目次

閉じる


 うららかな天気の良い休みの日など、私はその地方都市の中心部にある城址公園を、しばしば訪れた。
 晩春の日曜日。その日も薄い乳色の曇り空が、市街地ぜんたいを覆っていた。市役所の向こうに広がる城址公園では、掘割の緑の水が、白い雲をぼんやりと映していた。この城跡は、何年か前にかつての姿を一部再現されたものだが、櫓が二棟あるだけで、天守閣もなく、どこか間延びしたものであった。
 なだらかに芝生が広がる広場では、父親と子供がバドミントンをしており、少し離れたところで母と娘が腰を下ろしていた。関東ローム層の砂塵をふくんだ埃っぽい風が、ときおり吹いて、落ちている紙片やビニール袋を舞い上げていた。のどかそうに見える風景の中には、私自身の憂鬱が、うっすらと混じっていた。
 ―そのときすでに、ステッキをついた黒い影が私の方を睨んでいるのを感じていた。黒い小さな丸メガネをかけた孤独なその雰囲気から、盲人でもいるのだろうと思った。
 四十代で会社をつぶして都落ちしてきた私は、ここ数年、北関東の地方都市の女房の実家に世話になっていた。インテリアや輸入雑貨系の通販会社で、グループの親会社から分社した形で出発したが、大赤字を出してしまい、出資してくれた社長と、一部の金を借りた知人や、静岡の親類に頭を下げた。居場所もなくなりローンが途中のままの練馬のマンションを引き払い、この街の家内の実家で、細々と世話になっている状態だ。
 いまは中学の校長をしていた妻の父親の口ききで、市内のある食品企業を紹介され、そこの工場で、毎日、在庫管理などの単純なパソコン作業をやっている。

 しばらくお堀に張った明るい鶯色の水面を眺めていると、先程、盲人だと思った男が近づいて来た。
 黒っぽい服を着た険しい顔をした六十代ぐらいの男で、ハンチングの後ろから、粗い銀髪をばさばさと逆立て、こちらを執拗に睨んでいるのに、ギョッとした。
 そのときが刑部憲造氏とのはじめての出会いであった。光沢のある赤茶けたステッキを斜めに伸ばしながら、忍び足のような足取りで、一足一足、忍び寄って来られたのである。
 胴体は幅広くずんぐりしているのに、手足は細長く不安定で、ハンチングの影に小さな目が光り、どことなく不穏な気配があった。
 男は黒メガネを外して、ジロリとこちらを睨んだ。
「貴方、この土地の方ですかな」
 目が合うと、まず、そういった。私はとりあえず否定した。
「この城の歴史に、ご興味がありますかな」
 厚いゴムのような血色の悪い唇に包まれ、銀歯まじりの前歯が突き出している異相であった。その風貌から、『カリガリ博士』『吸血鬼ノスフェラトゥ』『タランチュラ』などの名前が浮かんだ。私はそのあたりのモノクロ映画の秘かなファンなのである。
 とくに興味というほどのものはない、と正直に答えたると、相手は首を斜めにひねって、私の反応を慎重にさぐるように切り出した。
「しかしあなたは、先日も熱心に見学されておられた」
 確かに、始めて間もないブログに、資料館の情報を使おうかと思って、こそこそとメモはしていた。
 男は、オサカベ・ケンゾウと名乗った。何かボランティア解説員を示す身分証明書めいた小さなカードを見せられた気もする。私が注意していれば、そこに刑部憲造という名が見えたはずだ。しかしすぐに彼は、内ポケットに引っ込めた。
「すべてが、間違った歴史ばかりなのですよ。学校教育しかり、メディアしかり。嘘の歴史を教えているのは、大化の改新、明治維新や、大東亜戦争ばかりじゃありません」
 オサカベ氏は息がかかるほど、顔を近づけた。
「間違っているというのは、どういうことですか」
 ―そう問い返した瞬間、私はヤツの罠にはまったのだ。つまり、タランチュラの蜘蛛の巣にからめとられた。
「いまでは通俗的な、手垢のついた伝説ということになっている宇都宮釣天井はですな、じつは実在していて、その首謀者の本多正純の筆書きの設計図の写し図も、伝えられているのです」
 変な光を放つ目を、大きく剥いた。何かとてつもない秘密を打ち明けるように。
 私は余所者で、そんな地方史には、さっぱり関心がない。もともと静岡生まれで、徳川や本多の話ならば、駿府のある私の故郷の方が本家本元で、こんな北関東くんだりで本多某がどうしようと、大した話ではないように思われた。もっとも歴史に詳しい方ではない。
 どちらかというと私は、受け身の性格であり、あまり自己主張が得手ではない。いつも職場でも調整役といった性格だ。それを見透かしたように相手は図に乗ってきた。
「今度、特別にその貴重な設計図を、見せてあげましょう。今日に限って持ってきてないのが、実に残念だ。あなたなら、きっとわかる。その古文書は、うちの祖父が戦前、東京の古書店で特別に入手したものなのです」
「しかし、そんなものがあったところで、何がどうなるというのですか」
「―人間の心というものを、知るためですよ」
 彼の両目は、ここでいっそう義眼のように鋭くぎらついた。何をいっているのだろうこの男は……。
「勉強熱心な方だから、教えてあげるというのです。いまでも、ある研究グループが、この天井裏のからくり細工が描かれた古い絵図を奪還しようとして、私のことを狙っている」
「はあ。最先端技術でもないのに、ですか」
 あえて少し嘲笑的にいった。
「歴史の真実だけではなくて、建設利権が関わってますからね。……ここ数年間というもの、私の周辺に、考えられない事故が数度起こったことが、何よりの証拠なのです。車で跳ねられそうになったのは二度。その後も、家具の位置が変えられているなど、何度か家捜しのような事までされたので、めったなことでは人に見せられないのですよ」
 地元の歴史に異様にこだわるマニアックな郷土史家なら、全国どこでもいる。邪馬台国は実はわが郷土にあった、などの話を吹聴したがる人種である。
 そんなものは、たまたま生まれた地元が、日本の歴史の中で重大な役割を演じたと思いたいだけの貧相なローカリズムに過ぎない。私自身はこの蜘蛛男に、直観的にそんないかがわしい匂いを感じた。
 このボランティア男の話を聞いているうち、まるで新手の宗教の勧誘に遭っているような、妙な気持になってきた。私を、御し易しと見たのか、延々と一時間近くも、ステッキで芝生の根をほじくりながら、そこで歴史談義を聞かされた。セールスで何かの高額商品を購入させるわけでもないのに、それは実に執拗な、理解しがたい情熱であった。私は作り笑いをしながらも、次第に苛々してきた。

 その日は、城址公園内部にある城の石垣の内部空間を利用した資料室にも案内された。
 壁には詳細なこの城の歴史年表があり、ガラスケースの中には、城郭と城下町を再現したジオラマが設えてある。小さな樹木や、神社仏閣、青く染められた川もある。しかし天守閣のない城の模型は、大して魅力がなかった。
 蜘蛛男がボランティアの案内人だと思っていたところが、その場の中年の係員二人に、我々はよそよそしくも険しい目を向けられた。どうも勝手が違うようだ。
「ごらんなさい」と刑部氏はいった。「本多正純は、わずか三年弱の藩主としての期間に、この町の都市計画のおおよその基盤を作った男です。二荒山神社と本丸を結ぶ南北の縦軸を中心に、整然とした町割りを行った」
「町割り……。つまりインフラ整備ということですかね」
 私は何とか侮られまいとして、平静を装った。
「そう。城の周辺にぐるりと、武家屋敷、町人屋敷を配置した。そして、掘割の外の防御としての釜川や、田川などの河川工事を進めた。この測量や土木技術などのインフラ・ストラクチャーの知識は、ポルトガル系切支丹からヒントを得たともいわれる。正純の部下には、後に火あぶりにされた岡本大八という切支丹がいたしね」
「でも、切支丹って、弾圧されたのですよね」
「もちろん。しかし、家康も信長同様、禁教令の以前は西欧の先端技術が欲しかった。正純は、後に秀忠に、謀反の疑いで、秘密理の鉄砲製造を糾弾された。しかしこれは、むしろ彼のテクノロジーへの嗜好と非凡さを示している。都市基盤を作っておいてもらいながら、この街の人間は、ひどい恩知らずだ。もっと評価されてもよい人物ですよ」
 刑部氏はステッキを伸ばして、ジオラマのガラスケースを上からなぞるようにして解説した。それを係員らしき男が、不審そうにうかがっていた。この傍若無人なステッキの使い方は、さすがに係員に失礼だし、不遜な印象を与えると思う。
 後になってから、そこにたむろしている正式なボランティア要員と、この刑部氏との微妙な対立関係も、判明してきた。

 人に聞いたところによると、刑部憲造というこの人物は、年齢は六十代半ば、元工務店や、リサイクルショップを経営していた商店主で、あまり芳しくない噂があった。一種の変人だというのである。
 私がカリガリ博士やノスフェラトゥを連想したのは、しかし主観的な印象だけでもないようだった。
 この付近の子供たちは、この老人のことを影で「男爵」とか「タランチュラ」とか呼んでいるようだった。
 チビたちは「男爵」に、自転車やスケートボードで近寄ってきて、パッと逃げてしまう。子供らにも忌み嫌われているようであった。どうしてそんな古い物語を、いまの子供らが知っているかといえば、最近はまたゲームやアニメのキャラで、往年の映画がリバイバルしているらしいのである。昔のバージョンを基にテイストを幾分かは軽くしているようだ。
 私もむかし、映画『タランチュラ』で、深夜の城館の玄関階段を、巨大な毒蜘蛛が不安定な八本脚を使って、ゆらりゆらりと降りてくるシーンを見て怖い思いをしたことがある。
 刑部氏が醸し出している雰囲気は、どうもその手の怪奇ものや、前世紀初頭のドイツ表現主義映画を思い出させるのであった。昔の按摩のような黒メガネを取った瞬間の義眼のように光る目や、左右に険しく立ち上がった銀色の髪が、あのモノクロの作りものくさい奇怪な人物を連想させる。鋭い鷲鼻の顔つきも、どこか日本人離れしていた。背丈は中背よりもやや高くて肩幅があり、筋骨質の体躯には、首が潰れたように埋まっている。それが傲慢で、偉そうで、自分自身に自足した我の強い印象を与えるのであった。

 会社を潰した後の鬱病めいた精神状態から、私はマイナーな昔の名画や、無声映画時代の古風なモノクロ映画をレンタル・ビデオ屋で掘り出して、深夜こっそりと、ウイスキーを舐め舐め、独りでパソコンに見入り無聊を慰める習慣ができつつあった。無意味に明るすぎる現代ものは、感性として辛かった。サッカー狂いの中学生の息子は、私よりも、いつのまにか祖父の方になついている。何か息子に小言をいうと、老人は「和彦には、和彦なりの考え方があるだろう」とうそぶく。すると息子はしたりげにこちらを見る。義父は元中学の校長で家長然としていた。二人の間には、すでに妙な同盟ができつつある。勝手にしろというものだ。
 新しい勤務先でも、エクセル関連の機械的な事務をやらされていたが、今後、給料は上がる見込みもない。すでに生きることから降りていた。この退屈な町では、あまり友人というものを作る気がしなかった。
 日々溜まっていく鬱屈から逃れ、無聊の気晴らしもあって、秘かにネットのブログを始めた。そして映画と建築関係の本を、図書館で借りてきては耽読した。
 私は、都落ちの零落感を自分自身にごまかして、一介のブログ書き、つまり『B級建築―探訪ノート』の管理人にして、素人コラムニストの向坂志郎という自分の役に逃げ込んだ。
 最初、私の建築趣味は、この街のいたるところにある大谷石という凝灰岩を使った石造建築への興味から始まった。大谷石とは、東京を含めて、関東圏の諸都市によく見られる薄い緑灰色がかった土台石である。松が峰という地区に、空襲でも焼け残った見事なカトリック教会があり、そのネオロマネスク風の石積み建築の写真をブログにアップしているうち、テーマを「あまり注目されていない地方の建築・モニュメント・建造物」ということにしようと思ったのである。この街には、大谷石の石蔵を改造したというレストランや、洒落た喫茶店などもある。
 宇都宮から西に約十キロ。採石場のある大谷町では、戦時中に、中島飛行機が地下採掘場で、戦闘機を製作していたらしい。いわゆる学徒動員というやつで、白いハチマキをした女学生たちが地下の穴倉に籠り、飛行機部品を作っていたという。あまり日の当たらない郷土史のような、大学やアカデミズムが見向きもしないような些細な情報は、おそらくネット向きの題材なのだ。
 昔、徒然草の兼好法師は、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂おしけれ、と書いた。『B級建築―探訪ノート』は、生きることを賭けるような代物ではないにせよ、鬱症状の治療のための、ちょっとした退屈しのぎにはなるようだ。

   2

 というようなわけで、あの刑部氏と会ってからは、私もこの街の歴史に多少の興味がわいてきた。
 ―手元に古ぼけた地方新聞のモノクロ・コピーがある。十数人ほどの昔ふうの恰好をした商店街の人々が、大きな石の塊を囲んで並んでいる大正期の写真だ。
 人の大きさほどもあるこんもりと太った石は、中央にでんと頑固に構えており、斜めに落ちた半円の影には、何か孤独な表情もうかがえる。これは凝灰岩ではない。ごつごつした石の影は、どこかドルメンやストーンサークルのそれのように、太古めいていて厳めしい。人々の好奇心と疑惑に耐えてきた歳月が、そんな荒廃した気配を漂わせているのだろうか。
 石を囲って、恰幅のいい旦那然とした初老の男、鳶職ふうの痩せた男や、和服をちんまりと着た中年女や、十代のういういしい女学生が、照れくさそうに日射しに眉をひそめて笑っている。雑貨屋か何かの店先なのだが、看板の上半分が見えない。新聞特有の粗い印刷の粒子が、灰色の映像を曖昧にしている。
 場所は、宇都宮の市街地の中心を、東西に突きぬける大通り、おそらくは馬場町、通称バンバといわれる界隈だろう。この大きな石は、まるで昔の引退した力士が客呼びのための哀れな見せ物になっていたように、昭和初期頃までこの荒物屋の店先に置いてあったという。
 これはS新聞という地方紙の古い記事で、刑部氏の話を聞いて以降、多少の興味が湧いて、市の図書館の資料室で発見したものである。
 これが世にいう「宇都宮城の釣天井」の石、将軍暗殺の凶器そのものなのだそうだ。記事そのものは、そのように言い伝えられている大岩―というニュアンスで書かれている。
 もちろん、いくら何でもこれでは大きすぎるし、この伝説も事実ではない。しかし伝承というものは、民衆のわけのわからないエネルギーを吸い上げて太ってゆくらしく、どうやら戦前のある時期までは、こんな大石が「釣天井」に使われた石として、市内のあこちにごろごろと散在していたようなのである。そのうち幾つかは、実際に宇都宮城の石垣などに使われていたもので、維新後は、民間や公的な建物の石垣や庭石に使用されていたものだろう。城自体は戊辰戦争の時に焼失したが、その中には「釣天井の石」として信じられ、いわくつきのものとして、覆いを被され、長く隠されていたものもあるらしい。

 そもそもこの「宇都宮城釣天井伝説」とは、どのような逸話なのか。かいつまんでいえば、将軍暗殺をめぐる陰謀論だ。江戸時代初期、宇都宮城本丸には、将軍が日光東照宮に参拝する際に泊まった「御成御殿」があった。
 三代将軍徳川家光が、東照大権現家康公の七回忌の帰路に、御成御殿に一泊することになった。城主は家康以来の重臣の本多正純。家光の弟の忠長を将軍にしたいと願っていた正純は、寝ている間に天井が落下する「釣天井」を仕掛け、家光暗殺を謀った。その日に向けて、秘かに工事が進む。正純は口封じのため、作業にあたった大工を皆殺しにしたが、その一人の与五郎が、亡霊となって恋人お稲に真相を告げたことから陰謀が発覚した。家光は難を逃れ、正純は出羽に配流された。
 ―この話には幾つかの変奏があるらしいが、これはかなり脚色の多い、通俗的なバージョンだ。講談や歌舞伎、映画のシナリオであり、実際の史実とは違っている。例えば本多正純は、三代家光ではなくて、二代秀忠の時代に、出羽横手に流されている。たしかに家光の方が、地味な秀忠よりも、芝居としては絵にはなるかも知れない。大体、もし「釣天井」という将軍暗殺計画があったとしたら、死罪のはずだ。
 絵になるといえば何よりも、将軍の暗殺装置としての異様な「天井」の幻想的で奇怪な舞台からくりが、芝居では何よりの見せ所である。おそらく当時の庶民は、この斬新なイメージに、惹きつけられたのだ。
 正純は、江戸初期の幕閣間の厳しい権力闘争に敗れ、改修工事の不審点を糺され、流罪となった。政変のとうとつなギャップを埋めるため、庶民の説得用に「釣天井」伝説が捏造され、噂が流布されたのかも知れない。冤罪説がリアリティを持つゆえんである。いわば、駿府の家康の側近の本多勢と、江戸の秀忠側近の土井利勝や、家康の娘の亀姫らとの間の血腥い権力闘争であり、それが宇都宮城の謀略で決着がついた―と見ると、構図はわかりやすい。
 「釣天井」の話自体は、今日では講談や歌舞伎などで尾ひれをつけられた他愛ない伝説であることがはっきりしている。県立図書館で借りてきたある地方史の本によると、この噂は、実力者を潰すためのプロパガンダ、今日ジャーナリズムでいうところの「人物破壊」の手法だというのだ。
 とはいうものの、民間に流布した伝説は、本多正純という徳川の重臣たちの嫉妬の対象となっていた、頭脳明晰で切れ者過ぎる人物の不可解な流罪に対しての民衆の想像力が増幅させた面も多分にある。
 資料を読んでいて、私は何となく、この人物は、自己分裂に悩む現代的な心理を抱え込んだ、目つきの鋭い、傲慢さと潔癖さが同居したような孤独な人物ではないかと思うようになった。
 特に、みちのく出羽に配流後、逃亡を防ぐためと称して、四方に柵をめぐらせ、襖や障子まで釘付けされた、昼も陽が射さないような暗い屋敷での十五年もの悲惨な生活は、同情を誘う。
 只一人、家康に敬称で呼ばれていたという、正純の前半生が輝かしかっただけに、その悲嘆は、どれほどのものであろうか。ただ「釣天井」の話それ自体は、他愛もない芝居小屋の座付作者が思いついた、面白おかしいエンターテインメントというところに落ち着くのだろう。

   3

 御多分に洩れず、地方都市の衰退ぶりはひどいことになっている。メインストリートですら、軒並みシャッターが下りて、陰気な灰色に押し黙っている。
 何年も前に廃業してしまったタクシー会社のガレージが、茶色っぽく錆ついたまま、北関東特有の烈風が吹き抜けるたびに、ジャラジャラバラバラと、うるさく鳴っている始末であった。開けっぱなしのがらんとした車庫からは、神社の崖下に面した向こうの側の風景が見え、赤土やペンペン草、セイダカアワダチ草の生えた斜面が、明るくのぞいている。
 むしろ活気があるのは、郊外の緑の林を背景として点在する、アウトレットや量販店、ファミリーレストランの連なる広々とした環状線道路であった。
 この街で、私は妻の実家の居候同然の身分と相成り、鬱々として楽しまない日々が続いた。妻の親父の伝手を辿って、こちらに何とか就職できた。国道四号線沿いの食品会社の商品管理の地味な仕事である。この会社は、スーパーなどに、惣菜のパックや弁当などを仕入れている。以前と業種は違うが、贅沢はいえない。
 住居は、昭和四丁目の実家の敷地内に、以前同居していた親類が住んでいたという二階建ての狭い家を、一部改修して安く借りた。南西側には、ほったらかしの竹藪があって、光の射さない何とも陰気な家であった。その竹藪は、切っても切っても、新たに小さな竹の芽が生えてきて、薄暗い日陰を作った。それはまるで、雀のお宿であった。
 しかも食事は、隣接する母屋のリビングで、妻の父母と取ることになっているので、何かと窮屈だ。
 この父親がまだかくしゃくとしていて、私のことを情けない娘婿だと思っていることを、ちっとも隠さない。無能ゆえに愛娘を不幸にしたと思われている。中学の校長にまでなった根っからの教育者で、若い頃から剣道をやっていて、いまも近所の子供たちを指導しているせいか、ときどき、大上段に叱りつけるような口調になる。
「志郎クン、君はね、そもそも姿勢が悪いんだよ。そんなことでは、いい運気も、入って来ないぞ。しゃきっとしなさい、しゃきっと」
 とはいえ、この父の顔で再就職した私としては、頭が上がらない。それこそ私は、この狭くて陽の射さない影のような家で、本多正純のような不如意を抱え込んでいたのである。―もっとも私は、彼ほどの大物でも有能な策略家でもない。いまの時代にはどこにでもくすぶっている凡庸な零細企業の倒産経験者に過ぎない。
 そんなわけで、次第に義父ともぎくしゃくしてきた。食事だろうが、車の運転だろうが、私のやることなすこと、いちいち文句をつける。この鬱陶しい実家とは離れた町中に、アパートか安い賃貸マンションが欲しい。あの竹藪の日陰の二階家では、倒産以来の鬱症状がますます本格化してしまう。

 ともかく、狭い書斎でも何でもいいから、あの甲高い頑固者の義父の声の聞こえない部屋を確保したかった。仕事や調べものを口実に、週に二三日ほど息抜きに泊れる隠れ家があればいい。それで昼休みなど、中心部の城址公園周辺をよくふらつくようになった。できれば、勤務先の工場からも近い場所がいいのである。
 というわけで、城址公園から歩いて十分ぐらいの所にある不動産屋を訪ねてみた。
 最初の日は、あまりいい物件が見当たらなかった。ときどき顔を出してくれれば、ひょっとしたら拾いものがあるかも知れないともいう。
 社長の立花幸喜という男と、ひょんなことで話が合って、その後も、近くを立ち寄る度に無駄話をするようになった。
 立花氏は、でっぷりとした大柄で、どういうわけか顔まで大きく、いかにも人好きのするにこやかな笑顔を絶やさない。鈍い光を放つドングリまなこをぱちぱちさせて、早口に喋る。そのむくんだような楽天的な顔には「すべて世はこともなし」とでも書いてありそうである。客商売には向いているタイプだろう。羨ましい。
 不動産屋の立花氏は、公園の正式なボランティア要員で、休暇ともなると、日に一度か二度、案内係として立っているという。人がいないときは、よく後ろ手を組んで、下唇を満足げに突き出し、公園内を慈父のような微笑みを浮かべて見渡している。つまりここは、彼のテリトリーなのだ。
 ところが、この立花さんが、極端に刑部氏を嫌う。
「あの人には、近づかないでくださいよ、向坂さん。彼の言うことは、一から十まで、でたらめですから。いや、ほとんど妄想に近い。ああいう過った歴史を、勝手にボランティアのふりをして教えられると、こちらが迷惑するんです」
 彼は正式なボランティアとしてプライドを持っており、城址公園の秩序と、正しい歴史の啓蒙に責任感があるらしい。
 この人物とは妙に気が合い、次回、一緒に飲みに行こうということになった。向こうから、わざわざ夕方を指定してきた。
 その日、不動産屋を覗いてみると、部屋の物件は相変わらず、これはといったものはない。そこでまたもや、出されたお茶を飲みながら、歴史談義になってしまった。
 私の方も、こんな地域住民の雑談から、ブログの記事ネタを探しているので、ちょうど良い。私は悪戯っ気がわいてきて、質問してみた。
「一部に囁かれる噂、つまり釣天井の話は真実であり、むしろあれを伝説だということにしてしまったのは、プロパガンダであり、歴史の情報操作だという説、あれは、どうなんですか」
 私は先日図書館から借りた蛭田某という郷土史家だか民俗学者だかわからない人物の本の受け売りをした。
 相手は、上を向いて、ふーっと溜息をついた。
「まったく、違います。そういう伝説は伝説として、軽く受け流して欲しいのです。客観的な史実は、また別な事ですから」
「しかし、世には、正史と稗史というのがありますね」
「稗史ねえ、ただの民間の俗説ですよ」
「それに現代ですら、何が陰謀論で、何が正しい情報なのか、さっぱりわからない。ましてや、江戸初期のことなんて……」
「そんなレベルの問題ではないでしょ!」
 ドングリまなこをむいて、語気を強めた。
 なにもそこまで真剣になるほどの話題でもなかろうに。私は図に乗って、ヒトの良い素人郷土史家をからかった。
「じつはね、先日、図書館の資料室で、あの石の写真を見たのですよ。戦前まで、二荒山神社の南方、オリオン通りに向かう、いまのパルコの裏あたりまでが低い段丘のようになっていて、その崩れかけた斜面に、一抱えほどの石が山積みしてあった。その一部が、城の釣天井の上に仕掛けられた石だという古い新聞記事ですね」
「知ってますよ、あんな写真。ただの無知な民衆の伝承を記事にしたに過ぎません。そんなゴロタ石は、戦前のこの街には、至る所にありましたからね。城の石垣の一部か、近くの裕福な商家の庭石でしょう。どうやって特定するんですか、ただの石ころを。当時の新聞記者だって、ネタがないので、面白おかしく記事を書いただけですよ」
 立花氏は下唇を突き出して、そっぽを向き、渋い顔を続けた。
「噂には証拠も記録もない。歴史では、事実、ファクトというものを重視しなけりゃ。そんな話は、いまでいう都市伝説です。その種の根も葉もない話を、あのオサカベという男は、平気で散歩者や観光客に吹き込むんです。あのね、ああいうのは病気なんです。淫するというやつ。本多正純という人物を漁っていて、いつのまにか感情移入して、一体化してしまう。敗者の美に、酔ってしまう。判官びいきの一種ですよ。……真実は自分だけが知っている、世界のすべてが正純の敵だったと思いこむ。そこにはまさしく不如意で惨めな自分の姿が、投影されているに過ぎません。在野の独学者がよく陥る典型的な病です」
 私は立花氏の顔を改めて見た。
「不如意で惨めな自分の姿。なるほど。あのヒトは、本多正純に感情移入していたのですか。……しかし、正純を正当化するなら、むしろ、釣天井説は否定するはずではないですかね」
「わかるじゃないですか、その心理。単に、一般で信じられている通説や、正しい歴史を覆したいだけ。悪役にされている正純が、凄い奴だったといいたいだけなんです。とにかくもう、何でもかんでも、通説定説を引っ繰り返したいという、ひねくれた衝動に過ぎませんよ」
 私はそれなりに立花氏の指摘に納得した。
「となると、史実うんぬんの問題ではないわけだ。道理で、人間の心が見えてくるとかなんとか、わけのわからんことをいっていたわけだな、刑部さん」
「読めているんだ、だいたいアイツが何を考えているのか。以前、うちのバイトの女の子を向けさせて、胸の隙間に差し込んだICレコーダーに隠し録りさせたんです」
 彼はニヤリと笑い、指で自分の胸元をつついた。
「内容といったら、それはもう……ひどいもんだ。もうちょっと、まともな歴史を勉強して欲しいですよ、私は。善意の第三者としてね」
「しかし、善意の第三者が、盗聴しますかね」
 相手は鼻白んだ。
「盗聴と、隠し録りは違う。それに、犯罪予防のための録音です。実はね、城の天井に並べてあった、かなり大きな石の一つを所有してるというのが、刑部氏の隠し玉なんです」
 立花氏は、嘲るようににんまりと目を細め、両手の親指を突き合わせ、しばらく腹の前で弄んだ。
「やはり、残っているのですか」
「下らない民間伝説ですがね。あれが、よくないんだな。ときどきこの町で見られる病気です。石狂い、物狂いの石とかいうのですよ」
「物狂いの石。そりゃあまた、呪術的な……」
「いってみれば、石に憑りつかれるんです」
 それから、掘り出し物の物件を語る不動産屋の口調で、「あのですね、実は」と声をひそめた。
「あの爺さん、十五年以上前に奥さんが亡くなってから、ここがおかしくなった。まあ、あんな変人に、もったいないくらいの女だったが」
 自分のこめかみを指差しながら、くるりと回し、意味ありげに私を睨んだ。「まさしく、美女と野獣というやつでね」
「私も、タランチュラ男爵とひそかに呼んでいるんですよ」
「言えてます。あのハンチングの下で陰険に光る黄色い目は、獲物を狙う毒蜘蛛そのものですな。とにかく、賛同者が欲しい。支持者が欲しい。考えてみれば可哀想な人間なんです。……それはそうと、もういい時間だ。どうです、私の知っている店があるんで、カクテルでもつきあいませんか」
 この地方都市では、ずっと昔に、カクテル・コンクールで優勝した名バーテンダーがいて、その長老の弟子たちがいつの間にか育ち、のれん分けをしてあちこちに店を出しているという。立花氏も、飲み屋街の泉町に行きつけのバーがあるらしい。
 私もまだこの時間、あの陰気な竹藪の家、あの堅苦しい義父の支配下にあるような雀のお宿には、帰りたくはなかった。早めに帰っても、義父にまた何かつまらないことをいわれるだろう。
 我々はそのまま話し込みながら、夕暮れの川沿いの道を十分ほど歩いた。
 途中、意外にも立花氏は鉄道オタクであり、カメラ片手に列車の写真を写し、データとして溜めている写真のコレクションも、相当数になることがわかった。
「いつか、私もブログを始めて、自慢の写真をアップしようと思っているんです」

 大通りを超えると、町中を流れている釜川が、藍色の水をちょろちょろと水銀灯に光らせていた。
 遊歩道を歩き、泉町の細い道を少し入った雑居ビル二階が『COCKTAIL MOON・カクテルムーン』というお目当ての店であった。すでに七時を過ぎていた。
 光沢のある厚い木製扉を、立花氏はほんの少し開いた。そして振り向きざま、嬉しそうにニヤリと笑い、指でOKの形を作った。
「ここはね、常連で混んでいて、ときどき入れないときがあるんですよ」
「ほう。女性バーテンダーですか」
 店の窓から黒いチョッキを着た女性店員が、カウンターで動いているのが見えた。
 入ってみると、昔ながらの風情のバーらしく、店内にはぎっしりと琥珀色や青や緑の洋酒の瓶が、きらびやかに並んでいる。洋酒棚の周辺には、水晶やアメジストなどの鉱物のオブジェが飾られていて、照明の光を華やかに反射していた。
 女性をまじえた二グループほどテーブル席に座り、白髪頭の常連客らしい老人が、カウンターにいた。立花氏は軽く会釈をした。
 二十代後半ぐらいのポニーテイルの女性が、タオルとメニューを渡してくれた。黒い短めのチョッキに、白いシャツという古典的なバーテンのスタイルで、女性でも、なかなか様になっていた。ちょっと気の強そうなリスのような目をした美人で、こちらを見てにっこりと挨拶した。
「ね、月子ちゃん。いいでしょう。本当は月岡瑛子さんというのだけど、常連からは月子ちゃんといわれている。夜空を照らすお月さんみたいだからね」
 立花氏は、歯の浮くような台詞をいった。
 女バーテンダーは、横を向いて澄ました顔になると、いきなり、きゃしゃな両手で素早く上下にシェイクを始めた。それはいかにも、女剣士といった凛々しさで、なるほどこれならファンがつきそうだ。
 ついで、にこやかに笑みを浮かべ、グラスにカクテルを注いだ。その仕草はいかにもプロフェッショナルである。何というカクテルなのか、柔らかな菫色の液体は、テーブル席の女性客に、手渡された。
「オリジナルとか、あります? それください」
 私は厚かましく、そう注文した。
「じゃあ、僕も同じのを。……さてと、刑部さんの話なんだが」
 立花氏は、深刻な表情をした。またか、と私は思った。
「あの人の奥さんは、実に可哀想な人なんです。なかなかの美人だったのですが、もともと軽い小児麻痺で足が悪かった。たまたま小中学校が一緒でしてね、憧れたもんです。もっとも、僕はずっと年下だったですがね。障害を持っているのをいじめられる一方、男の子たちの憧憬の対象でもあったんです。……結婚してからも、よく片脚を引きずるようにして、買い物籠を下げ、舗道脇で呼吸を整え、休み休み歩いている姿が見られましたよ」
 何だか狭い世界の話になってきた。
 しかし立花氏の口調は、この辺からかすれたように変化した。
「奈緒さんが育ったのは、裁判所の南側の材木町という界隈なんだが、怖ろしいことに、そこには刑部工務店があって、その袋小路の奥のどんづまりに、奈緒さんの家があった。つまり、工務店の裏の借家だったわけです。刑部工務店も、先代は住宅ブームもあって、かなり儲かっていた。親同士は、家主と店子の関係。貧乏で家賃も滞納がちだったらしい。しかも奥のアパートには風呂がなかったので、刑部家の裏手にある風呂を、親子で借りに来ていた。刑部は子供の頃から、潤んだような目をした美少女の奈緒さんに、目をつけていた。そして夜毎、風呂場をこっそりと、覗き込んでいたに違いないのです」
 立花氏は、次第に声をひそめた。
「そのように、本人から聞いたのですか」
「いえ、それくらいは想像できるじゃないですか。親はうすうす感づいてはいても、家賃の引け目もあって、娘に何をされても黙っていた。そしてオサカベは、お前みたいな体の悪い女は、誰も嫁に貰ってくれない。絶対に幸福にはなれない。どうするんだ。だからこの俺がもらってやる―そんなふうに、十二三の頃から、毎日のように言い聞かせていて、いつのまにか優しい兄のように思わせる手口を習得した。つまりは、悪質な洗脳であり、いわば飼育というヤツです。周囲の世界から孤立した狭い袋小路の奥で、ほとんど隣り合わせに住んでいたことが、奈緒さんの不幸の始まりです。小学校は一緒に通ったらしい。そこでいったい、何が起こったか」
 立花氏の目が異様に輝き始め、ごくりと唾を飲み込んだ。
 私は、妙な不健全さを感じた。
「ほとんど子供の頃から、あいつの餌食になった。そもそも奈緒さんは、脚さえ悪くなければ、あんな化物に言い寄られる人じゃない。色白の瓜実顔で、若い頃などきれいな服着て椅子に座っていれば、どこぞの令嬢で通りましたよ。それをあの厭らしい変人に、早くから調教されたようなものです。工務店の奥の狭い路地の行き止まりの暗がりで、刑部のおぞましい所業が始まったのです」
 相手は唇を噛みしめた。
「つまり、美しい蝶が、早くから蜘蛛の餌食になった……」
「うまいことをいうなァ、向坂さん」
 妙に感心された。しかし立花氏には、そこで目撃した光景がよほどショックだったらしい。あえて詳しく聞かなかったが、せいぜい子供同士の悪戯だろう。むしろ、彼がしている行為の方が、覗きではないのか。
「ほんとうに蜘蛛が、チョウチョウに食らいつくように、なのですよ」
 一点を見つめ、自分だけの世界に入ってしまった。
「あのね、こういうヒトなんですよ」
 彼はカウンターの手前で屈み込み、隣の客に隠れるように、古ぼけたモノクロ写真を見せてくれた。
「これが奈緒さんです」
 確かにそこには、涼しげな目をした清楚で可憐な美少女が写っていた。少し照れたような顔をして、やや前屈みにポーズを作り、後ろ手を組んで柵の前にたたずんでいる。白いノースリーブ姿で、華奢な色白の肩を出し、西洋風の雰囲気すら感じられる少女だった。眼と眉の陰翳、長い髪が分けられたまるいおでこ。「夏の軽井沢にて」などというキャプションがついていても、違和感はないだろう。何とかいう昭和の女優にも似ている。
 なるほどこれでは、立花少年がぽーっとなっても仕方がないかも知れない。
「しかしなんでそんな写真を、いま、持ち歩いてるんですか」
「いや、僕だって、いつも携帯しているわけじゃないですよ。今日はあなたに会うというから、特別にわざわざ古いアルバムをひっくり返して持って来たんじゃないですか。いかにあの毒蜘蛛野郎が悪い奴かという証拠として。……それにこの写真は、奈緒さんに、何度も懇願して、撮らせて貰ったんですから。元を取らないとさ」
 何だか考え方が、えらくずれている。完全にいまでいうところのストーカーではないか。
 せっかくカクテルを飲みに来たのに、醜い顔をした出っ歯の十代の刑部少年が、あられもない姿の奈緒さんをいたずらしている光景が、おのずと浮かんできてしまう。その狭い路地裏の窓辺に、身を乗り出すように覗き込んで興奮している頭のでかいニキビ面の立花少年……。
 ―それにしても、何でまた三四十年も前のローカルな少年少女の三角関係に、見ず知らずの私が立ち会わなければならないのだろう。
「なるほどね。あのタランチュラ爺さんに、そんなロマンスがあったんですか」
「ロマンス、めっそうもない。分不相応な男が、あんな女性を手に入れたのです。ほとんど犯罪に近い。もともとそういう男なのです、刑部は。僕はね、中学生の頃から、奴の悪行を知っているのです」
 立花氏の下唇は、異様に赤い色を増していた。しかも、お通しで出てきたオカラを唇の端に白くつけたまま饒舌に喋っているので、ますますこの大顔が馬鹿らしく見えた。
「奈緒さんはねえ、あの、中学の卒業式のときに集合写真の撮影日に出られなくて、休んだ。あとでアルバムの左肩のところに、小さく顔写真だけが入っていた。これが、何を意味しているかわかりますか」
「いや」
「彼女、この時、妊娠してたのです」
 私は、なるほどとうなずいた。
「そして、あの忌まわしい高校生の刑部の子供を、堕したんです。僕まで脅されて、二千円もカンパさせられた」
 そこで義憤にでもかられているように、どんぐり眼をむいた。
「大人になってからも、奈緒さんは自分を卑下して、いつもうつむいて、かすれたような声で話し、人前でもおどおどしていた。気位やプライドというものを持つことができなかった。そういうふうに、アイツが仕組んだのです。世界中がお前一人をあざ笑っているという奇怪な幻を、何も知らない少女に吹き込んだ。人工的に劣等感を捏造し、それを丹念に移植した。歴史でも、私生活でも、オサカベがやっていることは同じなんだ。……己の暗い世界観で、相手をいいように金縛りにした。つまり、自分のこっそり吐く蜘蛛の糸で、相手をがんじがらめにしようとする。あの男は、そういう知恵だけは、発達しているんです。策略、奸計、からくり、そんなものが大好物なんです。……奈緒さんは、大学に入学する僕と一緒に、東京にでも逃げればよかったんだ」
「はあ。駆け落ちですか。そんなに好きなら、喧嘩でも何でも仕掛けて、刑部をやっつければ、良かったじゃありませんか」
 私は半分、面倒くさくなってきた。
「それができればねえ。ところがあなた、僕は根っからの平和主義者なんです。その当時は、あの二人を追って写真を撮ることしかできなかったのですよ」
「写真を、ですか」
「白状すると、僕はあの二人の、写真師だったのです」
 心なしか立花氏の声は、涙ぐんですらいた。よくもまあ、思春期の恋敵を、恐ろしくも長い間恨み続けて生きてきたものだ。このマゾっ気のある奇怪なる純情男は、刑部氏とはまた別の種類の変人らしい。
 カクテルバーに来る途中で、彼は鉄道マニアといっていたが、列車の写真とともに、この男は、中高生の頃から、奈緒さんほか、膨大な他人のプライバシーの盗撮写真でもコレクションしているのではないか。聞いてみると立花氏には、娘が二人いるという。携帯に入っている家族写真も見せられた。一応は健全な市民生活を営んでいるらしいのである。地方都市で静かに暮らしている平凡な人々の微かな妄執の匂いを感じた。
「はい、どうぞ。ムーンライト・シャドウ」
「ありがとう。きれいなカクテルですね」
 私は、月子さんの笑顔を見て、ようやくほっとした。
「以前、お客さんに、月をお題にしたカクテルを作れって、囃し立てられちゃって。わたしの好きなマイク・オールドフィールドの曲にインスパイアされて作ったんです。いまかかっている曲が、その曲ですけど」
 薄いぼんやりとした黄色い液体が目の前に二つ並んだ。立花氏も、にんまりと笑みを浮かべた。
 カクテルグラスは照明の光を透かして美しい。流れている曲も、いかにも青白い月の光が降り注ぐ神秘的な夜のイメージだ。
 立花氏の生臭い話に辟易していたので、ウォッカベースらしいこのカクテルを一口飲んで、その爽やかな酸味と洗練された甘さを、絶賛した。

   4

 私はその日、竹藪の家に帰宅してから、立花氏の話を幾つか反芻してみた。何かブログの記事にできるかも知れない。帰宅時点で、すでに十一時近くになっていた。母屋の方を見ると、応接間の窓辺に、丹前を着て背すじを伸ばして立っている長身の義父の影が、ぼんやりとオレンジ色の明かりに透けて見えた。
 ―立花氏の話は、刑部氏への憎悪だか嫉妬だか、よくわからない感情に染められており、客観的な印象とばかりは言いきれないものがある。
 刑部憲造氏は、中年期の後半までは材木町の方で小さな工務店を経営し、自分でも現場作業に加わっていたという。彼はもともと、手先の器用な職人なのだが、我儘で疑念の強い性格で、人望というものがまるでなかった。九十年代に入って早々、バブルが破綻した。給料の遅配が続き、金の切れ目が縁の切れ目、ということになり、三四人いた社員に逃げられ、店がうまくいかなくなった。店舗をリサイクルショップに改造し、奥の空間を奇妙な喫茶店にして、何年間かは自転車操業を続けた。
 そうこうするうち、心労が祟って体の疲れも出たのか、奈緒夫人の体調もおかしくなった。店に立っていても前屈みになり、苦しそうに顔をしかめる。それでも彼女は黙っていたのだという。
 そんなある日、病院の検診で、子宮癌だか乳癌だかが発覚したそうである。立花氏によれば、つねに唯我独尊的な振る舞いをしていた刑部氏による長年のストレスが、奥さんの体に出たという。
「あのタランチュラはね、偉そうにしていても、いざとなると自分では身の回りの事は何もできないんです」
 彼も私と話すようになってから、「オサカベ男爵」「タランチュラ」「毒蜘蛛野郎」を好んで使うようになった。
 愛妻の病により、さすがに刑部氏も改心したのか、彼は打って変わって、かいがいしく看病した。しかし奈緒夫人は医師の予告通り、正確に三か月後に亡くなった。
「そのときオサカベはこういったもんです。あの医者、自分の予見の通り、ぴったりに妻を殺すために、こっそりと癌の増殖を早める毒を盛ったと。あちこちに、そう言いふらしたのです。馬鹿馬鹿しい。……野上医院はあの立派なビルの四階まで、いたるところ、人を殺す機械と毒薬がいっぱいだとね。名誉毀損もいいとこですよ。いったんそう考え出すと、奴の病的な陰謀アタマは止まらなくなる。暗い暴走を始めるんです。考えてみれば、あの時点からおかしくなっていたのですね。それからが、あいつのゆがんだ偏執狂人生の始まりです。常に世界と自分とが敵対している。壁から天井から、路上から、自分をののしる声が聞こえる。これはもう、病気です」

 しかし、刑部氏のエキセントリックなところは、私生活における唯我独尊ぶりだけではなかったらしい。
 平成の始まった頃から、地元では、宇都宮城再建の話が盛り上がり、いろいろな動きが具体化していったようである。行政側としては、それも町起こしの一貫らしいが、もともとが天守閣のない平城の館であるため、城らしい情景といえば、白い漆喰壁でできた清明台と富士見櫓という二つの櫓、本丸周囲の土塁、ぐるりと巡るお堀の再現などが、かろうじて城郭風景を形成することになる。
 そのプロジェクトの最中、あの刑部氏が何の予告もなしに、唐突に事務所に現れて、「釣天井」は再現するのかどうかとまくし立てたというのである。
 事務局の方では、そんなことはまったく考えていないというと、いきなり声を荒げて激昂したそうである。
 ―この伝説は、江戸時代から講談や歌舞伎、あるいは映画として伝わっている。真偽の詮索はともかく、それ自体が貴重な民衆文化なのであるから、せめて資料館の一画に、風俗史としての「再現からくりコーナー」を作るべきだと、刑部氏は主張したらしい。
 幸いそのときのボランティアのスタッフに、市内の大学のラグビー部や柔道部の屈強な連中がいて、何とか追い出してくれた。それでも刑部氏は、翌日からしつこい電話攻勢を数日間続けたという。
 立花氏らのグループも、うんざりしつつも静観の構えで無視していた。
 ところが広報活動として展開しているタウンミーティングの際に、またしても、あのタランチュラ男爵が出現したのだそうである。
「暗いオーラを放っているので、一般人の中に紛れていても、すぐわかるんです」と立花氏はいった。
 その時も、突然勢いよく手を挙げて、会場の真ん中で立ち上がり、雛壇に並んだ実行委員の面々を睨み据え、大声で支離滅裂な質問を始めたらしい。刑部氏は、ときどき、例の赤茶けたステッキを床にコツコツと突いて、委員一同を威嚇していたという。そこには市会議員もまじっている。
 質問は勿論、「このプロジェクトで釣天井は再現されるのか」である。
「あの変人は、刑部家の爺さんの代から伝えられたと称する、偽の古文書と、後で神田で入手したというボロボロの染みだらけの黄色い設計図を振りかざし、すぐに自説の展開を始めやがったのです」
 そのタウンミーティングには、市民が数十人集まっていたそうだが、その場の混乱は想像に難くない。
「むろん、史実通りに再現しようとする実行委員会は、そんな根拠のない伝説など、相手にしやしませんよ。大学の先生方の研究に基づき、実証的、学問的に行くんですから。そもそも天守閣のない城のどこに天井を釣る空間があるんですか。……ところが奴さん、完全に無視されたと思って、ミーティングのあとでも、実行委員のそれぞれのメンバーの自宅に、連日のように怒鳴り込みに来た。あの野郎は、元工務店の店主として、勝手に釣天井関連の仕事が発生すると思い込んで、その期待を裏切られたので、独りでキレているだけなのですよ。
 ……しかも、朝も夜もない非常識なヤツだ。子供らは恐がるし、スタッフの奥さんたちも、ノイローゼ状態。事務所に怒鳴り込んできたときは、顔を見た途端、若い連中が危険人物として、羽交い締めにしてしまう。ところが、意外に腕力が強い。やはり柔道部、ラグビー部クラスでないとね。その時いた連中は、さっぱり役に立たない落研と映研でした。警察を呼ぶといっても、あまり大騒ぎにはしたくはない。奴さんに、市政と特定業者との癒着などといわれ、それがまっとうな告発だと市民に誤解されても、それはそれで問題ですからね」

 要するに、立花さんによれば、刑部氏を動かしているのは、自分自身でも気づいていない世間に対するルサンチマン、すなわち怨念だというのだ。
「人間はね、自分が不如意で正当に扱われていないと思うと、歴史だの国だのを、大きなものを、口ぎたなく罵りはじめるんです」
 私はなんだか、他人事ではないような気がした。
「すべて問題はね、自分の人生なのですよ。偉人や英雄など、人様の作った歴史ではなくてね。あの不幸な男を見ていて、そう思うんです。……おそらく、自分は古い資料や文献のみならず、正確な釣天井の設計図すら持っており、なおかつ、そのレプリカまで作っているのに、プロジェクトの実行委員に加えられていないというのが、不満なのです。
 そんなのはねえ、独学者にありがちな僻み根性です。独学? いや違う。彼は学者や研究者なんかじゃありませんからね。ただ、もう、工務店関連の何かオイシイおこぼれ仕事をハイエナのように狙っていた。あのおっさんの夢見ていた釣天井コーナーの監修者、アドバイザーかなんかに加えられると、本気で思っていた。その欲のからまった醜い期待が、ありもしない妄想までふくらませたんですよ」
 そのうち刑部氏は、こともあろうに、本多の殿様の下で実際に釣天井の工事に関係した棟梁の末裔だなどと吹聴し始めたという。もともと偏屈親父だったが、本格的におかしくなったのは、リサイクルショップも左前になった後、奈緒夫人が亡くなってからだという。奇妙な逸話は、この時期の妄執や異常にゆがんだ行動を言っているようである。
 その後も、壁や電信柱に、再現プロジェクトを非難する手書きの壁新聞や、チラシのコピーなどを作成し、電柱に貼りまくったり、家々にポスティングしたり、攻撃的な行動を取り始めた。奇怪なクレーマーに変貌したというのである。
「あげくの果てには、われわれを悪者にして、市民の金を無駄遣いしているとか、市長も行政も実行委員も裁判所も、すべては特定土建業者と結びついてグルだったんだとか、もはや民主主義の崩壊だとか、あらぬことを言いふらす。思いあまって、実行委員グループが決死隊を組んで、刑部氏の自宅に抗議に押しかけた。奈緒夫人が亡くなったあと、荒れまくったままになっている喫茶店跡をね」
 ところがそれが逆目に出て、刑部氏は秘密の古文書を押収に来たと思い込んだらしい。路地の奥で、熊のように吼えまくり、さすがの「決死隊」もうんざりして退散した。
「すると奴さん、二日後にはもう、町内会の掲示板や、公衆電話のボックスに『我、勝利す!』という濃い墨文字のチラシを、ペタペタと貼り付けた。はっきり言って狂人ですわ。もう、ほとほと疲れましたよ、あの騒動には……」

 


   5

 薄曇りのある週末、それほど暑くはなさそうなので、私はひさしぶりに散歩に出かけることにした。
 県庁の北に八幡山公園という小高い山があり、市民の憩いの場となっている。頂上には東京タワーを模したような小さな赤い電波塔があり、エレベーターで展望フロアまで上がっていくと、霞んだような大気を透かして、灰白色の市街地が見渡せた。
 起伏のある山の中腹には、ツツジと芝生が植えられているが、春ともなると霞のような桜に蔽われ、花見の名所となっていた。
 この辺は、妻の実家からもさほど離れていない。あまり人の来ない一画に、大きな楠木が生えていて、その木蔭になった所があり、気候のいい日には、雑誌や文庫本を片手に芝生の斜面に寝そべることができた。
 私は週末ともなると、そこに腰を降ろし、しばらくぼんやりとしたあと、丘の上にある昔ふうの茶店まで登って行って、枝豆をつまみながらビールを一瓶開けることで、その日の単調な散歩を終える習いがあった。

 ―その散歩の途中、とつぜん刑部氏から携帯に連絡があった。明日あたり、久しぶりに会いたいというのだ。一瞬、唾を飲み込んだ。どうも私は、妙な人物に好かれる傾向があるようだ。
 話を聞いてみると、例の因縁のある自宅に招待したいらしいのである。世間一般に相手にされない彼は、一人でもいいから信者が欲しいのだ。
 私は、躊躇したが、ここまで来ると、多少の好奇心も、ないわけではなかった。
 私の中では次第に、みちのくに配流され、釘打ちの板で囲まれた屋敷に幽閉されていた本多正純の晩年の孤独と、乾いた風の吹きすさぶ城址公園に立ちつくす刑部憲造氏の孤独とが、重なって見えた。
 刑部邸のある場所は、材木町という繁華街とはいえない一画の中の寂れた通りであった。かつてはこの辺ももう少し、家並みが密であったらしい。樹木に蔽われた古い寺や、低い石垣に叢が蔓延る空地が広がる。
 いかにも流行っていなさそうな薬屋の旗が、熱風にあおられ、客のいないヘアーサロンが、白っちゃけた風景の中で乾いた強い日射しを浴びていた。
 彼はすでに表通りに出て、私を待っていた。
 道路に面して、すでに閉店になった「リサイクルショップ・オサカベ」があった。看板だけがわびしく通りに向けられており、灰色の窓は二枚ほどひび割れて、紙テープで抑えられていた。ガラスの後ろには、寝ぼけたような色合いの古いカーテンが透けている。
 その裏手の袋小路になっている右側に、埃っぽい棕櫚の樹が二本ほど幹を並べ、がっしりとした蔵のような建物があった。ここが立花氏が少年時代に覗いたという、いわくつきの場所らしい。奥正面の貧弱な二階建てのアパートが、奈緒さん一家が住んでいた家だろう。カーテンは閉じているが、干しっぱなしの洗濯物が見える。現在、誰か住んでいるのかどうかわからない。手前には、もう何年も使われていない錆びた自転車が立てかけてあった。この路地の一角が、刑部少年の縄張りだったのだろう。

 案内されるままに、刑部邸の扉を開けたとき、何ともいえないような、黴くさい空気が鼻をついた。
 座敷牢―そんな言葉も連想した。
 隅の方がぼんやりと白く見えるのは、いたるところに蜘蛛の巣が張られているせいだ。蜘蛛男爵、タランチュラという仇名が、冗談ではなくなってきた。
 埃っぽい、見捨てられたような投げやりな感情が、蔵の内部には籠もっていた。室内は意外にもひんやりとしていた。
「ここはねえ、祖父が東京の古書街で入手した設計図を、私の代になって再現したのですよ。御成御殿の一部で、縮尺は三分の一ですがね。ここから手前までは一時、喫茶店にしていたのです。まったく流行らない喫茶店でしたがナ」
 刑部氏は、血色の悪い厚いゴムめいた唇につつまれた銀歯まじりの口を開いて、そういった。
 内部に入り天井を見ると、なるほど格子状の木の枠が見えた。
「吊り天井の技術そのものは、平安時代からあったのですがね。後に、寺院建築や、茶室、数寄屋作りで広まった。格天井ともいわれて、天井板を吊り下げるかたちになっており、室内からは、無粋な建物の骨格が見えなくなるわけです」
 私はレプリカというのはあくまで、紙や木で細工された小型の建築模型だと思っていたので、いささか戸惑ってしまった。
 暗い壁の上部に明るい窓があり、そこから黄色い光が差し込んでいた。舞い上がる細かな埃を太陽光線が斜めに透かす。その明るい帯の中を、ゆらゆらとくねりながら銀の粒子が上昇する。私は、二三度むせた。
「入場料無料、コーヒー一杯四百円。私がコーヒーを沸かして、家内がちょっとしたサンドイッチやピラフを作ったのです。あいつのファンと称する学生が、何人かよく来ましたがね」
 よく地方の神社の境内に、長いこと使われずにいた古い田舎歌舞伎の舞台が、廃屋同然に放ったらかしになっていたりすることがある。この薄暗い蔵のような家も、全体にそんな時代に忘れられたような風情があった。
 私が室内を眺めていると、店主は階段下に回って音楽をかけ始めた。私も知っている曲だった。セザール・フランクの物憂くも仄暗いヴァイオリン・ソナタの旋律が響いてきた。悲哀、惧れ、怒り、不安、憧れ。そんな感情が床を這い、壁をつたい、先鋭な弦の響きが、乱れたようなピアノの音を交えて宙を掻きむしる。
 まもなく、コーヒーが出て来た。
「カップはね、蘆田秋生という益子焼の作家のものです。きっとこの人の作は、あとで値がつくと思うんだがね」
 意外にも、それは旨いコーヒーだった。使っている豆は、わざわざ業者に選ばせたハワイコナだという。
 この異相のカリガリ博士とも、タランチュラ男爵ともつかない老人が、妙な味のある喫茶店のマスターふうに見えてくるので、不思議なものだ。彼は室内でもハンチングを被っていた。おそらく禿頭なのだろう。後頭部からは、荒いばさばさの銀髪がはみ出している。
「上を見てごらんなさい」
 彼はステッキを斜めに上げた。言われるまでもなく、私はハンケチを口元にあてつつ、ひとつ奥の方の天井の暗がりをあらためて見上げた。
「あの格子を、四方の太い鎖が支えている。そして斜めに張られた縄が、それぞれの力の均衡を調整している……」
 闇の中には何か無数の黒っぽい紐のようなものが垂れ下がっていたが、目の焦点が合うにつれ、それらが錆びついた鎖や、縄紐の類であることが明瞭になった。その紐の根本のあたりにも、白い蜘蛛の巣が張っていた。
「何年も前に、雨漏りで天井板が腐って剥がれ落ちてしまった。知り合いの看板屋に、見事な雲龍の絵を描かせていたのだが」
 格天井の無残な骨格部分だけが残ったというわけだ。なぜか私には垂直にたれた鎖の列が、黒くしなだれたウミヘビの干物のように思われた。
 このじゃらじゃらと乱れた鎖の群れは、あるものは長く、あるものは短く、難破船にかかった海草のように、暗鬱にだらりと下がっている。そこには荒廃の極みにある奇怪な美すら感じられる。建物ぜんたいに幽霊船の内部のような凄惨さが漂っている。
「ずいぶん変わった喫茶店ですね。お店をやっているとき、天井に石は積んであったのですか」
 私は熱いコーヒーを啜りながら尋ねた。
「もちろんですよ。そこの手動のハンドルと、梃子のような機械があるでしょう。正純の残した図面通りの設計です。大きな歯車と発条のある。それで上げ下げして、客に見せたのです。それと……。ほら、あそこの畳の上に、将軍の寝床を作って、秀忠の人形が横たえてあったのですよ。わざわざ金をかけて、東京の人形師に作ってもらったものです。本能寺の信長のような寝間着姿で、この辺には御簾を垂らしてね。まるで、生きて寝息を立てているようなやつでしたな。行灯や文机、枕をそえて。映画のようにぼんやりと御簾の向こうから、ライトアップもしてみせた」
「それはなかなか、凝っている」
「ところが秀忠さん、ある日、移動したときのちょっとした弾みで、ボコリと首がとれて壊れてしまった。いまは向こうのリサイクルショップの床に寝かせてあります。ブルーシートをひっ被せてね。てっきりあの時は、正純が、仇討をして首を獲ったのかと思った……」
「まるで、身内のようですね」
 しかし私の皮肉は通じなかった。
「いや、暗殺の場所は、湯殿説もあるのですが、その説は、私は採用しません。風呂よりも寝所のほうが長時間いるわけでね、暗殺には失敗がないはずだ。……このアイディア、名所になると思ったのですがねえ、こんな酔狂なことは誰もやっていないから。しかし、無理解な一般大衆には、まるで相手にされなかった」
 狭い高窓から、薄日が射し込んでいた。
「一般大衆ねえ」
 私はいい気なものだと思いながら、立ったままで熱いコーヒーを啜った。そして、閉店されたリサイクルショップの隅に横たわってブルーシートを被せられているという二代将軍・徳川秀忠の首のとれた人形を、ぼんやりと思い描いた。その将軍人形を見てみるかといわれたが、私は遠慮しておいた。

「事故が起こる可能性とかは、考えなかったのですか」
「こちらのテーブル席には、石は落下しません」
 彼は断言した。
 私は溜息をついて、幽霊船のような室内を見た。
 この光景は何も語っていない。歴史など語っていない。ただ、刑部氏の心の荒廃を語っているに過ぎないのだ。
「どうせ、客が来ないのはわかりきった話だ。道楽だと陰口をきかれているのもわかっている。その頃は親父が売った真岡の土地の金が、まだありましたからね。バブルの頃、ある大企業が工場用地として、買いとってくれたのです」
 ある意味ではいい御身分なのである。羨ましいことだ。
 脇の木の段を上まで登ると、天井裏の構造が見えるという。主人に促されるままに、私は急な梯子段を、恐るおそる登って行った。
 数段ほど登ると、全景が見渡せた。太い木の格子の上にごつごつと岩が並び、何とも禍々しい光景であった。
 二階の釣天井のさらに上の方に、神棚が見えた。
 暗がりのところを覗いて見ると、屋根裏の暗がりに小さな社とお神酒や榊が見えている。
 お札のような紙の途中に「奈緒」と書かれてあった。亡くなった夫人の名前である。目を凝らして見ると、「刑部大明神奈緒姫之命」と読み取れる。榊はすでにちりぢりに干涸らびていた。
 昔、信州に行ったとき、松本城に立ち寄ったことがある。天守閣への急勾配の階段を登った最上部の暗がりに神棚が祀ってあった。城を護る姫神である。そういえば泉鏡花の『天守物語』も、姫路城天守閣に棲みつく怪異の話であった。刑部大明神奈緒姫之命―というのも、何やらこのからくり館に棲みつく、美しいもののけの気配を思わせた。

 梯子段下の壁の脇に積んであるのは、天井板の廃材らしい。薄緑色の雲龍の爪や鱗らしきものが見えるが、うっすらと埃をかぶっていて、はっきりと確認できない。
「どうです。せっかくですから、アンタも将軍様の寝床に寝てみませんか。下から仰ぐと、釣天井の構造がもっとよくわかる」
 刑部氏は、異様に目をぎらぎらさせて、こちらを見た。お前にはできまい、と侮られているようで、私は癪にさわった。「なるほど、それも面白い」という顔をして、靴をぬぎ、段差のある畳の間に上った。
 私はそこで深呼吸をして腰を下ろし、古畳の上で、ゆっくりと仰向けになった。そしてそのまま、両手両脚をきちんと揃えて、上を見あげた。
 そこから真上には、怖ろしい光景が迫っていた。
 格子状の木枠の奥に、大小ふぞろいの灰色の岩らしきものが、暗くひしめきあっている。つい目と鼻の先に、鬼の顔面のような岩々が、真下を睨みつけて並んでいる。目を瞠っていると、魅入られたように、遠近感が狂ってしまう。
「ちょっとだけ、天井をソロソロと下してみましょうか。ここで暗殺される将軍の気持ちを、味わってみるのもいい」
「え?」
 奇妙な館の主人は、暗い薄笑いを浮かべ、井戸の釣瓶でも操作するように、両手を動かした。
「―アンタ、自分のこと、好きかね」
「どうして、そんなことを」
 私は顔をあげた。
「これまで、生きたいように……生きてこられたかね」
 主の声には、冷酷な響きがあった。
「あの、言っている意味が……」
「それでは、運だめしに、降ろしてみるか」
 応える間もなく、ギィという鈍い軋み音が天井に響きわたり、幾つもの太い鎖が上下に引きずられ、角材が櫂のように、斜めに持ち上がった。悪夢であった。
 がらがらと天井が降りてきて、埃が宙に舞いあがり、黒い錆の粉のようなものが顔面に落ちてきた。
 私は、跳ね起きた。
「いや、もうこれで、結構です」
 これ以上、刑部氏の狂気に付き合ういわれはない。

   6

 妻の実家の竹藪は、さらに暗く繁茂してきた。
「切っても切っても、また生えてくるわね」
 彼女がカーテンをずらし、窓の外を見ながら、ため息をついた。
「物干し台も、竹の枝が入り込んじゃって、半分、もう使えないのよ。なんとかならないかしら」
 私も新聞を置いて、薄暗い庭を見た。
「根っこが地面の下の方を、這いめぐっているのさ。あそこまで竹がしっかりしていると、剪定ばさみも、電動バリカンも、使い物になりゃしない。しっかりしたチェーンソーを買ってこないと、これは無理だな」
 天候の悪い夜など、風が吹くと恐ろしい光景となる。
 ざわざわと竹が大きく揺すれ、二階の窓ガラスなどは無数の影絵のような触手に触わられているようで、落ち着いていられないのだ。地面は暗いのに、さらに新たな竹が育つ。
 次々と伸びてゆく竹の茎。それはまるで私自身の蒼ぐろい鬱屈が、繁茂していくようにも思われた。

 刑部邸を尋ねて以来、夜中に急に息苦しくなって、思わず声をあげて飛び起きる癖がついた。隣で妻が「どうしたの?」と怪訝そうに顔をあげるが、私は額の脂汗をぬぐいながら「なんでもない。寝てろ」と応える。
 彼女は、自分の亭主が倒産の悪夢にいまだに怯えているのではないかと訝っている。そのくせ、しばらくすると静かに寝入ってしまい、そのうち鼾すらかき出す。
 ―あるとき私は、薄っすらと小さな光の射す、狭い部屋に正座していた。周囲は密閉され、びっしりと釘打ちをされた板の隙間から、夕陽らしき朱色の木漏れ日がちらちらと見えていた。座敷牢のような部屋の薄闇の中で、私は焦燥に駆られ、何かをしきりに憤っていた。正座している膝の前に、抜身の短刀が置いてある。
 上を見あげると、得体の知れない大きな血肉の塊のようなものが、累々と積み上がっている。金縛りにあったように手足が動かない。あたりいちめん、異様な腐臭が立ち込めていた。どんどん真上に増殖していく得体の知れない柔らかな塊は、いまにもどっさりと崩れ落ちてきそうであった。
 ハッとして目が覚めると、窓の外には竹の影が擦れて、ざわざわと揺れている。背中や腋の下に、厭な寝汗をかいていた。そのときは三時半を過ぎていた。似たような夢を、その後も二度ほど見た。
 
 刑部邸で見せられたあの異様な天井裏の構造は、私を重苦しい気持ちにさせていた。本多正純に同化した刑部氏の鬱屈と、私の鬱病めいた気分が癒着し、まるで時空を超えた暗雲が、有機的に結びついてしまったかのようであった。奇妙な表現だが、それは三つの鬱屈の塊が連なる心的な惑星直列のようなものに思われたのだ。
 私は『B級建築―探訪ノート』のコラムのネタを捜していて偶然見つけたある素人建築を思い出した。
 昭和の初め、東京深川の商店街の一角に、一人の資産家の狂人が造ったという奇妙な屋敷があった。
 この家は二笑亭と呼ばれ、周囲の子供たちからは化け物屋敷と怖れられていた。寺の本堂のような薄暗い玄関には、大きな暗いメガネのような五角形の窓が二つ、表通りを睨み、常軌を逸したような不吉な気配を周囲に漂わせていた。内部にはありえないような急角度で階段が走り、人間の手が届かない数メートルの高さの壁に、衣装や帽子をかける釘がおびただしく打ち込まれていた。かと思うと、屋根を突き破り宙に伸びる鉄製の梯子が、曇天の空に奇怪なシルエットを見せていたりする。
 現代では、しばしばこの奇想建築が、ポストモダンの建築様式などと比較され、論じたりもされているという。
 正確な設計図もなくその二笑亭を作った主の渡辺金蔵という人物は、度重なる奇行から、精神分裂病、今でいう統合失調症と診断され、とうとう家族に禁治産者にされて、精神病院にぶち込まれてしまった。主治医となった精神科医の式場隆三郎による著書『二笑亭綺譚』だけが、取り壊し前の現地調査写真も含めた唯一の資料だという。

 刑部氏もまた、二笑亭の主のように、ある種の心の病を抱えていたのではないだろうか。あの男は、他愛のない伝説を口実に、自己に心理的肉体的な刑苦を与えたかったのではなかろうか。彼の暗いニヒリズムと強迫観念に最もふさわしい不安の形式が、深夜の闇の中を降下してくる凶々しい天井―だったのだ。それは、彼が世間と己の人生に復讐するために考案した一人用の拷問器具であったのかも知れない。
「アンタ、自分のこと、好きかね。生きたいように、生きてこられたかね―」
 じっと見上げていると、この竹藪に囲まれた家の天井裏にも、見えない石がごろごろと積んである錯覚に陥ってしまう。それは刑部氏の陰鬱な生霊じみたものが、私の家まで忍び込み棲みつきはじめたかのようであった。

 


   7

 立花氏に教えられた月子さんのカクテル・バーが気に入ったので、翌々週、仕事を終えると、一人で泉町の店を覗いてみた。
 時間が早かったせいか、先客はこの間も顔を出していた白髪の老人など、三人ほどの客であった。
「今日は、一人で来ちゃった。また、このあいだのカクテルください」
「ムーンライト・シャドウ、ですね。気に入っていただいて、ありがとうございます」
 リスのような目鼻立ちをした女バーテンダーは、悪戯っぽく微笑んだ。立花氏があれから来たかどうかを尋ねたが、彼もそれほど頻繁に来るわけでもないらしい。
「……じつは、この間のお話、聞こえちゃったんですけど。石って、例の釣天井の石ですか」
「あ、ええ」
 彼女が興味を持ったことは意外だった。
「実は、うちにもあるんですよ」
「何が?」
「その、物狂いの石」
「まさか。……立花さんも、その話知っているんですか」
「だって、あの方にそのこと言うと、真剣に怒り出しそうなんだもの」
「あはは。確かにね」
「うちのお爺ちゃんが、昔から石が好きで。菊花石とか、蛇文石とか集めているんです。部屋の棚にいっぱい」
「ああ、昔、流行りましたね。てかてかに磨いたりして。ひょっとして、そういうご職業なの?」
「ぜんぜん。県庁に勤めていた堅い役人なんです。父も市役所勤め。公務員一家なんだけど、私だけ、こんな軟派な水商売やってるんです。……でも、祖父の影響で私も、クリスタルとか、ラピスラズリとか、ローズヒップとかの石が好きになってしまったのかも。パワーストーン系。ちょっとお爺ちゃんの集めている石と、私が興味持っている石とは違う系統なんだけど」
「ああ、そうか。そこのクリスタル、綺麗だよね」
 私は洋酒棚に置いてある手のひらほどもある水晶の一塊を指した。後ろが鏡面になっているので、余計に映える。
「あれはヒマラヤ水晶。ちょっと形も違うでしょう。ネパール産で、エネルギーが強くて鋭いの。こっちの青いのがラピスラズリ。ツタンカーメンの黄金のマスクにも使われている碧い石。よく見ると、青の中に細かい金が入っているでしょう」
「へえ。石のエネルギーねえ。わかるんだ、そんなの。……月子さんのお爺ちゃんの持っている石って、本当に釣天井に使われたものなの?」
「わかんない。お爺ちゃんのお部屋に、昔からあるから……。そういうふうにいわれている石はあるらしいんだけど、でも、違うと思う。多分、昔、知り合いのインチキ骨董屋につかまされたんだと思います。株とか、競輪とか、前日に枕元においておくと、当たるって本人がいうの。本多様のお告げとかいって」
「それは羨ましい」
「ふふっ。勝手にお爺ちゃんがそう思っているだけ。単なる民間信仰。でも石の波動は、あんまり良くないの」
「波動ねえ。バイブレーションとかいうやつですか。でも、そうだよねえ、もともと、陰謀と関わった因縁めいた石だもの」
「でもね、あの発している気の悪さから考えると、将軍暗殺の石って、本当にあったのかしら、なんて思っちゃたりして」
 女バーテンダーは口元に手を当て、ポニーテールをゆらしながら、くすぐったそうに笑い出した。

「あのね、お話中、いいかしら」
 突然、向こう隣の小柄な老人が、身を乗り出して、口を挟んだ。そして私を見て、大きく目を開いた。
「大谷石工衆って、あなた方、ご存じ?」
 先日カウンターにいた白髪頭の品の良い老人だった。淡いピンク色のアロハ風のシャツがよく似合った。小金持ちの日系ハワイ人とでもいった雰囲気だ。
「大谷というのは、大谷石の大谷ね。改修工事の頃、本多正純が使った石工でね、大谷石を扱った石工の集団。西でいえば、比叡山の麓、坂本の穴太衆みたいなもんですかな」
「ほう。城の石垣を作った職人というわけですね」
「そうです。その流れを引く連中が、どうも内職というか、裏仕事で、盛んに釣天井石の紛い物を作っていたらしいの。まるでお釈迦様の仏舎利みたいに小分けにして、わざわざ袱紗に入れてね。……採石場の地下の隠れ洞窟で、こっそり作って、好事家に売っていたという話があるの」
「あ、こちら児玉先生。塙田町の小児科医のお医者様です」
 月子さんが紹介してくれたので、私もこの常連らしき老人に、挨拶をした。
「その話、ちょっとだけ、立花さんに聞いたかな。あまりよく知りませんが」
「ダメダメ、あの人は頭固いし、正統派過ぎるからね。この話は、一般にはあまり知られていないけど、蛭田恭三郎という近年亡くなった民間の民俗学者の本に紹介されている土地の古老の聞き取り調査によるものです」
「大谷石工衆ねえ。特殊な背景でも持っているのですか」
 どういうわけか私は、この町ではウンチク先生ばかりに捕まってしまう。
「秘密の石工の組合です。まあ、西欧のフリーメーソンみたいなもんですわね。役行者や勝道上人、慈覚大師円仁や日光修験らと裏で繋がっていたともいう。中世から近世にかけての彼らの全貌は、ようやく蛭田翁の研究によって明らかになりかけてきたのですがね。異端の学者でしたが、惜しい人を失くしました。……江戸のある時期、歌舞伎や講談と結びついて、好事家の間で『天井石』を砕いて磨き上げた小石が、秘かな産業となっていたというのです。誰が呼んだか、別名『物狂いの石』。つまり、賢者の石ならぬ、狂者の石だ。例えば、旗本の次男坊、三男坊あたりの道楽者や、吉原の花魁、お調子者の幇間、力士や博徒、町の火消し、そんな連中が、根付のように懐に隠し持っていた。ときには額にすりつけたり、二つの石を火打石のように打ち付け、カチカチ鳴らしたりする。陰謀や策略やライバル強伏のための悪しき知恵を、死後、冥府の悪しき軍師と化した本多正純から授けられようとして、肌身離さず持っていた……」
「そうなると、もはや、一種の怨霊信仰に近いですね」
「かも知れません。もちろん、平将門や、菅原道真や、崇徳上皇ほど、凄まじいものではないですがね。お守りの『天井石』は、ポータブルな神社みたいなもんです」
「吉原の花魁が、持っていたんですか。それって、ちょっとステキ」と、月子さん。
「花魁だの、太夫だの、花柳界のスターになるには、当時としても厳しい出世レースがあったですから。豊川稲荷にお参りしたり、有名な京都の吉野太夫のお墓にお参りしたりすると、その世界で成功するという信仰があったほどです。あれに類するものですな」
「ふうむ。いろいろお詳しいですね。その習慣は、いつごろまで残っていたのですか」
「いや、蛭田説によりますと、流行り病のように一世を風靡して、ある時とうとつに、下火になってしまった。大谷石工衆は、ある時を境に、ぱったりと『天井石』を作らなくなったのですな。本多様の祟りで、大谷の採石場で、落盤事故が何度か起こったからだという話もあります。大谷の地下は、江戸時代から、どこがどうなっているかわからない、地下迷宮のような構造ですからね。大事故とか病気とか、そんなことがあると、やはり、本多の祟りではないかということになって消えてしまう。しかし、いずれまた、需要はあるらしく、忘れたころに『物狂いの石』は甦る。少なくとも、謀り事を好む人の心の闇が、存在する限りはね」
「人の心の闇。どっかで聞いたな、その言葉」
「ニンゲンの心や魂というものはね、いわば地下のラビリンスみたいなものですよ」

 児玉老人は、そこで両手を添えるようにして、口を伸ばし、前屈みになってマルガリータを啜った。これはむしろカクテルというより、日本酒通がよくやる飲み方だ。
「例えばね、母親が妊娠中、おなかのあたりに『天井石』を入れおくと、賢くて上の覚えめでたい、利発な子供が授かるというのです。本多正純同様に、若いうちに異常に出世する。出世するのだが、あるとき唐突に、ブツンと運が尽きる。事故死してしまう、狂い死にしてしまう、家に火をつけて焼け死んでしまう、自らが他人の恨みを買い、仇討を招くような酷い振る舞いを演じてしまう。……あの石はね、破滅への意志、つまり自己破壊衝動を、刺激するんです」
「どうもなんだか、怪談じみてきましたな」
「怪談といえば、あなた―」老人の灰青色の目は、ますます異様な光を帯びてきた。「明暦の頃、九歳ぐらいの侍の子で、論語をそらんじたりして、大変賢いので近所で評判だった少年が、石を持たせてしばらくすると、蒼白な顔をして、卒倒するように『からくり、からくり、頭がからくり!』と独り言をいって痙攣を始めるようになった。ある日の夕暮れ時、経文を唱えるようにその言葉を叫び続けたまま、憑かれたように夕日に照らされた畦道を走り出して、もう帰って来なかったそうです。数日してから、鬼怒川の岸辺の杭にボロ布のように引っかかって、土佐衛門になって死んでいるのを、近くの百姓が発見した。……お稲荷信仰や、荼枳尼天のように、少しサジ加減を誤ると、とんでもなく不吉な現象が起きるらしい」
「からくり、からくり、頭がからくり! うわァ。なんか、怖い」
 アイスピックで氷を細かく砕きながら、月子さんが妙にはしゃいでいた。

 この日に聞いた児玉医師による本多正純と釣天井伝説の解釈を要約すると、以下のようになる。
―本多正純は確かに設計図を描いた。日々の務めを終えると、城の改修設計図に手を加え、その余興で、スケッチのような釣天井の仕掛けを細筆で描いた。
 それは、幕閣間の権力闘争からのひと時の慰安であり、無能で陰険な坊ちゃん将軍・秀忠への反発であり、多少はブラックジョークを込めた精神的な遊びであった。
「夜な夜な書院に籠もって、正純は、行灯の明かりを灯しながら、一人目を光らせつつ、釣天井の設計図を描き始めていたのです。彼は頭脳明晰で、関ヶ原の戦いのときは家康のすぐそばにいて、参謀格だったし、豊臣方のいた大阪城の堀を埋めるのも、彼の提案だと言われておる。かの武家諸法度の草案も、彼が構想した。失脚の理由のひとつに、鉄砲の秘密製造や、城の本丸の石垣の無断修理がありますが、まさにそれは正純が、からくりマニアであるゆえん、テクノロジーへの愛だったのです。彼の頭には智恵があり余っていて、しかも、いまでいう理工系、エンジニアの頭脳を持っていた。物事のメカニズムや内部構造というものに、異常に興味があった。
 ―天井が上から迫ってくる。石が落ちてくる。その下にたとえば、あの将軍秀忠がいたら、一体どんな極彩色の無惨絵が、展開することだろう。彼は、家康のことは崇拝していたが、陰険で器の小さい秀忠については、侮ってもいた。湯殿がいいのか、寝床がいいのか。そんなスリリングな想像に、正純はぞくぞくした。本多という男のいわば心の闇が、ありもしない絵を描き、からくり釣り天井の設計を始めたのです。つまり彼は、権力闘争の息抜きに、個人的な趣味で推理小説、SF小説を書いてたようなものですな。現代の官僚もよくやるように。それがやがて、己の人生を破滅に導いてゆくとは、露も知らずにね……」
 しかし文机の奥にしまってあったはずの図面が、何者かによって盗まれてしまった。宇都宮城内に、秀忠の姉の加納御前亀姫か、土井や酒井らの幕閣から放たれた密者がいたらしい。ついに謀反、将軍暗殺の嫌疑がかかり、幕府最有力者からの失脚、出羽横手への流罪ということになってしまった。
「取り調べの際に、正純が理路整然と反論して、身の潔白を明かそうとしたのもいけなかった。奴らはディベートに慣れてない。日本では、明解な論理を主張することは、悪事よりもむしろ憎まれますからな。要するに彼は、日本に少し早く生まれすぎた近代人だったのかも知れません」

 何だかこれは、オサカベ男爵と、立花氏の折衷案のようにも聞こえた。私はいささかこの温厚そうな老人に押され気味になり、話を聞くだけで精一杯であった。
 例の馬場町に置かれていた大岩も、維新前夜のときは、一時、注連縄が巻いてあったというのだ。ちょうど山頂の奥社にある磐座みたいに縄がぐるりと巻かれていたが、すぐに外された。何者かが夜こっそり巻いて、民衆にアピールしたらしい。それは何を意味するかと尋ねると、児玉老人はこう応えた。
「あなた、倒幕ですよ。アンチ徳川。私は、奇人といわれた蒲生君平の流れを汲む尊王攘夷の連中の工作だと思いますがね。彼は全国の天皇陵の研究者で、考古学的には、前方後円墳の命名者ですな。あるいは、石工衆や日光修験にも、倒幕を主張するウラの一派がいたかも知れん。民衆のイマジネーションにも、思想性があるわけです」
 それはさらに、非業の死を遂げた本多正純の二三〇年の怨念が、民衆に感染したとも考えられるというのだ。
 私はあの異様なからくり釣天井のレプリカを、刑部氏に直接見せられたことを、その場で告白したい誘惑にかられたが、やめにした。あの変人と親しい関係にあることは、ここでは恥ずかしく忌まわしい事のように思われたからである。
 ―しかし、私が後で調べたところによると、本多正純は、確かに策略家、智謀家、都市計画者ではあったものの、児玉老人がいうようには、機械やからくり仕掛けに興味を持っていたエンジニア的発想の持ち主だという資料は、特に見当たらなかった。

   8

 自尊心が強すぎる相手との付き合いは、言葉使いが面倒くさい。
 ひさしぶりに刑部氏から電話がかかってきて、ちょっとしたことで、諍いがあった。私は単に話の流れの中で、立花氏の指摘している矛盾点を伝えたまでだ。
 以前、刑部氏に見せてもらった釣天井の図面に使われている紙が、和紙にしても新し過ぎるというのが、立花さんの見解であった。いかにも古紙に見せかけてはいるが、江戸どころか、製作は明治期以降のものだろうと。
 そのことを言ったとたん、刑部氏は激怒して、この図面はもとよりオリジナルでなく、何度か筆写されたものであるのは、すでに了解済みだ。しかし、だからといって原本が存在しないという理由にはまったくならない、状況証拠としては、あくまで自分の説が正当なのに、お前までが敵陣営に寝返るのか―というのである。
「だったらもう、アンタのことは、私の弟子とも、子分とも、思わん!」
 何をいっているのだろう、この男は。私は刑部氏に弟子入りしたようなつもりはないし、子分になったつもりもない。しかも敵陣営?
 私は話しているうち、腹立たしくなってきた。二度とこちらから電話してやるものかと、舌打ちをした。それ以来、いっさい連絡をしていない。

 いつの間にか梅雨も過ぎて、その年の夏に入っていた。
 南面の竹藪の状態が、もはやどうにもならなくなっていた。ベランダでも洗濯物が干せないし、日中でも部屋がますます暗くなって気が滅入ってしまうと、妻にせっつかれた。確かに湿気も強い。しかしこれを業者に任せると、法外な金額を取られてしまう。手伝わせようと思っていた息子の和彦は、クラブ活動の合宿で、日曜夜まで帰って来ない。
 土曜日、私は意を決して、朝から車で日光街道沿いにあるホームセンターに行った。そしてチェーンソーを買い込み、竹藪を伐採することにした。
 機材をセットして、スイッチを入れた途端、いきなり、鋭いサメの歯が並んだようなチェーンが、物凄い勢いで回転を始めた。用意のない私は、思わずその猛烈な勢いに、電動ノコギリを手放しそうになった。それなりの重量感もある。
 ふと気づくと、母屋の窓辺から、義父が黙って見ていた。何だか最近、監視されているような気がした。この威圧感は、教育者の悪い癖だ。また何かいわれるかも知れないが、ここは無視することにした。
 最初は調子良く、竹をスパスパと切って、景色が明るくなっていくのに、快感すら覚えた。竹を一本倒すたびに、ぽっかりと青空が広がってゆくのだ。ところが、途中から妙な怒りがむくむくと湧き出して、ある種の攻撃的な興奮状態に陥った。どうも、チェーンソーの回転とともに、アドレナリンやらドーパミンやらが分泌され、軽い陶酔状態に入っていくような気がする。
 私は、大きな竹が集まっている所に廻り、一番太い竹を、数本切り倒した。ザザザーッと激しい音がして、斜めに倒れた。しかもその笹の葉のついた小枝を落として、庭の端に重ねておかなければならない。それだけでも、相当疲れてしまった。午後の四時を過ぎた頃には、へとへとになって、残り半分を翌日に残した。一晩、おくことにしたのである。
 しかし、それがいけなかったようだ。
 翌朝の五時過ぎ―。
 妻につつかれて起きると、チェーンソーの甲高い唸り声が、庭先に響いている。覗いてみると、すでに義父が首に白いタオルを巻いて長靴をはき、竹の伐採に取りかかっていた。
 私は驚いて窓を開け「お父さん」と声をかけた。
「ナニ、あれじゃ、中途半端だったからな。仕事をやるときは、きちんとしまいまで、やるものだ」と、そっけなく説教された。
 義父は、いつものように背すじを伸ばし、まるで剣道の竹刀を持つようにチェーンソーを斜めに掲げ、上の方の竹と、脇から伸びている梅の枝を、バッサリと切り落としてみせた。高いところは、背伸びをして片手で切っている。無茶なやり方だ。
 妻も心配そうに声をかけたが「なんということもない」といわれ、それから「黙って、見ていろ!」と怒鳴られた。
 ところが次の瞬間、父は大声を上げて、竹の中に倒れ込んだ。私と妻があわてて駆け寄って行ったときは、すでに足から真っ赤な鮮血を流して、前屈みになって呻いていた。しばらくして、騒ぎを聞きつけた老母も家から飛び出してきて、薬箱を抱え、おろおろしている。
 ―すぐに救急病院に連れていった。何とか大事には、至らなかった。要するに、刃先がコードに触れて切断され、金色の火花が散った瞬間、彼は驚いて、手を放してしまったようなのである。
 幸い、チェーンソーの刃そのものは、長靴を大きく裂いて巻き込んだあと、左足の甲あたりをかすった程度で済んだらしい。血はかなり流れたものの、太い血管を切ったわけでもなく、むしろ転んだ瞬間に古い切株にぶつかり、腰を強く痛めたらしい。
「もう、お父さん、年考えてよ。そういうの、年寄の冷や水っていうの。勝手に慣れない道具、使うもんじゃないわよ」
「何をいっとるか。かなり竹を切り残していたからな。みっともない。……志郎クンの、ああいうところが、いかんのだ。会社だって何だって、途中でほっぽり出して」
 余計なお世話である。
 要するに、自分なら、もっと上手く切ってみせるというくだらない見栄だったのだろう。
 妻はあやすように冗談を言いながら、その後も母屋のリビングで、よく頑固爺ィを手当していた。それなりに、水入らずの雰囲気で、父も娘も妙に楽しそうに見えた。
 その後も父は、不満そうに口を尖らせて結び、しばらく松葉杖をついて、庭先をよろよろと歩いていた。子供たちの剣道の指導ができないことを、しきりに悔しがってもいた。
 ただ、何よりも腹立たしかったのは、「娘婿が庭仕事を中途半端に放り出したせいで、こんな災難に遭ってしまった」という、父がひねり出して、近所の囲碁仲間や俳句仲間の老人連に言いふらしている奇怪な屁理屈であった。あいかわらず、決して自分の否は認めようとはしない。

 とはいうものの、何とか無事に、その年も越すことができた。そして、父の足の傷もすっかり癒えて、ようやく腰の具合もよくなってきた翌年春の三月十一日、あの震災が起こったのである。

   9

 ―あれから時代が変わったようだ。
 日本全体が、別の国に変貌してしまったかのようであった。あらゆる信頼されていた秩序や権威や制度が、がらがらと音を立てて崩壊してしまった。政治も企業も官僚機構も、嘘に嘘を塗り重ねたものであることが顕わになった。あるいは、もともと無理な制度設計であったものが、すでに腐食して空洞化し、長年の矛盾と腐敗の重みに耐えきれなくなって、ついにこの国の中央を支えていた屋台骨が、一気に崩落してしまったのかも知れない。
 しかも、危機に乗じて奇妙に国家の力が強まっていった。市民運動やデモなども、後ろめたいことででもあるかのような暗黙の空気ができつつあった。

 実家は古い家だったが、幸いにも地震の被害は少なく、台所の食器や書棚の本が落ちた程度で済んだ。むしろ会社の工場の混乱の方が大きく、そちらの整理や補修、さらに、仕入先や納入先の被害状況の確認などで大わらわだった。
 地震から二三か月の間は、何度も大きな余震が起った。ちょっとした揺れがあると、肉体的にも敏感に反応してしまい、あの時の恐怖が生々しく甦った。なおかつ福島原発問題、放射能問題で、不穏な日々が続いた。いわば東北関東の居住空間のすべてが、いつ廃土になるかわからないという、危機的なサイコロ賭博の対象に変えられてしまったのだ。
 世の中が異様に緊迫した空気から解放されたのは、あの震災からだいぶ経ってからのことであろうか。むろん何も解決されておらず、われわれは、単に不安と恐怖に麻痺しているだけであり、汚水貯蔵タンクは増える一方、福島の仮設住宅の被災者たちは、いまだにそのままである。
 それとは対照的に、私自身の生活は、震災の翌年あたりから奇妙に騒がしくなってきた。社長は二代目だったが、なかなかのヤリ手で、この混乱のさなか、積極的売り込みを行った。食材の放射能汚染問題なども、早くから先手を打っていたようである。その二代目社長も参加する全体ミーティングで、現場の意見を求められるようになったことから、私自身の職場状況が変化してきた。
 商品管理・食材管理の地味なコンピュータ作業から、もう少し枠の大きな場を与えられた。食材の選択・購入や、新たなメニューの発掘提案などまで、課題として与えられるようになった。むろん、産地や汚染問題なども、ある程度は自分で調査しなければならない。以前から社長が狙っている試験的な居酒屋出店の企画会議などにも、参加するようになった。これは発想の柔軟な若手社員との活発なディスカッションもあり、その後でマーケティングと称して、社長も含めて夜の飲み屋街に繰り出すという、なかなか楽しい経験だった。いまでは関連グループの小山工場との連絡なども、次第に私の担当となりつつある。
 義父に紹介された会社なので、ようやくこれで私も、多少は顔を立てたことになる。
 倒産以来の鬱屈感情も和らいできた。竹藪をすっかり切り落として、庭先風景が明るくなってからは、あの得体の知れない釘打ちの部屋に幽閉されたような悪夢も、見ることが稀になった。
 私は仕事の方で手一杯になって来て、そうこうするうち、趣味と自己治療を兼ねた『B級建築―探訪ノート』の更新も怠りがちになった。不動産屋の立花氏とは、震災後に一度、電話で連絡をしたままであった。

 ―ある金曜日、その立花氏から連絡があった。
 貴方の捜していた物件に近いものがあるという。部屋の話である。正直いって今頃になって何だろうと、私は思った。義父はあの竹藪伐採での怪我以来、病院に行くにも、趣味の俳句の会にも、私の車での送迎を頼らざるをえなくなり、立場が幾分逆転しつつあった。
「悪いな、いつも」
 車の後部座席に乗せると、義父はふんぞり返って腕を組んだまま、口をへの字にして、不本意な口ぶりでいった。私は内心、ほくそえんだ。
 扱いにくい頑固者ではあるが、金銭などには恬淡としており、もともと悪いヒトではない。自分のことさえ奉ってもらえれば、物の見方は公平で、さっぱりしている。そして父はもう、細かい事には口出ししなくなっていた。
 しかもこの震災がきっかけで、物置同然になっていた西側の部屋を整理したことにより、ずいぶんとスッキリとしてきた。その空いた六畳の部屋は、われわれ東京組の新入り家族が使って良いことになった。
 そんなわけで、不動産屋の立花氏には、部屋を捜す必要はないと応えた。ただ、世間話をしているうちに、久しぶりに月子さんの店を覗いてみよう、ということになったのである。

 その日、泉町の『カクテル・ムーン』には、私が先に到着した。
 ジントニックを飲んでいるうち、立花氏がやってきた。震災前後のごたごたについては、互いにつもる話も多かった。立花氏は、宮城の親類の家が一部被災し、その手伝いにも何度か行ってきたらしい。といっても、最悪の事態ではなく、従兄弟夫婦その他は全員無事で、被害は建造物の倒壊と浸水に留まったようだ。
 私は、実のところ前から気になっていた刑部氏のことについて、恐るおそる尋ねてみた。
「知らなかったんですか」彼は鈍いうつろな眼で、私を見た。「―あの人は、亡くなりましたよ」
 あまりにもそっけなく、そういわれた。
 おぼろげな予感が的中したので、私はむしろ、意外に思った。
「亡くなったって……。例の三月十一日に、ですか」
「いや。それがよく、わからないのですよ。てっきり、向坂さんの方が、事情に詳しいとばかり思っていたけど」
 困ったような顔をして、彼はソルティドッグを飲んだ。
 八時を過ぎると、客が次第に混んできた。
「あそこの自宅で発見されたそうですがね。それも、だいぶ時間が過ぎていたらしい。たしか、一週間か十日後とか」
「やはり、あの天井が崩れ落ちて?」
 立花氏は、両腕を組んで、洋酒棚をじっと見た。
「そうだと、わかりやすいのですがね。……正確にいうと、直接の原因が、石の下敷きになって死んだのか、それともすでに、脳卒中とか心筋梗塞とかで倒れていた上に、石が崩れ落ちてきたのか、はっきりしない。あの路地周辺に幾つか古びたアパートがありますが、業者に追い出しにかかられて、一二年前から、誰も住んでいない状態なんです。街中なのに、空き地も多い。だいぶ前から、オサカベさんの手を離れているしね。リサイクルショップの東側は、建物もすっかり取り壊されて整地され、小さな駐車場になっている。もともと、近所ともほとんど付き合いもなく、耳の遠い八十過ぎの婆さんが、手前の道の角の家に一人暮らししているだけですし。発見された日も、ちょっと離れたところのクリーニング屋の主人が、異臭がしているのを探っていくと、あのオサカベ邸に辿りついたという……」
 私も地震の後、部屋を片付けているとき、ふと、刑部氏の顔が目に浮かんだことがある。
 以前の電話でのしこりがそのままになっていたし、それはあまりにも嫌な想像だったので、無意識に覆い隠してしまったようだ。あの時、即座に電話すればよかったと思った。しかし、その場合は、私が第一発見者となったかも知れない。
「考えてみると、なんだか、あの人らしいですね」
「まあ、かなり遺体の損傷は、ひどい状態だったらしい。物理的なだけじゃなくて、つまり、その、腐乱状態がね」
 憎たらしい人物ではあったが、いざこうなってみると、虚しさの混じった悲痛感が走った。
「あの方と、震災の何ヶ月か前に、ちょっとしたいざこざがありましてね。単なる行き違いなんですが、その後、電話がしにくい状態になってしまったんです。それに震災の前後あたりから、私も仕事の方で忙しくなってきて」
 さすがに、立花氏の言葉を伝えたら相手が激怒したとは、伝えにくい。
「なに、皆、そうなんですよ。あのタランチュラ野郎とはね。うまく行きようが、ないんだ」
 最初、立花氏は、故人を偲ぶような、とつとつとした口調だったものの、話しているうちに異様に興奮していくのであった。
「……そりゃそうなるはずですよ。あんな地震、普通だって相当に危なかったのに、そういう仕掛けをわざわざ組み上げていたんだから。あれはねえ、私にいわせれば、自殺のための装置ですよ。自殺機械ですよ。石でこさえたロシアン・ルーレットですよ」
「立花さん。ちょっと声が、大きいようです」
 しかし向こう側では、月子さんと二人の常連客が、何か楽しげに冗談を言い合っていた。
「死に場所を探すという言葉があるが、あのヒトは、ずっと死に時を捜していたんです。あれじゃ、住まいそのものが、ギロチンみたいなもんだ。ちょっとした物理的なきっかけで、あの世に行けるようになっているんだから」
 驚いたことに彼は、涙を浮かべていた。
「自作した天井に、うず高く石を積んでいたのですよ、あの狂人。鎖と歯車をつけて、階段の裏側から綱で巻き上げるような仕掛けになっていた。伝えられる古文書と絵図の通りに。もちろんそんなものは、後世出回ったニセモノに過ぎないんだが、その通りに再現してみせた」
 私はさっきから、言おうか言うまいか迷っていた。
 しかし思い切って、告白した。
「じつは私、見たんですよ。あのからくり天井のレプリカ。コーヒーまでごちそうになったのです」
 もともと大きな立花氏の顔が、カウンターの照明に照らされて、てらてらと光り、さらに巨大に見えた。
 涙でいっぱいになったどんぐり眼をこちらに向けて、うっすらと笑った。
「おいしかったでしょう、あそこのコーヒー」
「ええ。妙においしかったです」
「ハワイコナの高級品を、使っているんです。新婚旅行のハワイで見つけてきた、奈緒さんお気に入りの」
 それから思い出すようにいった。
「神棚が、ありませんでしたか?」
 彼もやはり案内されたことがあるらしい。
「ありました。奈緒さんの名前が出ていた」
「……守り切れなかったんだな、彼女も」

 それから立花氏は、急に無口になって、二三杯、ジントニックを煽った。彼らしくもない乱れ方で、何だかカクテルの飲み方ではないような気がした。
 私は気を取り直して、今日は店に来ていない児玉老人の話をした。
 たとえば、謎めいた江戸期の大谷石工衆の話や、物狂いの石を握ったまま「からくり、からくり、頭がからくり!」と叫びながら真っ赤な夕日の畦道に消えて行った少年の話や、児玉さんによる正純評や、釣天井事件への推理談義を話した。
 しかし彼は、つまらなさそうに、「児玉センセイみたいな考え方もあるでしょう。まあ、いいんじゃないですか、いろいろな解釈があってね」と投げやりにいった。
 以前のあの郷土史に対する情熱は、いったい何だったのだろうと私は思った。
 と、突然、彼は顔をあげて、叫ぶようにいった。
「―誰だって、将軍や暴君なんて奴ァ、ぶっ殺してやりたいと思うじゃありませんか。ありゃ、当時の江戸の民衆の魂が望んだ本音なんですよ。ありとあらゆる偉そうな、民百姓を虫けらだと思ってる傲慢な権力者の頭上に、石が落下してくればいい。歴史の天井裏に、累々と怨念のように積み上げられた石が、いつか、どっと、いっきょに崩れ落ちるんだ」
「あら、今日はどうしちゃったのかしら、立花さん」
 月子さんがおどけて、「ハイ!」と新しい蒸しタオルを手渡した。
「……ここに、危険思想家が一人いるのですよ」
 私は笑って、混ぜ返した。「いまのこの空気だと、また戦前の特高や憲兵なんかも、復活しかねない時代ですしね」
「だいじょうぶ」女バーテンダーがいった。「わたし、難しいことはわかんないけど。でもこの店の中だけは、最後まで、言論の自由を守りますから」
 そして右手で、小さな力こぶを作って、笑ってみせた。
 いいぞお、月子姫。ブラボオ―。隣の常連客から声がかかった。そこで和らいだ笑いが起った。
 憑きものが落ちたように、立花氏は、目をしょぼしょぼさせた。それから急に気を取り直して、
「よし。それじゃ、月子ちゃん。ムーンライト・シャドウを三つ」といった。「ね、三人で、オサカベ男爵に献杯だ。ここは僕の奢りということで」
 そういって立花氏は、泣き笑いのような顔をして、湯気の立つ白いタオルを大きな顔にあて、いささか品なく、ごしごしとこすった。

 ―われわれは十時過ぎに店を出た。
 外では少し小雨が降ったらしく、路上が藍色に滲んでいた。二人とも、すっかり酔っぱらっていた。
 私の家はここから歩いて十数分、立花氏の方は大通りに出てから、タクシーを拾うという。
「どうです。いつか今度、刑部さんの墓参りにでも行きませんか」
「……ああ。それもいいですね」
 あのままになってしまったことに、多少の悔いもあった。これも何かの縁だろうと思った。おそらくあんな偏屈男の墓に、花や線香を供える者など誰もいないだろう。
「僕にとっては、憎たらしい男だが。……カブト虫やクワガタ採りやら、小川でのフナ採りやら、いろんな遊びを教えてもらった先輩でもあり、少年時代の兄貴分でもあったのです。この街の風景もずいぶん変わったもんです。県庁の北西に広がっていた田圃では、いまでは住宅街や、ファミリー・レストランが立ち並んでいる。昔はあの奥にも見事な水田が広がり、その向こうの菜の花畑には小川が流れ、ドジョウやフナが身を潜めていた。夏の夜になると星空の下で、いっせいに田圃の蛙が鳴きだすんです。……そう。あそこの刑部さんとこの路地で、キャッチボールをやったこともあるし、奈緒さんと三人で、寺の境内やお墓に潜り込み、隠れんぼうをして、坊さんにとっ捕まって叱られたこともある」
 彼は訴えるように、大きな顔をこちらに向けた。
「カクレンボ、ですか」
「行きませんか、墓参り。彼の墓は、奈緒さんの墓でもあるんだ」
「そりゃ、そうだ……じゃあ、今月か来月あたり、お天気のいい日に、オサカベ男爵の供養にでもまいりますか」
 私がそういうと、立花氏の足取りが、心なしか浮き浮きしてきたようでもあった。
 雲が割れ、細い金色の月が出ていた。
 雑居ビルの間の青黒い路をしばらく歩いたあと、彼はくるりと振り向いた。
「―その墓石がね、おそらく物狂いの石、天井石を使っているのですよ」
 不意に、頭を強く打たれたような気がした。
 そして私は、刑部氏が自説の最後の隠し玉として、いわくつきの大きな石を所有しているという話を、思い出した。
「あのヒトらしいと思いませんか。生前から用意していた墓でね。ちょうど……」
 立花氏は、そこで子供を両手で抱えるような、奇妙な恰好をした。
「このぐらいの、大きさの、卵型の石だ。ひょっとしたら、本物の可能性もある。墓はね、北見霊園にあるのですよ。あの丘陵の上の方だ。何だか特等席みたいないい場所で、それはそれは堂々としててね。夕陽を浴びて、大きな丸い石が、あかあかと輝くんだ。……ちょっと、あの執念だけは、凄いでしょう」
 私は両手首から、血が引いていくのを感じた。
 並んだ飲食店の明かりが、狭い紫色の川の水にゆらめきながら映っていた。
 二人はそのまま細い小橋を渡り、酔い覚ましのために、しばらく無言で歩き続けた。

 

                                 〈了〉


この本の内容は以上です。


読者登録

草原克芳さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について