閉じる


<<最初から読む

1 / 11ページ

1ページ

「佳奈ちゃん。確か君、学芸員だよね」

 突然小林さんにそう呼びとめられ、私はきょとん、とした。

 公民館の俳句講座を終え、帰る支度をしながら、私は次に皆の前で披露する句をいろいろ思案しているところだった。その最中にいきなり的外れな質問が飛んできたものだから、思考が一瞬停止してしまった。

「あ。違ったかな」

 私の反応に動揺した俳句仲間、小林さんの顔を見た瞬間、私は現実世界に引き戻された。

「え、ええ。そうです。学芸員です。今年なっばかりの新人ですが」

 この講座で唯一の20代である私は、地元の民俗資料館で働いている。俳句講座に若者が参加するのは珍しく、当初緊張して一人ぼっちで座っていた私に、気さくに話しかけてくれたのが、今年80歳になる小林さんだった。笑った顔がチャーミングな、丸顔のおじいちゃんだ。

「それなら、壊れた物の修繕はできないかな。ちょっと頼みたいことがあるんだよ」

 安心したのか、小林さんは渡りに船と言わんばかりの様子で、教室のテーブルに紫色の風呂敷包みをそっと置いた。小ぶりの箱が包まれているようだ。

「君はぼくの知り合いのなかで一番若いから、目もいいだろうし手先も器用だろうと思ってね」と、紐が丁寧に掛けてあるその木箱を見せてもらった瞬間、私は合点がいった。

「これ、焼き物ですね」

 ああ、と小林さんが箱の中の布と薄葉を広げ、私がその奥をのぞき込むと、もとは茶碗とおぼしき物が、見事に大小5つの破片に割れていた。

「あちゃー、これは」

「難しいかな」

「いえ、接合そのものはボンドがあれば意外と簡単にできるんですが、ご飯茶碗として普段使うのなら、危ないし買い直したほうがいいんじゃ……」

 そう言うと、小林さんは笑って首を横に振った。

「ああ、いつもは別の茶碗を使っているんだよ。これはずいぶん前に割れてしまったものでね。ずっと保管してたんだけど、やっぱりちゃんと直して置いておきたくて」

「そうでしたか。そういうことなら」

 きれいに直せるよう頑張ります、と私は小さな木箱を慎重に受け取った。自分のような若輩者がと思いつつ、いつも親切にしてくれる小林さんの期待に応えたかった。


2ページ

「……よし、これで完成」

 その夜。作業用に机に広げていた新聞紙を折りたたみながら、私は己の修復の腕前に思わずにやりとした。

 大学生の頃、学芸員の資格取得のための実習で、破損物の補修作業を何度か経験したこともあり、茶碗の接合はそれほど苦戦することもなく終えることができた。よみがえった青色の茶碗は、大きな四つ葉のクローバーが絵付けされた、かわいらしい柄だった。

 小林さんらしいなあと思いながら、私は机のわきによせていた木箱にちらりと目をやった。

 蓋の左下すみっこに、小さく墨字で『菊乃』と書いてある。箱を受け取ったあのとき、思わず「キクノ?」とつぶやくと、小林さんは少し困ったように笑いながら頭を掻いた。

「いやあ、忘れないようにと思ってね。ちょっといろいろあって。ぼくの身勝手で傷つけてしまった人がいてねぇ……」

 それで、何故わざわざ茶碗の箱に名前を?

 あまり他人の事情に首をつっこむのも良くない気がしたので、詳しいことは聞かなかった。が、そのかわり小林さんから、更に不思議な質問をされた。

「ところで佳奈ちゃん。菊の花をどう思う?若い子は嫌いかな」

 あの質問にはさすがに目が点になったが、『菊乃』という名前と関係があると悟り、私は少し戸惑いながらもできるだけ慎重に答えた。

「私は、きれいな花だと思いますよ。上品なイメージがあります」

 すると小林さんは嬉しそうに、そうか、ありがとう。と目を細めた。

 ありがとう?人生で最も頭の上にはてなマークが浮かんだ瞬間だった。今日の小林さんは一体どうしたのだろう。

 菊乃。きれいな響きだ。誰の名前だろう。奥さんだろうか、はたまた昔の恋人か。「恥ずかしいからこの件は家族に内緒で」とまで言われては、気にならずにいられない。


3ページ

 私は布団にもぐりこんで、昔ながらのたくましい想像力を、一人夜中の部屋で発揮してみることにした。

 

 暗い天井に黒髪の美しい少女が浮かび上がる。年は16、7といったところか。机に向かい勉強をしている。傍らにたたずんでいる一人の青年は、あれは若かりし頃の小林さんだ。少女の両親から、ぜひうちの家庭教師にと頼まれ通っているのだ。2人は幼なじみだった。

 青年の小林さんはなかなか凛々しく、平成生まれの自分から見てもけっこうなイケメンだ。少女から青年に向けられる熱い眼差し。言葉は少なくとも通じ合っているような、甘酸っぱい雰囲気。はーん。この2人、人には言えない秘密の関係なのね、と布団の中でにやにやする私。妄想は続く。

 ある日、就職の関係で遠方に引っ越すことになった小林青年。彼女には二度と会えないかもしれないと心を痛めていると、少女が突然青年の家に訪ねてくる。何やら小さな包みを持って。

「これは君の家で昔から大切にされている茶碗じゃないか。ご両親に叱られてしまうよ。早く元あった場所に戻すんだ」

「いいんです。受け取ってください。どうかこれを私だと思って……」

「菊乃さん」

「いつかまた、会いに来てください。私、ずっと待ってますから」

 ああ若い2人を引き裂く悲恋。想いをつなぐ小さな茶碗。セピア色に包まれる美しい昭和の風景。しかし2人の再会が叶うことはなかった。なぜなら菊乃は19のときにひどい肺炎を患いこの世から……。


4ページ

「そんな、菊乃さん!」

 私は布団からがばりと起き上がった。涙で目の前がかすむ。

「かわいそうな菊乃さん。きっと小林さんは、再会を果たせなかった申し訳なさでいっぱいだったんだ」

 だから初恋の人の名前をわざわざ書いおいたのね、と勝手に納得する。

「きっと何かの拍子に落として割ってしまったんだろうけど……。大事なお茶碗だもの。割れたままにしておきたくないのは分かるわ」

 うんうんとうなずき、私は涙を拭きつつ再び横になった。

 菊乃さんはどんな気持ちで待っていたのだろうか。勝手に思いを巡らせてはまた溢れた涙をぬぐうという滑稽な行動を、私はその後一晩中繰り返すのであった。


5ページ

 朝を迎え冷静になると、昨晩の妄想劇場のあまりの稚拙さに顔から火が出そうになった。思わず熱くなった頬を両手で包み込む。

 手元にある情報が少なすぎて陳腐な展開しか思い浮かばなかったとはいえ、さすがにあれはないだろう。

 そうだ、直したのは自分なのだから、菊乃という名前の真相について尋ねる権利があるはず。変に遠慮するよりも、いっそストレートに訊いてしまったほうがいいだろう。自分は明日からまた仕事だから、次回の講座で会ったときに思いきって訊いてみよう。詮索するようで失礼かもしれないが、このままでは私がいつまでもスッキリしない。

 布団をたたみながら、私は机の上の木箱に視線を移した。いったいこの茶碗には小林さんのどんな秘密が隠されているのか……。 

 

 そして、次の土曜日。風呂敷包みを持って意気揚々と俳句講座の教室に入るまではよかったが、肝心の小林さんの姿を見つけられない。あれ?と辺りを見回すと、小林さんは体調不良で欠席だって、という声が耳に入った。

 少しがっかりしたが、まぁお年寄りなんだしそんな日もあるだろう、と思い直した。

 しかし次の週も小林さんは現れなかった。それからまた一週間後、小林さんが自宅で突然倒れ、すぐさま病院に運ばれたがそのまま息を引きとった、という知らせが教室に届いた。



読者登録

大橋りょうこさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について