねる権利があるはず。変に遠慮するよりも、いっそストレートに訊いてしまったほうがいいだろう。自分は明日からまた仕事だから、次回の講座で会ったときに思いきって訊いてみよう。詮索するようで失礼かもしれないが、このままでは私がいつまでもスッキリしない。

 布団をたたみながら、私は机の上の木箱に視線を移した。いったいこの茶碗には小林さんのどんな秘密が隠されているのか……。 

 

 そして、次の土曜日。風呂敷包みを持って意気揚々と俳句講座の教室に入るまではよかったが、肝心の小林さんの姿を見つけられない。あれ?と辺りを見回すと、小林さんは体調不良で欠席だって、という声が耳に入った。

 少しがっかりしたが、まぁお年寄りなんだしそんな日もあるだろう、と思い直した。

 しかし次の週も小林さんは現れなかった。それからまた一週間後、小林さんが自宅で突然倒れ、すぐさま病院に運ばれたがそのまま息を引きとった、という知らせが教室に届いた。


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 資料館の受付で、私はぼーっと壁の時計を眺めていた。

「心不全、かぁ」

 あの日の嬉しそうな照れ笑いが最後だったなんて。無意識にため息がこぼれる。隣に立っていた先輩学芸員に注意され慌てて背筋を伸ばすも、あっという間に心ここにあらず、の状態になってしまう。

 あまりに唐突すぎて涙も出てこなかった。ここしばらく、ずっともやもやしている。なぜなら例の茶碗はまだ自分の部屋にあるからだ。家族には内緒で、という約束を律儀に守っていた。おかげで小林さんが亡くなったと聞いてから2週間、1日も心穏やかに過ごせていない。

 どうすれば良いのやら。


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 夕方自宅に着くと、母がぱたぱたと玄関にやってきた。

「佳奈、お客さん。あんたに用事だって」

 平日の夕方にお客とは、いったい誰だろう。急いで居間に向かうと、小柄な若い女性がちょこんと座布団に正座していた。私に気がつくと、彼女は長い黒髪を揺らしてふんわりと控えめに微笑んだ。

「遠藤佳奈さんですね。突然すみません。ここに四つ葉のクローバーの絵のお茶碗があると……」

 そこまで聞いて私は思わず「あ!」と叫んだ。そして、いきなりの大声に目を丸くする客人をよそに、「ちょっとお待ちください!」と大急ぎで2階へ駆け上がった。

「ちょっと佳奈、失礼よ。ごめんなさいねぇ、礼儀がなってない子で」

 母が娘の無礼を詫びながら、女性を2階の部屋まで案内する。遠慮がちに中をのぞく彼女を、私は手招きした。

「どうぞ。お茶碗って、これのことですよね」

 接合された茶碗を私がそっと取り出した途端、彼女は息をのんで机に駆けよった。そして震える手で茶碗を受け取り、まじまじと見つめると、なんと急にぼろぼろ大粒の涙をこぼし始めた。

「えっ、ええと……」

 予想外の展開にしどろもどろになる私の横で、困ったことに嗚咽まで漏れ始める。

「あ、あのう、あなたは小林さんのお知り合いなんですよね……?」

 狼狽しながらもそう尋ねると、彼女は涙を流しながら茶碗を抱き、答えた。

 

「私、孫なんです。小林菊乃といいます」

 

 思ってもみなかった返答に、「へ?」と間抜けな声が出た。



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