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 私の実家は青森県は弘前市で「津軽為信」の家臣であった。

 その役職とは「田守り(たもり)」であり、稲作の管理をしていたところから、この姓を賜ったといわれる。いわば下級武士の出自であると聞いている。その本家が青森ではなく、東京は中野の「向台(むこうだい)」という地にあった。子どもだった私は時々、そこによく立ち寄ったものだ。伯父たちの子ども、――イトコらと遊ぶために。

 

 当時の日本はまだ貧乏な国だった。いまでこそピアノやバイオリンの習い事は珍しくないが、楽器などは高級な趣味で望むべくもなかった。いわばごく限られた人たちの嗜好であって、私たちはせいぜいハーモニカを吹いて楽しむのが関の山だった。そのような時代に新宿に「音楽喫茶」なるカフェがあった。クラシック音楽のレコードを店でかけ、それを聴きながら珈琲を呑む、といった趣向である。

 その店に数回は行ってベートーベンをはじめ、モーツァルト、シューベルトなどの音楽を聴く時間をもった。これは予科練に行く前のことである。この店でわたしは、ヘンデルの「水上の音楽」の説明を聞いた覚えがある。この曲は太鼓をおもに使用するということで、わたしの印象につよく残っている。

 

 そのような折に或る一人の若き音楽家と出会った。あの日のこと。向台に用事があって従兄弟をたずねたところ、Kという弘前からの客人がいた。ウイスキーを飲りながらクラシック談義に花を咲かせている。この人物がのちに音楽界で成功をおさめる。テレビドラマの音楽や、昭和のアニメーションの主題歌で一世を風靡し、いまなおそのそれらの曲の軽妙なアレンジがコマーシャルで流されもする、そのような成功者になるとは露ほどにも思わなかった。

 

 彼は映画監督、木下惠介の弟である木下忠司の指導の下、音楽界で活躍するようになった。私が知識として知る木下忠司という人は、木下惠介の映画音楽を一手に引き受けた有名人であった。

 テレビの時代劇に萬屋錦之介主演の「鬼平犯科帳」という作品がある。原作はいわずとしれた池波正太郎であるが、この音楽を担当するのが木下忠司であった。太鼓をふんだんに使用するその音楽は、「鬼平」の緊迫したドラマにより強い躍動を与え、とてもよくマッチした、なかなかの仕上がりになっていた。もうかなり古い作品であるが、いまでもスポンサーがつき、BSフジで放送している。

 この木下忠司の指導で世に出たKは、やはり松平健の有名な時代劇の音楽で知られるようになった。

 

 Kは成功者となったが、私はその後、一度も会っていない。だが、彼の名をドラマのテロップで見るたびにウイスキーを飲んでいた一人の青年を思い出す。ささやかな縁の巡り合わせというか、ちょっぴり不思議な気分になったりもするのだ

 


この本の内容は以上です。


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